保育園から娘たちを連れて帰る道。
2人を乗せた自転車は、ずしんと重い。幸せと責任の重さと同じ分。
幸せって、「今ないもの」を探し回るものじゃない。目の前にあるものと自分の中の幸せ記憶を関連付けて手繰り寄せるだけで、幸せな気持ちになれるんだなぁ、と実感。
今回幸せな記憶を呼び寄せたのは「牛肉の焼ける香り」でした。
保育園の帰り道は、二人共無言だったり、爆音で歌ってたり、イヤイヤ言ってたり、今日の出来事を教えてくれたり。今日は二人共無言でした。
そんな道中、どこぞの家からか、良い匂いがしてきました。牛肉の焼ける香り。なんだかそれだけで少し幸せになったのです、
その香りは、すき焼きを思い起こさせました。イギリス留学中、私は多くても一時帰国は年に 2 回。帰国する度に、母はすき焼きを用意してくれてたっけ。
ホームステイ時代はホストファミリーのご飯で、大学生時代は貧乏学生らしい自炊で生きてました。牛肉は高くて、なかなか手を出せない品でした。しかも、イギリスには薄切り肉は売っていない。
帰国した家のテーブルには、私の好きなお肉が沢山用意されてて、それを誰かに焼いてもらえて。20 年以上使っているすき焼き用の鉄鍋で焼かれた、あの時食べた牛肉は感動ものでした。
留学する前には当たり前だったものが、凄く贅沢なものだと感じていたのです。
今夜嗅いだ牛肉の香りと、自分自身の帰国と娘たちを連れて帰宅する姿も重なったのか、記憶が鮮明に蘇りました。
どんな光景だったか?
どんな味だったか?
どのくらい食べたのか?
こういう客観的事実を詳しく覚えてはいません。よく覚えているのは、思い出せるのは、「あの時どんな気持ちだったのか?」ということ。
客観的事実を記憶する際、事実をありのまま覚えていないことが多い。人間だれしも、自分が見たいものを見たいようにしか見ないし、記憶が半自動的に、ご都合主義的に、改ざんされている。
それでも、「あの時こんな気持ちだった」という自分の心は、忘れない。
あの時のすき焼き、とっても美味しかったなぁ。
お母さん、ありがとう。
すき焼きを食べる度に、どこかで見かける度に、この気持ちを思い出したい。そんな幸せな記憶の引き金になるものを、いっぱいいっぱい持ったら、もっと豊かになれる気がする。
牛肉の香りがする家の前を通るとき、もし娘たちが爆音で歌っていたら、私が空腹で死にそうだったら、こんなことは思えなかったでしょう。
同じ事象が目の前にあっても、自分の状態次第で受け取り方がこんなに違うのだなぁ…と、我ながら多重人格になったのでは?と驚くほどです。
それって、そういえば生理終わったからかも。