留学体験記シリーズです。
前回は「留学したかった訳ときっかけ」を書きました。(この国の行く末を憂う中学生が、ひょんな偶然から留学することに。詳しくはこちら)
今回は「なんで6年も居たのか?」について。
私は最初は1年コッキリの交換留学のつもりでした。
- 当初の予定:高2で留学して、高3で帰国して、留学分の単位を認めてもらい、そのまま高校卒業→ 日本で大学進学
- 実際:高2で留学して、そのままイギリスの高校に行き、イギリスの大学・大学院まで進学。
予定は未定とは言ったもの。全然人生設計と違うやん。
なんで6年も居たの?
単刀直入に言うと「イギリスの学校システムや勉強に対する哲学の方が、私の肌に合っていたから」です。渡英後、半年位経ってそれがわかった。最初は言葉がわからん。学校システムはおろか、右も左も分からないのだ。
テストも課題も問題文が理解できない。日本ではそこそこな成績だった私には課題で「0点」もらうなんて屈辱でした。これぞ言葉の壁。言葉がそれなりにわかってから初めて、イギリスの学校システムの良さが分かりました。
イギリスの学校システムはどう日本と違うか?
日本の学校のテストって、暗記ものが多いですよね。選択肢問題とか、この数式の答えとか「答え」のみを聞いてくるし、どんな考え方をしたのか、なんて解答用紙に書くスペースはない。そんなものが書けたところで加点もされないし。これは受験でも同じかな。
だから、イギリスの学校のテストの形態は私には衝撃でした。イギリスでは途中経過もまるごと採点対象なのだ。数学なら「どう解いたのか」を0から書く。答えだけあってても、途中経過でどう考えたか、って見えなければ0点。逆にたとえ最終的な答えが間違ってても、考え方や道筋があってればその分加点してもらえるというシステム。高校のテストでも記述問題がほとんど。生物のテストなら「細胞分裂について説明しなさい」ってA4の線がいっぱい入った答案用紙を渡され必死で細胞分裂について知ってることを小論文のように書く。
なんでイギリス式の学校システム・学習システムが私に合っていたか?
私は小学生の頃から、勉強に対する自分なりの哲学を持ってました。「10年後どんな人でありたいか」に重点を置いて勉強する、ということ。
勉強って、学問って自分がその知識を習得してどう役立てるか、というのが本来の目的。テストの点数を稼ぐことが主目的になっている勉強が大嫌いでした。
こんな哲学を胸に意地を張ってたせいか、元々のオツムの出来がその程度ということか、勉強好きな子どもなのに成績は中の上。上の上になることはなかったです。
「要領悪い」
「効率悪い」
親になんと言われようと、私は自分の勉強のやり方を変えなかった。
それを貫いてたらあら不思議。10000キロ離れた国の学習システムに出会って「私は間違ってなかった!!」「認めてもらえた」と実感できました。
日本での勉強よりもずっと、イギリスの勉強は楽しく感じた。
30分かかって教科書の1ページの半分も理解できない。
問題文が理解できずに0点を貰ってしまった宿題。
先生が何を言ってるのかわからず必死で聞いてもやっぱりわからない敗北感。
いじめられたりはしないけど、友達と大した会話もできない。
これを乗り越えてやっと、イギリスでの勉強が楽しくなりました。
今ならイギリスと日本の採点の仕方の違いに、社会の縮図を見たりもする。
イギリスはたとえ最終的な答えが間違ってても、どこかでボタンを掛け違えても、考え方や道筋があってればその分加点してもらえるというシステム。
日本は答えがあっていなければ0点。一手でも誤れば正解にはたどり着けないし、途中経過の努力も認められない。
セカンドチャンス、または敗者復活戦を公式に認める。
考え方(生き方)は一つじゃない。
日本社会だって、当時の私が思っていたほど悪くなかったかもしれない。私が狹い世界で生きてきたから、それを知らなかっただけかもしれない。
でも17歳の私は、イギリスの学校システムのこんな所に強く惹かれました。この国の教育はき自分の哲学を認めてくれた。だから、なんとしてでもイギリスで学び続けたかった。
元々お勉強が好きだったおかげで、言葉の壁を乗り越え始めたら、留学初年度そこそこの成績も取れるようになりました。
英語教育よりも大事なこと(英語力よりも○○力!)でも書きましたが、英語って外国語って、母国語以上には上手くなれない。英語を修得したからといって、日本で苦手だったお勉強が得意になったりはしないんです。
英語は確実に生きる世界を広げてくれるけど、「人間の深さ」をもたらすものではない。留学を経て私は「深み」が増した所もありますが、それは英語によって、ではなく英語を話せることによってできた体験によってです。 留学先でも、国内でも、色んな経験するってことが、結局は大事なんじゃないかな。