打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

この国では、お母さんになると基本的人権を失う?

子どもを預けて映画に行く、買い物に行く、旅行する、自分が楽しむ。そうすることに貴女は罪悪感を感じますか?そうしているお母様方を見て、どう感じますか?

 

子どもを置いて自分だけが楽しむことに対して罪悪感を持ち始める。それがこの国の「お母さん」。特に乳幼児のお母さん。

自分が楽しむどころか、仕事をする、とか人目を気にせずに電車に乗る、出張に行く、など自分にとって必要なことをするのですら肩身の狭い思いをする。

 

誰にも非難されずに、誰もがしてそうなこと。お母さんになると、そんな事が急にやりにくくなる。しようものなら「お子さんはどうしたの?」「子どもと離れるなんて子どもが可愛くないのか!」「お母さんなのに大丈夫?」なんて攻撃され言われる。正直、そっとしておいて欲しい。

 

小さい子供がいるのに専業主婦じゃないの!?

え?働いてないの?

働いてもいないのに、子どもを預けて一人で遊びたいの!?

 

いやーたまーーーーにちょっとでも「お母さん」本人だけが楽しもうものなら、誰かしら、または自分の心の中からこんな非難する声が聞こえてくる。

 

 

次女がまだ0歳児なので育休をいただいています。ありがたや。

「育休中なのに何遊んでんの!」

 

一部の人からはそう言われかねないことをやってます。先日は子どもを2人とも預けて映画を見ました。ざわざわする罪悪感を抱えながら、平日の空いてる映画館に行きました。

 

そんな優雅な時を過ごせて、本当はとっても嬉しいはずなのに拭いきれない罪悪感が。

やっぱりこんな人様にあまりおおっぴらに言えないような乳幼児を預けて自分だけ楽しむなんてダメなのかしら・・・・ 

 

そんな思いが消えなかった。でもね、そんな映画の帰り道にふと思ったんです。

 

私がこんな我慢をしたところで、私の大切な人たちは誰も喜ばないって。

私も私なりに楽しんで、子どもにあたったりモヤモヤしなくて、一緒に居れる時に笑顔な方が、主人も娘達も嬉しいんじゃないかって。

 

献身的で自己犠牲で24時間子どもと一緒に居て自分のことは二の次で。そんな「理想の母親像」が横行しているのがこの国の今。

 

「本当は映画に行きたいけど、子どもを預けて自分だけ楽しむなんてなんか悪いし、人様に言えないからから辞めよう」

 

そもそも「人様」って誰。 私がこんな我慢をして喜ぶ人なんて、「こんな我慢してるのは私だけじゃないのよねー。まさか子どもを預けてお一人様で楽しんでないわよね!?」などと同調圧力をかけてきそうな人だけかも。

 

「お母さん」になると、たしかに今まで虐げられることなく行っていた事が、できなくなることはある。私はそれらを「基本的人権」だと思ってる。

 

娘たちは自分の基本的人権を失ってまでも愛する存在であることには変わりない。そんな彼女たちが喜ばない変な我慢をするのは辞めよう!と思いました。

 

なんでこんな事書いたかって、子どもを預けて自分が楽しむことに感じるお母様方の罪悪感を少しでも軽くできたら、と願ったから。

 

同調圧力じゃないけど、多数派になれば市民権が得られるもの。

自分達が上にいる立場で多数派ぶって、「マイノリティを受け入れてダイバーシティを!」なんて言ってる風潮は嫌いですが、少数派の人数を少しずつ増やす活動はしたいです。