打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

ママチャリでの涙

先日ちょっと遠出して、不思議な体験をしました。そこで出会った方々からきっかけを貰いました。

 

「女性性ってなんだ?」

 

を考える。

 

というか、「考えちゃダメ、あなたは考えすぎ!!ただ感じるのが女性性だ。」と言われました。

 

リケジョな私はパズルが噛み合っていくような様が大好き。この女性性について語る人々が言ってることの3割も理解できていなかった。

 

この資本主義社会の日本という国の現代に生れ、生きている私は、女性性とはなんぞやを考える機会は少なかっただろうなぁ…そもそも現代社会では「女性性」って邪魔扱いされやすい気もする。

 

感情的で

不安定で

話は脱線し放題で

生理や妊娠は仕事社会では多少の厄介扱いで

結果がついてこない

 

 

万事は良い面と悪い面があるので、それぞれ言い換えてみた。

 

情緒豊か

柔軟

話の幅が広い

子供をこの世に送り出す船を体に秘めている

プロセスを重視する

 

こうやって考えれば、女性性はすごく良いものなのになー。

 

私自身が、自分にも女性性の部分を、肯定できていないから苦しいのかな、と感じます。

 

あ、女性性って男性にもありますよ。逆も然り。情緒豊かで柔軟的な男性もいれば、結果重視の安定的な女性もいる。個体差の問題だな、と。

 

この「忘れられがちな女性性はどうしたら大事にできるのか?」って聞いたらね、師曰く。

「正解を求め、結果を求めること自体が女性性ではない。女性性ってのはただ今あることを感じるだけよ〜」

 

といとも簡単なことのように言ってたよ。それが今の私にはすんごい難しいのだけども。

 

少しずつ「感じるだけ」の時間をちょっとだけでも作ってる。不思議といつもと同じことをしているのに、幸せな気持ちになれた。

 

例えば、ママチャリに子供たちを乗せて走るとき。

いつも:あーペダルが重い…→(考える)→はぁ…(息切れ)→電動アシストモードを強にしよう(息切れ)

 

「感じる」:ペダルが重いなー→重さを感じる→二人の娘を乗せてるからなんだ。今日も元気に過ごせたから、二人を乗せて自転車を走らせることができるんだ。二人が居て良かった→なんだかしんみりしてしまい、ちょい涙

 

えー、ママチャリに子供を乗せながら涙ぐむ私は、ちょっと変人というか「あのお母さん大丈夫かな?」と心配されたかもしれません。

 

この感極まって泣いていたのは一瞬だし、二人の重さを感じていつもより幸せな気分になっていたのは、たったの一分程度です。

 

1分でも1秒でもいい。

そんな時間がもっともっと増えていけばいいなぁー。

 

こんなこと書いてたら「1分だけでも優しくできた♪」ってブログ書いてたな。

 

最近また忘れてた。たとえ1分だけでも、しっかり集中して娘たちそれぞれに思いっきり優しくする、

 

こんな時間を一日に一回は意識して作らねば!!

 

人間ってのはすぐに忘れる生き物だ。