打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

右脳左脳、右往左往

「子供時代、親って私のことをどう見ていたのだろう?」って気になること、ありませんか?思いがけず、今日私はその扉を叩きました。

 

6年間イギリスに留学していましたが、その最初のきっかけはかなり変わっています。

私は、国会中継を見て、議論の稚拙さと野蛮さに絶望し、国外脱出を考える変な中学生でした

 

思えば、中学時代よりも前から、私は変わっていたのだろう。親として、母は私をどう見ていたのか、ふと知りたくなって聞いてみた。

 

「私って昔からちょっと変わった事を言ってる子供だったと私は思う。お母さんはどう思う?」

 

質問してみたら、へぇー、そんなこと思ってたのか!とわかったことが。

 

母曰く、私は「右脳タイプ」だそうな。右脳ってどういうことよ、って聞いたら要するに直感的、感覚的ってことだ。

 

例えば、図形や積み木など、「左脳タイプ」の母や父は大きさを測ったり計算してから問題を解いたり積み重ねたりするそうな。パズルなら完成形を脳内でじっくりシミュレーションしてから実行してみる。私は確かに「右脳タイプ」。脳内シミュレーションは一瞬、または無で先に組み立ててみて、失敗したらやり直す派。考える前に手を動かしたり喋ったりしているらしい。

 

「かおちゃん(私)は、私達(父と母)とは違うタイプだと思っていた」そうです。

 

それを意識し出したのは、私が生まれてからだそうで、つまりそれまで接したことのある姉二人に関しては同類(左脳タイプ)と認識しているらしい。異色の人が居てみて、自分が何色なのか?気づくというのは、古今東西よくある話。どれだけ色白なのか、色黒なのか、腹黒なのか、他者がいなければ知りようがないのだ。

 

母がふと言った。

 

「芸術家って、そっち(右脳タイプ)なのよね。」

 

ん??これって遠回しに、母は「貴女は芸術家タイプだった」って言ってない??めっちや意外。

なんて、母が言い出した。両親とも化学の学者の家庭には、芸術系のことなんて無縁と思って育ってきた私。一番縁遠いのが芸大なんて言われて育った。何を見て、私を「芸術家っぽい」と思っていたのか、母の真意は今日は聞けなかった。

 

れーちゃんとワカメちゃんが騒ぎ出してしまったから、それどころではなくなった。これ以上深堀りしたくてもできなかったが、私は知りたい。

 

母の目に映っていた私の芸術家っぽかったことってなんだろう?例えば、自分の絵が修学旅行のしおりの表紙になった、とか?

 

芸術方面に私を進めようとしたことも、一度もなかったし、教師・学者家系らしく「勉強こそ唯一絶対の必要条件」として私は教育(脅育)されてきた。芸術方面で生きることなんて、許されない!と思って生きてました。

 

が、果たして本当にそうだったのか。私が親の期待を勝手に飲み込んで拡大解釈していただけなのか。ただの誤解だったのかもしれない。

 

右脳タイプ、左脳タイプ。少なくとも、母は「かおりと母は違うタイプ」と認識していた。きっと父はしていないでしょう。私と父が馬が合わないのはそのせいだったのかもなぁ…。知る由もない、右脳左脳の違いに右往左往していたのか。

 

自分はどちらなのかの自己認識も、相手のタイプも理解していない。別タイプならデフォルトでの理解は望めないし、互いの違いを知らなければ埋めるべき溝の存在にも気づかない。

 

「自分ってどんな子供だったのかな?親にはどう映っていたのか?」を深堀りするだけで、なんだか過去の自分が救われて来た気がした。

 

さあ、次に母に会う時に、照れずに続きを質問できるかしら。   

 

「私って芸術家タイプだと思ってたの?なんで?」

って。