打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

家族は心を乱しも豊かにする

引き続き、こんまりさん流※「人生がときめく」お片付け中の私です。手にとって、今の自分がときめくものを残して残りは捨てる、という方法。

何を片付けたかなー、最初は服や本だなーと振り返ったら、気がついたことがあります。1人暮らしの時の断捨離と4人家族の断捨離は全然違う。

 

お片付けしながら、「家族とはなにか」を考えました。

家族って、家を、心を乱しもするし、豊かにしてくれるものでもある。乱されないために大事なのは「他者との境界線」をしっかり持つことが大切、と気が付きました。

 

どういう順番に片付けし、それぞれに何を感じたのか?書いていきます。

 

もともと数年に一度は服を断捨離していた私ですが、それでも不要なものがたくさん出てきました。マタニティ用のタイツ(妊婦生活は終わりました)、「もうこれはボロボロじゃない?」という下着、おさらばしました。

 

今までクローゼットに窮屈そうに押し込められていた服たち。スペースもできて嬉しそうです。満員電車よりは空いてる電車がいいよね。まだまだ減らせる気がする・・・・どこまで減らしてもOKなのか、はまだ模索中です。

 

どれだけ長続きするか、はわかりませんが、少なくなった服たちを大事にしようという気持ちも生まれ、丁寧にたたむようになりました。

 

こんまりさんのススメどおり、長女れーちゃん(3歳)にも教えてみた。

「『いつもありがとう』って言いながら優しく広げて、四角く折っていくんだよ」

 

素材にもよるが、3歳の子でもちゃんとたためるし、片付けられるのだ。昨日も私が洗濯機から取り出した服を一緒にたたんで、お洋服のそれぞれのお家に戻しました。

散らかしっぱの主人よりもれーちゃんのがお片付けできてるかも!?笑

 

靴下をそこら辺に脱ぎ捨ててるお父さん、やめてくださいね。あなたの子供が真似しますよ!!

 

もし独身だったら見えなかった味わえなかった光景がたくさんある。

「この靴下はなんなの!!?」

と怒ってる私もその一つだ。

 

  • 本・書類

本も定期的に断捨離してましたが、今回もごそっと出てきました。残された本を見るとお気に入りの小説・美容/健康系・育児書・ファッション雑誌・ちょっとスピリチュアルなものが残ってました。

とにかく今の私は健康でいたいし、美しくもなりたいし、感傷的(小説)にもなりたいわけだ。わー・・・書いてて恥ずかしい。。。ビジネス書とか残らないねw 本棚を見ると今の自分の趣味思考がよくわかります。ビジネスに没頭し始めたらそういう本が増えたりするのかしら。

 

書類はほぼ全捨てしました。残ってるのは税金周りの書類や家の契約の書類など絶対残しておくべきもの+保証書。家電の取説も基本的にはポイ。意外に困ってません。ネット様があるし、保証書類は一箇所にまとめたので、探すのもしまうのも苦労しません!

 

プリンターが壊れたけど、付属の紙の取説だけじゃ解決しなくてネットで調べた。(ネットでも解決しなかったことは・・・・・うん。片付けとは関係ない)

 

 

  • 化粧品

元々多くはない化粧品もときめく物だけ残しました。体と家・持ち物がリンクしていることを痛感しました。

最初は「嘘くさい宣伝だな~」と思ってたのに、こんまりさんの本に書いてあったとおり、化粧品を片付けたらお肌が前よりキレイになりました。

鏡台の棚を一つ使って、私のパワースポットを作りました。そこにあるのは結婚式で使ったキラキラの髪飾りや写真など本当に好きなものだけ。

 

「最近右側の眉毛が上手く描けない~」と悩んでたのですが、コスメ品を整理し鏡台にパワースポットを作ったらぐん!と上手に描けるように。

 

上手くメイクできない!って時は、新しい道具もいいけどメイクをする場を掃除したり場を整えるのが大事だなーと感じました。

 

「部屋の乱れは心の乱れ」とは言うもんですなぁ。。。。。

まだまだキレイに片付けられていない、なんとなく少し散らかった状態って正に今の私だ。

 

一人暮らし時代はね、部屋って短時間で簡単に片付けられました。そもそも物が少ないし、収納する場所だって少ないから物も増えようがなかった。そしてなにせ、自分以外の人の物がない!!!

 

結婚し、子供が増え、家の中の物もごちゃごちゃっとすると同時に多種多様になってきた。やっぱりここでも家は心の鏡だと思う。今までならぜったいしまじろうグッズやアンパンマンがいる部屋には住まなかったが、彼らも仲間に入れれるようになった。

 

家族とは人生を、心を乱す要因でもあり、また豊かにもしてくれるものである。一人暮らしと違って家族生活の中で大事なのは「他者と自分との境界線」だと感じました。広くはない家、自分だけのお部屋なんぞありません。が、鏡台の中に私専用パワースポットを作ったことにより、「ここは子どもたちも入ってこない、私だけの神域」ができました。

 

いくら睦まじく暮らしていても、血を分けてようと(子供)、分けていなかろうと(主人)、自分は自分、人は人なのだ。

 

 子供の頃に親に、姉に言われて嫌だったことなんぞ五万とある。 例えば貸衣装でドレスを着たら「ぼうやが着てるみたーい!」、とか、「あんたはいつも勝手だ」とか。

 

気にはなるものの、他人に言われることはなんとかスルーして来れた。でもね、家族に言われることってグルグルと考えてしまうことが多かった。

 

世の中のことを私はこんなふうに捉えていた。社会とつながるためには、家族という「ヘリ」か壁を超えないといけないのだ、と↓

 

家族の中に封じ込められているというか、それしか知らない・家族という色眼鏡を通してしか、社会を見ていない。家族の中に、うっすらと自分が確立されているようで、されていない↓



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でも、「あれ?家族ってただ血がつながってるだけで実は自分ではないじゃん!」↓

と、わかると自分が少し確立されてきた。

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自分≠家族、ってわかったら違う景色が見えた。ずっとつけていたサングラスを外すと明るい、みたいな感じでしょうか。

 

自分は家族の一員だけど、他の人であり、自分ではないのだ。関わりやつながりが多いから、同じ社会の中で生きているかのように勘違いしてしまうのだ、と。それぞれが個人の社会を持っていて、それがぶつかることも溶け合うことも、平行線なこともあるわけだ。

 

図にすると、こんな感じ?
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太陽系こそが唯一のもの、と思ってたら、実は太陽系は銀河系を回ってるだけで、宇宙には銀河って実はたくさんあった。ってのと似てるのでしょうか。最近主人が見ている「宇宙ヤバイ」動画の話に影響されたのか、宇宙が出てきちゃいました。

 

家族って邪魔なようで大切なようで、ありがたくないようでありがたい。当たり前のようで当り前でない。

 

家族という存在は、自分をしっかりと持つための厳しくて温かい試練なのかもしれない。