先月のとある週末に、子連れ小旅行しました。子供フレンドリーなリゾートホテル→主人の祖母の家というコース。
ホテルは、美味しいビュッフェ(れーちゃんナゲット食べ放題)、おむつの子(ワカメちゃん)も入れるプール、大きなお風呂、遊具、お庭、という贅沢なラインアップ。ちょっと奮発して広いお部屋を予約しました。
ちょぴっと非日常な贅沢をしてみると、今まで気づいていなかった・忘れてた事を思い出すんです。旅で得るものは何か?というお話です。
ホテルで一泊した後は、主人の祖母(80代)がお家でお昼ご飯を振る舞ってくれました。
れーちゃん、ワカメちゃんにとってのひいおばあちゃん。食べきれないほどのお昼ご飯を用意し、ひ孫に会える日を楽しみにこの数カ月を生きていれば来た様子。(食べきれなくて、お腹いっぱいなのに「マグロもあるのよ〜」など次々と新しいものが出てきて、フードファイト状態だった^^;)
帰り道も車移動なので、このままじゃ子供たちのストレスが…と思い、ひいおばあちゃんの家の近所の公園で遊びました。
なんの変哲もない普通の公園の素晴らしさを、この日ほど思い知ったことはありませんでした。
ブランコやジャングルジムなどの一般的遊具スペースの隣に、だだっ広い芝生スペース。人が少なくてとても空いてたのが良かった。
都会の真ん中では、公園が広くても人口密度がものすごく高い。だから、子どもたちはなかなか伸び伸びとは遊べてないんだなー、この広い空間を自由に使えることが嬉しいんだな。
二人共、ホテルの広いお部屋よりも、ちょっぴり豪華なプールよりも、この何の変哲もない公園が一番楽しそうだった。
そして誰よりも楽しかったのは、同じく都会育ちである私でしょう。広々とした空いてる公園で子供たちと思いっきり遊ぶ。妊婦ではない自由さが、特に嬉しく感じたのもこの時。運動不足な体で真面目に鬼ごっこしたら息があがった。
ありふれている公園というスペース。
高いお金を払って、渋滞に巻き込まれ(予想外)、ホテルでいつもと違う枕でなかなか眠れぬストレスを抱えて、これを通して学んだのは「ありふれたものを楽しむ」ということ。
子供にとっては、高級(的な)ホテルのプール、「普通の公園で、親と思いきり遊ぶ!」方が楽しいんだ、とわかりました。
特別ではないもの。娘たちがそれを楽しめる様な子に成長してくれてて嬉しい。
そして、我が身を振り返る。私自身も「特別ではないもの」を楽しみたいなぁ…と。忙しく生きているとつい忘れてしまう、「特別ではないもの」のありがたさ。
まず、私が痛感したのは、「筋肉痛ではない体」が、とってもありがたかったということ。
広くて空いてる公園が楽しくて、調子にのって、れーちゃんと鉄棒で遊んだら、次の日筋肉痛になった。
おかげでトイレが大変だった。ズボンやパンツの上げ下ろしが、かなり腕にキタ。そんな
筋肉痛から二週間程経ち、すっかり元の体に。
こんなに筋肉痛になるほど遊んだのに、逆上がりはできなくなってた。あんなに努力してできるようになったのに、すっかりできなくてなってて、歳月と体重の重たさを感じる。