打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

末っ子解放戦線(末っ子の言い分)

二児の母となった今、子供時代の私を育てた親の苦労も垣間見えます。

 

「あのときはごめん」と「あのとき、お母さんとお父さん、私に対してちょっとひどくなかった??」

 

そのどっちもが、ふっと心に湧いてくる。

 

兄弟構成の中の妹・弟側は、実はこんなこと思ってたのかもよ?と、この世に勝手に公言したい。妹だからって、ワガママじゃないんだぞ!と。

 

中々皆は言わない、「あのときの親への恨み」を語ってみたり。

 

 

 

私はとにかく、大人しくじっとしているタイプではなく、好奇心と瞬発力のまま、シュターっとどこかに行ってしまう子供だった。私は三姉妹の末っ子。外出先で娘二人を見張るのも大変だ。三人見ていた母はもっと大変だったんだろう。

 

「いっつもすぐどっか行っちゃう」

 

すーぐ迷子。しかも、本人(私)は、「自分じゃなくて親が迷子」と思って、親を呼び出す放送をかけてもらったりしてる始末。悪気は全くなかった。

 

 

幼少期、比較的おとなしめ(というか母にべったりくっついてるタイプ)だった次姉の後だったからか、私を見張るのは輪をかけて大変に感じたのだろう。

 

 

「後、何分?」

旅先での長距離移動に耐えられず、二分毎くらいに、到着先までの道すがら聞きつづけたり、姉たちに比べ私は短気に見えてたらしい。

 

私はこれをずーーーーっと小さいころから聞かされ「私は短気なんだ。我慢できなくて、すぐにどっかに行っちゃう子供なんだ」と、思い込んでたんです。

 

が、あんまり腑に落ちてなくて、なんだか不満が溜まりつづけてた。その不満の正体が、最近わかったのです。

 

そもそも年齢に合わないことに、付き合わされてたのでは?

 

誰が悪いとか、そういう話をしたいんじゃありません。相性とタイミングの問題

 

 

スキー旅行、長距離の列車移動、色んなことが、全て姉(長姉は7つ上)や親の年齢設定であったということ。

 

【体調編】

ニセコに旅行したとき、お前が熱を出して大変だったんだそ!!」

 

その時私は 0歳の赤ちゃんだったそう。東京育ちの赤ちゃんが、急に北海道に行ったら寒くて風邪をひいてもおかしくないでしょう。乳幼児である私の娘たちは、特に0歳時代はしょっちゅう風邪を引く。

 

そりゃー旅先で赤子が熱を出したら大変だったんでしょう。。。心配もいつもより増すよね。が、それ、多分私のせいじゃない(笑)

 

 

【脳みそ編】

乳幼児の娘たちを育てながら、私がいつも思うのは「早く人間になって欲しい」。

 

長期的に何かを考えたり、芯まで理解してそのために我慢できるようになるのは10歳位からだと、私は感じています。科学的にも脳みそが人間として完成し始めるのが 10 歳前後らしい。

 

その年齢になる前に、長距離列車で〇〇を見に行くために静かに我慢しよう、なんて話は通じないんじゃないか。

 

「お前は忍耐力が弱い」とか言われ続けてれば、本当に忍耐力が弱くなる。そんなマウンティングしたって子供は静かにならないよーん!ただの悪循環。

(と…書いて、自分もそれをやらないように戒める。)

 

 

【説明不足】

そもそも、上記の「〇〇を見に行くから電車で頑張ろう」みたいな事前説明って、私は親から受けたことないかも!少なくとも記憶にない。納得して「わかった。じゃあ静かにしていよう」と決心できるほどの説明ではなかったんでしょう。

 

いくら子供で頭が回らないところがあるとはいえ、説明くらいしてよ。その部分は大人と同じだけ事前情報欲しかったよ。

 

いくら説明しても、納得はしなかったかもですが^^; 「私はこんなとこ行きたいなんて言ってないのに連れてこられた!!」と多少の理不尽さも感じることもあるでしょう。それを口にしたら「お前は我慢が足りない」とかバカにされて、当時の私は悔しかったんでしょうね。

 

しかも、今と違ってその悔しさを言語化できないので悔しさとモヤモヤ感は半端なかったでしょう。んー、子供時代の私、頑張った!

 

【窮屈だったのかも】

すーぐにどっかに行ってしまう迷子になりやすい私は、家や学校を窮屈に感じていたのかもしれません。だからチャンスがあればササーっとシュターっと逃げ出してたのかも。

 

親の期待をしっかり読み取る正に長女タイプの長姉も、母にべったりタイプだった次姉は堅実に日本国内どころか自宅から通える大学に進学。私は大学どころか、高校生の間に一人で渡英して結局イギリスに 6 年も住んでた。 

 

ここではない、どこかへ

 

受験し、越境して国立の中学に。

そこでの進学が嫌になり、都立高校へ。

人生経験を積みたくイギリスへ。

イギリス国内でも転校してみたり。

 

私は子供の頃から、いつもいつも、「ここではないどこかへ」行きたがっていたのではないか、と思う。 

 

三つ子の魂百まで、ってこういうことかな。私は発想は内向き(私の信念に合ってるのか?などを考える)だけど、それを外側に発信したい、ということは昔から変わらなかったのかも。

 

 

 

「すぐにどっかに行っちゃう子供」は親にとっては、かなーり大変なので、それを褒められることはあまりありません。貶されることが多い。

 

 

だから、言われ続けた子供は、自尊心が傷ついてるかもしれない。だから、私は今、あのときの自分を褒めようと思います。それだけ心が外に向いてる子供だったんだ、と。

 

自分も親である今、子供を見失うかもしれない恐怖は非常によくわかります。

 

お父さん、お母さん、あのときはごめん。

と、同時に、

 

いやいや、あれは年相応じゃなかったよ!

を思う。

 

 

そして何よりも、結構傷ついていた、あの頃の自分に言いたい。

 

「年相応以上の難易度のことに付き合わされてたのに、『ワガママ』とか言われて、私はあのとき不当な扱いで悔しかったね。大変だったね。頑張ったね。」

 

とにかく共感したい。

 

誰しもどこかしら、何かしらの心の傷はある。どんなに幸せに過ごしていてもそういうもの。

 

もし、幼い頃と自分と会話できたら、こんな事を伝えたい。