打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

文化に優劣なし

他人の考えや価値観を目の当たりにしたとき、「そんなのオカシイよ!!」と思うこと、ありませんか? 

 

「自分は間違ってない!自分は正しい」という気持ちから相手を「オカシイ」と思ってしまう。

 

全ての争いは、「自分=正しい、あいつ=間違ってる」という発想から来る気がします。

 

主人の仕事での話を聞いてたら、そんなことにハッと気が付きました。

 

 

人種、業種、職種、様々な分野において、それぞれのルール(不文律も含む)や常識が存在します。

 

先日、主人は自分とはかなーり色の異なる職種の人々と仕事をする機会があったそう。

話が通じなすぎて、最初はイライラしたが、長いこと一緒いたら、「どうやら違う文化の人たちらしい」と理解できたようです。

 

問題はここから。

 

「そんな文化の中で、何十年も同じ会社で仕事し続けてたら頭おかしくなると思わない?!」

 

主人のこの一言裏には、"絶対にあいつらはオカシイよ!俺みたいな発想の方が健全だよ"という心の声があったのです。

 

そうだね、頭おかしくなるよねと、私が同調してくれることを期待してこんな話をしたみたいだが、私の反応は真逆でした。

 

 

「誰だって、同じことを同じ場所でし続けてたら、感覚が麻痺して頭おかしくなるんじゃない?それは貴方も私も、誰でも同じじゃない?」

 

話が通じないとイライラしてしまうことは、誰にでもあること。

せっかく「違う文化の人たちなんだ」という所まで理解したのに、「俺の文化≫あいつらの文化」って発想になり、人をけなしたりしたら争いが生まれる。

 

 

「自分が絶対に正しい!」のなら、わざわざ人をけなしたり、批判したり、ましてや打ちのめす必要もない。自分の正しさに自信がないから、相手を攻撃してしまうのだ。

 

最近流行りの言葉でいうと、ダイバーシティ・多様性でしょうか。

私は「ダイバーシティ」とか謳ってるものや人は苦手です。大概、中身が伴ってなくて、自分が思う「ダイバーシティ」をアピールしようとしてるだけに見えるから。

 

多種多様なものを受け入れる。その最初の一歩は同じ国民であっても、家族であっても「違う文化の人たちがいる」と理解すること。次の一歩は「文化に優劣はない」ことを理解すること。

 

結局そのために何が必要、って自分自身に自信が持てるようになることなんだ、って気づいた。

 

 

主人に言った。

 

「貴方にこんな忠告してあげれるのって、私と貴方のお母さんだけよ!」

 

 

同調してくれる妻を想定して話したら、逆に説教くらったのに、本当に私に感謝してくれた。

 

違う「文化」の人が、家の中にもいるのだ。

 

普段から、妻に怒られ慣れてるからこそ、感謝に至れたのかもしれない(笑)