打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

本当は怖い中世の騎士道

中世ヨーロッパ。

なんだか格好いい響きだなー、なんて今まで思っていたが、実態を知れば知るほど怖くなる。

 

「中世ヨーロッパに生まれなくて良かった…」

 

これが、中世ヨーロッパの主役格の中世の騎士が率いた十字軍の実態を知った私の思い。

 

塩野七生さん著の「十字軍物語」の読書感想文(まとも版)です。

 

※感想くだらないバージョンはこちら


十字軍物語(一~四)合本版(新潮文庫)
   

騎士道。相手が弱ってるときに攻め込んだりしない紳士的な精神を持つことを示す。が、それが始まったとされる中世ヨーロッパでは、真の意味での紳士は少数派であった、と私には見えた。

 

一部の真のエリートを除き、「騎士道」が通用するのはキリスト教徒間だけであった。

 

異教徒、中世ヨーロッパ人にしてみればイスラム教徒かユダヤ教徒か、は人間扱いしない人も多かった。それも、社会の上層部に。

 

中世ヨーロッパは、カトリック教会の力が強く、聖職者とは社会の上層部、どころか「我らこそ最上部の神の代理人」だった。

 

異教徒となれば斬る。それを正義とする。 

異教徒との戦いで死んだ者は、殉教者となり天国への道が約束されるのだから、死を恐れずに異教徒憎しと戦争する。

 

中世のヨーロッパとは、十字軍とはそういう文化だったらしい

 

ご存知のとおり、十字軍とは聖都イエサレムをキリスト教の勢力内に「奪還」することを目的としたローマ・カトリック教会が扇動した軍です。

 

 

第一次十字軍を扇動した聖職者のベルナールは「異教徒は悪だ!やつらは殺すしかない」と力説していた。

 

異教徒となれば斬る。それを正義とする。 

異教徒との戦いで死んだ者は、殉教者となり天国への道が約束されるのだから、死を恐れずに異教徒憎しと戦争する。

 

少なからず、この発想の持ち主が多かったのが中世ヨーロッパ、または十字軍であった。

 

「異教徒は殺せ」と扇動したベルナールを「聖人」としてしまう当時の世界観は、20世紀の日本に生まれた私には、到底理解できない。殺人の是正!?

 

日本とはそもそも多神教の国で、「他の神を信じる奴を排除する」という発想がない。こと、第二次世界大戦後は、無闇な戦死者を出してしまったことからなのか、国として全体的に宗教色が弱まる。(日本は多様性には乏しく均一感や同調圧力が強いが、宗教に関してはそうならなかったのが不思議。)

 

イエス・キリストは「隣人を愛せ」と言ったものの、中世ヨーロッパ社会ではこの「愛すべき隣人」はキリスト教信者に限定していたのか。

 

 

宗教は発祥してから1000年前後が、大掛かりな戦争になりやすいのは、キリスト教イスラム教も同じらしい。

 

宗教の力が強く、人命よりも「神の意志」が優先される時代。「○○しなければ、さもなくば地獄行き」と脅す恐怖政治。ま、私に言わせると「神を利用する支配者の意志」が優先される時代かな。

 

キリスト教は、発祥してから2000年近く経過してるので宗教勢力も少し落ち着きつつある。発祥して1000年前後であるイスラム教は、社会的影響力が他の宗教よりも強いのかしら。

 

キリスト教が基盤となる西洋諸国では、イスラム教の聖戦(ジハード)を馬鹿ににすることもあれど、1000年前に自分たちも同じこと(十字軍遠征)をしてるじゃない。私には同じに見えてならない。

 

宗教批判をするつもりはないし、信仰は個人の自由だ。ただ、私の感性に合うか合わないか、の個人的意見を述べます。

 

自分の信仰を押し付けるのは、本当に辞めてもらいたい。

布教を試みる人は一定数居て、彼らの「善意」と来たら、余計なお世話の一言。彼らは「我らの神を信じることで、貴方も救われるんですよ」と信じて疑わない。

一神教信者にしてみれば、他の神の存在を認めることこそ、己の神への冒涜なんだろう。

 

誰かの逆鱗に触れそうなものだが、十字に人間が磔にされてる姿なんて、目に毒な気がする。しかも、自分が崇拝する人がそんな惨めな姿に…。なぜそれを好き好んで飾るのか、あんまり理解できない。私に言わせると「趣味が悪い」。聖母マリア像の方が「趣味が良く」思える。まあ、同じく、日本の仏像や般若面だって、「趣味が悪い」と言われかねないので、これは五十歩百歩かも。 

 

 

「中世の騎士道」って、なんだか格好良いものだと思っていたのが、覆された本でした。こんなブログを書いている私は、中世ヨーロッパに生きていたら袋叩きにされていたでしょう。

 

見栄えが良さそうなものだって、蓋を開けてみれば恐ろしいものかもしれない。逆にしょぼそうに見えるものも、知ってみたら素晴らしいものかもしれない。

 

どんなに凄い人でも、生身の人間であることを忘れないように生きたい。

 

 

そして、今、私が生きているのは暗黒の中世ではなく、21世紀の日本であることが、とてもとても恵まれていて有難いことなのだ、と実感した。

 

ここまで思わせてくれる本って凄い。