打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

桃ばあさん

イカ、ぶどう、メロン、桃、マンゴー。夏の果物たち。

 

都会育ちの江戸っ子な私は、野菜や果物の季節感を地肌では感じずに育った。それでも果物の季節感がわかるのは、寺である実家の仏様の前に並ぶ果物が季節ごとに変わるからだった。

 

春になればいちごが、夏はメロンや桃が、秋には梨や柿、冬にはりんごやミカン。お寺のお供物で私は、季節感を学んだと言って過言ではない。

 

今年も、夏、桃の季節がやってきた。

 

桃の皮を剝いていたら、ふと、その昔祖母(父方)が剥き方を教えてくれたことを思い出した。

 

ハッキリ言って、私は父方の祖母が嫌いだった。私史上、最悪に性格の悪いばあさん。身内が言うのもなんだが、一緒に暮らすとイライラが募るばかりの人だった。

 

必死で受験勉強してる孫に向かって「女の子が大学に行くなんて!!」

初めての育児であたふたしている孫に「下手くそ」

妹(私)が幼少期に入院中、母は付き添い入院しなければならず、家に置いてかれた私の姉に向かって「お母さんが帰って来ないのはお前が悪い子だからだ」

 

こういう事を言い、平気で嘘をつくばあさんだった。いくら身内でも、フォローしきれない。意地悪な人。

 

ボケてからは、自分の発言を忘れて、何回もこのイヤーなコメントを言うようになり、不快度が増す。

 

嫌なばあさんではあったが、良い思い出もあった。介護レベルが上がり、老人ホームに行った今、彼女の嫌な発言を聞かずに済むことに慣れてから、ばあさんとの良い思い出もわいてきた。

 

桃の剥き方、花札のルール、箸の持ち方、礼儀、数回だけの茶道のお稽古、同居していただけあり、実は結構色々と教えてくれたのだ。当時は「おばあ様」と呼んでたっけ。

 

 

こんな事を思い出した所で、もはや無駄なのか。

 

認知症が進み、孫の顔は愚か、実の息子(私の父)のことも分からず、息子を「兄さん」と呼ぶ。

 

貴女の兄さんは何十年前に他界したはず。孫、息子、と順々に忘れ、戦後嫁入りと同時に上京したことも忘れている。

 

末の孫の私なんて、一番最初に忘れた家族だろう。表面上は普通に話していたが、前回見舞った時に、ついぞ私の名前を言うことはなかった。もう二度と、私の名前を呼ぶことも、私の顔を思い出すこともない。

 

基本的に嫌な奴であることには変わりないけど、離れていると、冷静になり、良いことも思い出せる。あんな嫌な奴との思い出さえも、過去は美化されるんだなぁ…としみじみ実感した。

 

ホームに行って、ほぼ会わなくなったからか、おばあ様が生きている実感はまるでない。  

 

祖母の認知症はこれからも進行し、幼児状態まで戻るのだろうか。

 

人間は、前世や過去世での記憶を全て忘れて生まれてくる。なんなら赤ちゃん時代の記憶も忘れてしまう。認知症はまるで、生きながらに死んでいる状態なのか。

 

嫌味なばあさんに忘れられたとて、本当に全然寂しくはない。が、いずれ私もああなるのか、父や母も同じ道を行くのか、良かったことも嫌だったことも全て忘れて幼児化していくのか。

 

そう思うと、なんとも言えない気持ちになった。

 

桃一つで、色んな事が頭を巡る。

 

娘たちの可愛い寝顔、夫婦でくだらない話で笑える楽しい時間、決して忘れたくないものが、沢山ある。

 

私もいつかは、忘れてしまうのかもしれない。だから、覚えていられる今は、それらを大事にしなければ。

 

強く強くそう思う。