「2人育てるってどんな感じ?」
最近こう聞かれることがしばしば。私の出産は、同世代に比べると比較的早かった。今から子供を欲しいなり、2 人目欲しいなり、という方々が聞いてくださいます。
私の娘たちは、れーちゃん(4歳)とワカメちゃん(もうすぐ 2 歳)という 2 歳 3 ヶ月差。れーちゃんが 1 歳半のときに、私は再び妊娠するに至った。
「 2 人目どうする問題」として、以下を書きます。
- 2 人目を作るにあたり、話し合ったこと(今日はコレ)
- 2 人居て大変な事、2 人居て良かった点
■ 2人目を作るにあたり、話し合ったこと■
長女れーちゃんが 1 歳 0 ヶ月のころは、夫婦共々「今もう一人妊娠するなんて無理〜!年子ってすごすぎる」と、意見が一致してました。
が、数カ月経つと、夫婦間の温度差も出てきた。
妻:2 人目なんて無理!!いやだ!5 年以上先か、無しで良い。悪阻、産後、夜泣き、離乳食、すべてをもう一度やれる気がしない。
夫:2 人は欲しい。出世の階段をある程度登ると、管理職になり、そうなると家庭での時間をしっかり取れる今の働き方はできなくなる。だからできれば早い方が良い。
この温度差は、やはり男女の体の違いによるものが大きかった。
正直、私にとっては、一年半くらいが産後(日常ではない状態)だった。
まだ「産後」の私は、全然乗り気ではなかった。悪阻や産後の苦しみを一度味わってしまい、当時の私は、続く不規則な夜泣きから体調を崩し、かなりやせ細っていた。一人目のときのモチベーションと大違いだ。
「産後」、相当悪い体調をなんとかすべく、医者に処方してもらった薬を毎日飲んでました。断薬できなければ妊娠を望むには不適切だし、そもそも私は乗り気じゃない…というか、体力的にも精神力的にも自信がなかった。
「こんなに悪阻が重くて、産後も苦しくて、キャリアが完全に断絶させるなんて、私の時間を返して!」
と思っている最中、大した間もないのに社会から切り離された生活を強いられるのかと思うと、妊娠に消極的どころか、拒否だった。
自分の人生に責任を持たない発想ではあるが、これが当時の私の正直な心理だった。院卒&最初の出産が比較的早いので、子なし状態でバリバリ働けたのはそう何年もなく、経験不足も感じ、同期や同級生が活躍している姿を見て、多少の焦りもあったのかもしれない。
いや、他人と比べてどう、とかではなく、私自身が「ママでしかない」のが凄く嫌だった。社会と断絶される感じが耐え難かった。
ママや妻という属性しか持たなくなり、かつ「良いママ」でも「良い妻」でもなくて。そもそもそれって誰がどうやって測るのか。学校の勉強には分かりやすく比例する点数評価があったし、会社の仕事は比例はせずとも何が評価されるのかの基準は理解できた。評価者もだれか明確である程度給料にも反映される。けど、「ママ」や「妻」って、一体誰が何を評価するのか、それってそもそも私に利があるのか。
定量的に客観的に示せるもの。私がそう言ったものばかりを物差しにしていたことを痛感させたのが妊娠と子育てだ。
つらつらと「今は2人目欲しくなかった」という私の気持ちを書いてしまった。
今度は主人側の気持ちを。(※あくまで私の知る範囲内)
れーちゃんが生まれて 9 ヶ月後頃、主人は働き方、むしろ生き方を主人は変えた。仕事か家族かどちらを取るのかの究極の選択を経て。これは産後クライシスの産物。育休を取ったり、復職後は定時退社するようになった。
彼の職場は、長時間労働者も多く育休を一ヶ月以上取る男性なんて皆無。定時退社す人もほぼ居ない中、特例的に、私に言わせると「健康で文化的なまともな」働き方にシフトした。これは長期的な措置ではないと感じた主人は、「今こそ 2 人目を作る良い機会では」と考えたのでしょう。
私も男性だったら同じことを考えたかもなー。すごく合理的だからね。キャリア的な犠牲をミニマムにしつつ、家族を大事にするにはこれだ!と、主人は思ったのでしょう。
育休を取ったり、定時退社したり、彼にしてみれば劇的な変化だったろうが、キャリアを中断はしなかった。特例措置で、少し気まずい思いもあったかもしれないが、中断はしていなかった。そこは私との大きな違い。
今がチャンス。そろそろ次に行ってもいんじゃない?
