今日は金曜日ですね。
「花の金曜日」
なんて言葉、金曜日が花金だったことはもう何年前のことなのか…最初に妊娠する前の話だなぁ。
保育園がない週末のが怖かったりするので、金曜日の夜が憂鬱だったりも。
赤ちゃんや子供のお世話は年中無休。場合によっては 2 時間毎睡眠の不夜城。そんな私には、曜日感覚がないです。
- 育休から復帰した主人が家にいる
- れーちゃんの保育園がお休み
- お気に入りのテレビ番組が録画されてる
- 生協の宅配がある
これがないと曜日感覚を失くします😅
実は曜日感覚どころか、季節感もわからなくなる。
数年前の冬のこと、れーちゃんが生まれた年の大晦日。私は主人と大喧嘩してた。
ワンオペ育児で心も体も干からびてた私は、自由になりたかった。ゆえに大晦日だけど、主人にれーちゃん(寝てるだけでした)を任せ、出かけた。
帰ってきたら主人に言われた。
「何で大晦日なのに俺家で一人で子守(と言ってもれーちゃんは寝てるので家にいるだけ)してるの?年末年始って家族で過ごすものなのに…」
その時、私はぷっつんと切れてしまった。
「私にとっては今日が大晦日なのか、昨日なのか知らないし本当にわからないし、どうでも良い。私はそれほど代わり映えのしない毎日を送ってるの!!だから、本当に今が何曜日なのか、何月なのか、もわからない。」
さすがにこの言葉を聞いて、主人はあ然とし、私に同情したらしい。
寒いから冬なんだろう、ってことくらいしか、わかってなかった。
子供ってね、確かにあっという間に成長するのかもしれない。でもそれは「振り返ってみれば」あっという間なだけで、渦中にいる間は「早く大きくなって、成長して、この地獄よ終われ」って思ってる。
赤ちゃんは、小さい子はかわいい。
けど、それだけでは済まされない。
子供の成長はほんのちょっとの変化を積み重ねの連続。
「お勉強や部活頑張りましょう!」と来た学生がそのまま「お仕事頑張りましょう!」と社会人になった。
頑張ればわりとすぐに結果になるし、社会的にもその結果は認知される。成績だったり、お給料だったり、お褒めの言葉だったり。
同じノリで「育児頑張りましょう!」はできない。悪いけど達成感が違いすぎる。育児には社会的に認知される場が少なすぎる。
人に褒められるために、認められるために育児してる訳じゃないけど、頑張ってることはやっぱり認められたい。心の栄養としてそれは欲しい。
育児の達成感を味わえるのは何年も後だったりする。それを分かって親になってるわけだが、日々の小さな達成感や社会的認知がないまま過ごし続けるのは辛い。
親だって、やっぱり認められたい。
毎日毎日、「親である」ことを休めないし、一生辞められない。
日々の積み重ねがあってこそ、子供は成長する。
その成長を支えてるお父さん、お母さんがいる。
特に子供と居る時間が長くて、身を削るお母さんには必要なんです。
「いつも頑張ってくれてありがとう。そのおかげで、○○ちゃんが元気に成長してるよ」
こんな言葉が。
どんなに子供を愛していても、お母さんはロボットじゃない。無限に頑張って愛を注げない。無償の愛なんて無理無理。
こんなたった一言を、毎日、いや、毎週でもいいから貰えたら、世界が違う気がするんだけどなぁ。。。
たまーーーの結婚記念日や誕生日に何かを貰うよりも、毎日この言葉をくれる方が、私は嬉しいんだけどな。
世の中のご主人たち、育児を頑張ってる奥様に、この言葉を伝えて損することはありません。
「いつも頑張ってくれてありがとう。そのおかげで、○○ちゃんが元気に成長してるよ」
育児の報酬って、あるけど、いつ受け取れるか分からない。
お給料も「払いますよ!でも、いつ払えるかわかりません」って言われたら嫌じゃない?
「頑張ってることを認められる」という社会的認知も報酬の一つ。
子育ての報酬は不定期で永遠に未払いかもしれないけど、「誰かに認められる」っていう報酬位は定期的に貰いたい。