我が家の長女、れーちゃん(3歳)は、母である私よりも遥かに女子!コミュニケーションの取り方からもそれがわかる。
「れーちゃんプリンセス!」
ニコニコとれーちゃんが言った。
「女の子でよかった、幸せ!」とは、あまり実感できない幼少期を過ごした私は、5%の羨望と95%の嬉しさを感じました。今日はこの羨望と嬉しさについて綴ります。
女の子人生をあまり楽しんで来なかった私でも、お姫様的アイテム(ドレス、お化粧、キラキラのアクセサリー)に、お姫様に憧れたことがあった。バレエを習ってたこともあるし、ビーズでアクセサリーを作ったこともありました。
なぜ十二分に楽しめなかったかというと、親に水をさされた記憶があるんです。たとえば、
- 色白じゃないから黒のレオタードは似合わない
- 作ったビーズのアクセサリーの端っこの処理が雑(これは事実だったが…)
- 貸衣装屋でドレスを着てみたら「ぼうやが着てるみたい」(当時ベリーショートで短パンで男の子に間違われることもあった)
もちろん、褒めてかわいがっていたこともあった。けどね、私はこういった親のネガティブ発言をよく覚えてる。 なぜかって、その時に言えなかったから。言語化できなかった恨みや悲しみは残りやすい。
「そんなこと言うなんてひどいじゃない!」「私はそんな事言われるのは嫌だ」
と。自分のマイナス感情を言語化できない、その場で発信できない、とはモヤモヤした「悲しい 」や「不快」という気持ちだけ残る。
「ぼうやが(ドレスを)着てるみたい」はすごく不快だったなー、と思い返す。旅行先だったが、どの場所で、どんな建物の中で、どんな私服から着替えたのか、などもよく覚えてる。
普段は絶対に着ないヒラヒラのお姫様ドレス。それを楽しむどころか、「こんなこと言われるのなら着なきゃよかった」というような声にならない悶々とした想いだけが残った。お姫様のようなヒラヒラのお洋服には一切近づかなくなったのは、それがきっかけだったかもしれない。
バレエの発表会の後、ショートカットにしたが、今思うと長い髪のままの方が男に間違われずよかったのかもしれない。タラレバ論言っても仕方ないが、親の趣味でショートカットになってたのかな?と気づいたり。
親の趣味って、良くも悪くも子供に影響を与えてしまうのだ、と、自分の子供時代を振り返って思う。私も人の親として、娘たちに影響を与えているのだ。
「女の子って楽しい♪」
あんまりそう思って育たなかった私。今思うと、母も「女の子って楽しい♪」と生きてはいなかったタイプだからかな、と今なら親側の立場もわかったり、それでも恨んだり^^;。親が私を愛してなかったわけじゃない、とは頭ではわかるんだけどねぇ。。
屈託のない笑顔で「れーちゃんプリンセス!」というれーちゃん。
女の子であること、プリンセスみたいに自分をかわいい存在であると自認し、喜んでいる。私が幼少時代に欲しくて、でも手に入らなかったものを、れーちゃんは持っている。そうわかって、私は5%羨望、95%嬉しかった。そして、「今までの育て方は間違ってなかったのかな」とも。
人間に生まれたからには「人間っていいな」
女性に生まれたからには「女性っていいな」
日本人に生まれたからには「日本っていいな」
我が子には自分の生まれ持ったアイデンティティに、幸せを感じて育って欲しい。
これこそ、親のエゴなのかもしれない。れーちゃんも、いつか自分のアイデンティティを憎らしく思うこともあるのかもしれない。
自分のアイデンティティを愛いそうが、憎もうが、私がれーちゃんの母であることは変わりない。どんな貴女も愛してるんだよ。
色々考えたが、女の子であることを楽しもうが楽しまずにいようが、それさえ伝わってれば万事OKかもしれない。