打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「産めよ育てよ働け」は誰のため?

少子化少子化と騒がれてもう何年経つのでしょうか。

私は「産めよ育てよ働け」という言葉というか、風潮に壁癖してます。それって一体なんのため、誰のため…そんな内容です。

 

 

妊娠前と同じように働くなんて、資本主義が作り出した幻想だし。

 

根本的とは言えないけど、国や自治体は少子化対策を練っているようです。

子育て世帯としてはそりゃあ子育てしやすい世の中になって欲しいです。子供が増えれば、多数派になれば、もっと子育てしやすい世の中になるでしょうし、子供も増えてほしい。

 

でもね、もうこの国では少子化は止められないと思う。

 

だから、「少子化でも成り立つ住み良い社会」を作るように舵取りして欲しいと思う。

 

 

政治家が「少子化だ!」って言う。子供を増やしたいと言う。労働力を増やしたいって言う。結局それって税収のために言ってる、と私は受け取っています。

 

ピラミッド型に人口が増えていた時は、現行の年金保険は成り立っていた。けれど、今の人口分布では到底無理で、この制度が破綻することは20年前にはわかっていたはず。

 

 

 

子供の数は増えてほしい。

 

でもそれは、本当に「子は宝」と思ってるからじゃなくて、「できるだけ自分達の現状や既得権益を保ちたい」おじさん・おじいさん達のために言ってるんじゃないかな。

 

年金を含む色んな制度を維持するには子供が必要、将来の労働力としては子供が必要。

 

「産めよ育てよ」もおじさん達がおじさん達のために言ってる。

 

 

子供を未来の納税マシーンのように思ってる。少子化対策があんまり進まないのは根本的な原因はここにあるんじゃないかな。

 

本当に少子化をなんとかしよう、と思ったら、子供を産む世代の女性だけでなく、社会全体が何かしらを負担しないといけない。おじさん達も既得権益をある程度は手放す必要がある、ってことだと思う。

 

私が思いつく少子化に至った理由はこんなところかな↓

 

 

「女性が社会に進出してきたから子供が減った」みたいことを言ってくるおじさんもいるでしょう。

 

そもそも子供を諦めないと進出できないような社会という事が問題。

 

もう少子化になってしまった以上、社会構造自体を変えないと成り立たない。

 

高度経済成長期に活躍した古い袋は捨てて、新しい袋を作る必要がある。今の政策ってもうボロボロになってダメになった袋を継ぎ接ぎして、なんとかその古い袋を使おうとしてるみたい。

 

まあ、「産めよ育てよ働け」と言っても良いでしょう。

 

が、

核家族化する前と同じように父親を頼らず)産んで育ててー

(男社会が作り上げた働き方モデルで)働けー

 

というのはおかしい。

 

実際の子育て世代のお父さん達は、こんなバカなことを考えている人は少ないかもしれません。なんちゃってイクメンじゃなくて、きちんと子供と向き合ってるお父さんは沢山いる。

 

けど、この国を牛耳ってるのはおじさん・おじいさん達。子育て世代の人達には、裁量も決定権もない。

 

本当に産んで育てて欲しいのなら、新しい家族のあり方を、新しい働き方を根本的に認める必要がある。それには自分達も何かしらを手放す覚悟が必要なんじゃないかな、わかってるのかな。

 

少子化関連のニュースを見る度に、そんなことを思ってしまう。

 

人口が増えて、高度経済成長を迎えバブル時代を知ってる人達にはきっと従来のあり方が成功体験なんだろう。

 

国も個人も過去に成功した方法って、中々手放せない。それに固執して、本当に大切なことを見失わないような大人でいたいし、親でいたい。

 

 

そのためには、子供も社会もよく観察して、耳を傾けない。自戒を込めてこんなことを書く。