どっちの方が大変論じゃなく、違うんですよ。男と女では、苦しみの種類も大きさも期間も。
妊娠出産においては、どう考えても女性に負荷がかかる。その期間も長い。しかも妊娠というのは、してみないと悪阻がどの位大変なのか、とかわからない。
私は中断されたキャリアを取り戻したい気持ちも強かった。5 年ほど空ければ、れーちゃんはそれなりに手がかからなくなってるだろうし、私も産後回復はしているだろう。
が、5 年ほど空けると、主人は管理職になって定時退社なんてできず、悪夢のワンオペ再び、となるかもしれない。
どっちのが大変なのか、当時まだ居もしない2人目がいる状態を想像した。
「なんで 2 人目を欲しいの?」
私は疑問だった。なぜ、主人は2人目をそこまで欲しいのか。部分的とは言え、一度共に地獄を見ているのに、またあの茨道をなぜ通る気になっているのか。彼の答えは、
「俺自身が欲しいと思っている。理由は、『れーちゃんに兄弟という仲間を残したいから』」
とな。
親は子供よりも先に死ぬ。子供のために残せるものは、知恵、思い出、金(揉め事にもなりやすい)、そして兄弟。
血は水よりも濃く、肉親の存在とは強い。主人はそう考えてるらしい。
子育てを妻任せにして、素知らぬ顔で他人事扱いすることが、男性にはできてしまう。男性側にそのつもりはなくても、女性側にはそう映ることがある。
今回は、そうなりたくなかった。さもなくば、 2 人目は永遠に欲しくなかった。
「そこまで言うのならば、今回は貴方が頑張るのね??!れーちゃんのときは妊娠・出産・産後は私任せだった。それならば私はもう子供は欲しくない。今回は同じことにはならないのね?」
と、私は詰め寄った。
- 育休を最低 3 ヶ月は取ること
- もし下の子ができたら、その子が 3 歳になるまでは定時退社すること
これを約束できるなら、 2 人目を考えても良い。口約束だけで、守る気がないなら堕胎する、くらいの本気度で夫婦間での約束をしました。
ここまでの約束をしても、いつ子供ができるか、は神様が決めること。夫婦間での合意が取れた後は天に委ねることに。
私の体調も回復し、妊娠には向かない薬を断薬して一ヶ月経った頃、体の異変と生理の遅れに気がついた。
そう、あっという間に我が家の第二子(現在のワカメちゃん)は、私の子宮にやって来た。
かなーり 2 人目には消極的だった私は、主人の強い覚悟と希望、ワカメちゃんの「生まれる」という意志の強さによって、ワカメちゃんを宿すことになった。
母体とはこの世に生まれるための乗り物。それを実感せざるを得ないワカメちゃんの意志の強さだった。
長々と書きましたが、要するに
「お前が欲しいって言うならば、それなりの覚悟をしろよ。だったら、私も 2 人目妊娠について考える、というスタートラインに立っても良い」
と私は言ってたわけだ。
偉そうに聞こえるかもしれないけど、それだけの覚悟を一緒に持ってくれねば、私は挑戦することすらできなかった。
街で、電車で、妊婦さんを見かける度に、思う。
妊婦さん、貴女たちは、もう生きているだけで、それだけで偉業なのだ。それ以外何もしなくていいと思う位。
私の母は何を思ったのか、3 回目の出産で、私を産み育ててくれた。
まったく、それに関して感謝するしかない。私もそれなりの確固たる意志を持って、生まれてきたのだろうか。
命ってすごい。