子供ってのは、やるべきことはやらずに、して欲しくないことをやる(事が多い)生き物。そして、母親とは必要以上に怒ってることが多い生き物。
頭でいくらわかっていても、イライラして必要以上に怒ってしまうことが、私には多々ある。
振り返れば、「大した問題ではなかったのに…あんなに怒ってごめんね」と時々思う。
「あんなに怒る必要はなかった」と、我に返ることかできるには、○○○○はないほうが良い、と気づきました。
一生懸命やってるから、やらなければならないしことが多いから、イライラしてしまう。
かなりイライラしているときは、家の中とは言え少し離れるには、私が落ち着くためには効果的。
とある日、お風呂イヤイヤ論争でイライラしていた私は、風呂で長女れーちゃん(4歳)と次女ワカメちゃんに二人で勝手に遊んでもらってました。安全のために、物凄く浅瀬にして。
二人がお風呂でキャッキャと遊ぶ中、リビングで座って休憩中。気持ちがようやく落ち着いてきた頃に聞こえてきた。
「わー♥アワアワのお風呂だー!」
んん??アワアワのお風呂?泡なんて入れてなかったぞ?
と、風呂場を覗くと、なんと、れーちゃんはボディソープの蓋を外し、風呂釜に全投入(400ml)していた。
昨日買ってきて、昨日に詰め替えたばかりのボディソープ(ベビー用)。詰め替えたばかり。家にストックはない。
詰め替えるために、容器をキレイに洗って乾かして、やっと詰め替えた。
家族全員そのソープを使っているので、娘たちの後にお風呂に入る私が使うボディソープは残っていない。
- 空のボディソープの容器
- 泡だらけの風呂釜
- 泡だらけの娘たち
このとき私はぷっつんと切れてしまった。相当怒った。
ボディソープを誰か買ってきて、用意してると思ってるのか。泡だらけの風呂釜は誰か掃除してるのか、泡だらけの娘たちの泡を洗い流すのは誰だと思ってるのか。
めちゃくちゃ怒りました。鬼の形相だったでしょうか。
あまりよ怒りっぷりに、れーちゃんも「ボディソープをあんなに使っちゃいけなかったんだ」と理解した様子。
二人の泡を洗い流し、体を拭き、服を着せ、髪を乾かし、絵本を読む。
イライラしながらも、何百回と繰り返しているこのルーチンをこなす。
寝かしつけが終わり、かなり脱力している中、振り返ると「なぜあの時、私はあんなに怒ったのだろう」と不思議になった。
怒るというのは、相当なエネルギーを使うらしい。結構疲れた。
ボディソープ全出しは褒められたものじゃなくて、是非辞めて欲しいことではあったが、きっとそこまで私が怒る必要はなかったのだ。
寝入ったれーちゃんの顔を眺めて伝える。
「さっきはあんなに怒ってごめんね」。
たった数百円のボディーソープをまた買えば済む話だった。
振り返れば、ものすごく些細なことでも、ものすごくイライラしてしまうことがある。それだけ自分が一生懸命だったから。いっぱいいっぱいだったから。
ふっ、と力が抜けた時、家事も含む「しなければならない仕事」が終わった時、我に返る。
一生懸命なゆえに、イライラしてしまう。
頑張るがゆえに、イライラしてしまう。
一生懸命生きること、頑張ること、しなければならないことを終わらせること。
どれも大事なこと。それが自分を苦しめ、子供を、夫を、必要以上に怒ってしまうのであれば、どれも少し緩めなくてはいけない。
可愛くて仕方ない子供たちでも、イライラして仕方ないことがある。私には、ほぼ毎日ある。
お母さんって、なんだかよく怒ってる生き物。私は、「怒らない子育て」だけが良いとは思わない。喜怒哀楽をしっかりと表現するためにも、怒りだって必要。怒ってたって良いんだよ。
怒りすぎちゃうときは、頑張りすぎない、一生懸命にならない、タスクを後回しにしても良いことにする。
気が短くて、目の前のタスクは終わらせないと落ち着けない、器の小さい私には少し難しいかもしれない。
だから、意識的に、自分を緩めようと思う。時々ね。
子供たちの寝顔が、いつもより一層可愛く見えるのは、イライラー!とか「子供の歯磨きやらなきゃー!」とかそういう雑念がなくなり、緩んだ状態でれーちゃんやワカメちゃんを見つめているから。
だから、子供の寝顔はかわいいのだ。
れーちゃん、ワカメちゃん、今日もありがとう。
いっぱい寝んねして、大きくなってね。