打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「理想の母親像」の呪い(なかなか認められない母親自身の個性)

「◯◯ちゃんママは簡単に出来てるのに、こんな事も私はできないなんて・・・・」

そんなこと、悩んでしまうことも多いです。何せ私は打たれ弱いママで。同じように「なんで私はできないのかしら」と悩むお母さんも多いのではないかなーと。

 

先日書いた「男の子ママ、女の子ママ、ママにも適性がある」の記事の続きです。

 

育児では「子供の個性を育ててあげましょう」なんて言います。が、自分の個性を大事にできてない、されてない大人が、子供の個性を育てるなんてことができるでしょうか?

 

母親だって人それぞれなのに、求められる母親像ってあんまり変わらない気がするんです。例えば…

 

  • 子供とずっと一緒にいる(3歳児神話)
  • 完全母乳で育てる(母乳神話)
  • 腹を痛めずに出産しろ(自然分娩神話。私は無痛分娩をオススメしてます
  • 怒らないでいつもニコニコ(非現実的)
  • 手の込んだ手料理を毎食食べさせる
  • バリバリ働いて、でも家事育児にも手を抜かない(スーパーウーマンな働くお母さん、つまり産前も産後も同じくらい家でも外でも働け!)

 

などなど。

 

人それぞれ違うのに、「母親」であるという事で一気に多様性とやらが認められなくなる気がしてるんです。

 

 

「良い母親像」って人それぞれあるけど、社会的になんとなく「良い母親」とされてるものと自分がかけ離れてたり、またはそれをできなかったりすると私は親としてこれで良いのだろうか、と母親としての自信をなくしてしまうことも。

 

 

この「良い母親」の呪いって、誰しも多少はかかってると思う。自分の母親から、社会から、夫から、「こうでないといけない」みたいな何かを、どこかから、誰かからの影響で、そう思い込んでしまう。

 

仕事のやり方なんかでは「私は私の考えがあるの!よそはよそ!」と割り切れるのに、なぜか親業になるとどうも割り切れない。多分、逐一実験して「ほーら、こっちの方が良かったじゃない!」なんてことを子育てでは証明できないからかなぁ。それとも子育てで「これでよかった」なんて思えるのは10年以上先にならないとわからないからなのか。

 

毎日毎日「果たしてこれで良いのかな?」と思いながら過ごしてます。つい自信をなくしちゃうことも。

 

 

親としてしなければならないことって、子供にとって必要なことって、ある程度どの家庭でも共通したものがあります。例えば衣食住の提供やそれなりの躾。

 

けどね、人間には得手不得手がある。だから、「適材適所」という言葉があり、それを元に色んな仕事がある。

母親だって同じだよ。親業だって「適材適所」で色んな人と分担するのが効率的だしハッピーな気がする。

 

 

簡単に算数で100点を取っちゃう子もいれば、どうやっても70点しか取れない子もいる。足が速い子も遅い子もいる。母親だって、同じ。お料理が得意なお母さんも居れば、苦手なお母さんもいる。

 

親業って、守備範囲が広すぎる。学校の先生で言うと、主要5科目・音楽や美術・体育をすべて平均以上でこなし、道徳も教え、校長先生もやって、働くお母さんにおいては資金調達までやる。こんなのを全部一人でできるわけ、ないんですよね。

 

母親一人で全部やれっていうのは、全科目&生徒指導を一人でやれって言ってるのと同じな気がする。

 

会社の中なら、営業が得意な人も居れば、経理が得意な人も、ものづくりが得意な職人タイプだっている。一人で全部こなすのは起業家くらいかな。起業してる様な人って、そんなに多くない。母親一人に全てをさせる、なんて全員に経営者になれ、って言ってるみたい。

 

ワンオペ育児って非科学的なだけでなく、非合理的。一人で卒なくなんでもこなせる人の方が稀。

 

できるはずの無い苦手なことも、「親になった」というだけで急にそれを求められる。そして出来ないと、何かしら批判されてる気持ちになる。「良い母親像」の呪いのせいで。

 

完璧主義気味な私は、今の私には物理的に不可能なことでも「本来の私ならできるはずなのに…なんでできないんだろう。」なんて考えてしまいます。でも、私は疑問なのです。

「本来の私」って、なんだ??

 

20歳前後の体力や気力があったときの私ならそりゃ夜間授乳で眠れなかろうが仕事でアップアップでもなんとかやれてたと思います。

 

過去の自分の最大値を、本来の自分だと思って、「今の自分にはできない」と飲み込めない。「今の自分」の個性を認められずに居るのです。そうしている間は、とても苦しく自分で自分の首を絞め「私だってできるはず。なんでできないの」と自分を責めながら親業をやってた。

 

個性を認めるって、自分の得意を伸ばすと同時に「○○はできない」「△△は嫌い」という自分を認めることでもある。そのできない自分を認めない限り、助けを求めることもできない。

 

理想のお母さん像を持ってるって、子供のためを思えばこそ。本来は素敵な事でそれが首を絞めるんではおかしいと思うんです。

 

「理想の母親像」は、自分の親や社会情勢など複数の要素からできあがってる。50年前に理想とされたのは専業主婦ママで、70年前なら「お国のために」と子供を戦場に送り出すお母さんが良しとされていたかもしれない。今の理想の母親ってバリバリ働いて家事育児もこなす「キラキラ」ママなのかな。

 

社会によっても、理想像は変わってくる。親として必要とされる要素も変わる。

だから、「理想の母親」を構成するのは一人じゃなくて複数人でやれば良いことだと思うんです。

 

 

家から出れば、外にはたくさんの「お母さん」が、「お父さん」がいる。そんな世の中になったら素敵なのにな、みんなで分業して分け合ってみんなが「お母さん」だったらいいのにな、そんな夢物語を思う夜です。

 

 個人的にはたまには乳母の制度を使えたら…と思う。そしたら子供の看病で来る日も来る日も2時間毎睡眠でフラフラしちゃう、なーんてことも防げるかしらん。

 

今日はそろそろ4時間位連続で眠りたい…