打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「アンチエイジング」に違和感

アンチエイジング」という言葉が巷に溢れている。

 

美容液、サプリメント、あらゆる美容・健康分野で出てくる。  

 

私はね、anti-aging (年齢に逆らう)のではなく、well-aging (良い年の取り方)を選びたい。

 

アンチエイジングも、ウェルエイジングも、運動したり、体によい物を食べたり、遣ることは同じかもしれない。

 

何が違うって、決定的に、心持ちが違う。

 

「今の状態がダメだから、対策しましょう」という「現在の自分の拒絶」から始まるもの。それに違和感があるのかもしれない。

 

 

生き物は必ず年をとる。時と共に生きる限り、不可避かつ自然なこと。

 

「アンチ」エイジング、というと、その自然現象を受け入れていない。若いままの自分でいたい、いなければならない、という一種の強迫観念があるのはないか、と感じる。

 

若さにしかない魅力がある。それは事実。

老いにしかない魅力もあるのはないか?

 

 

イギリスに住んでいて感じたこと。「女性は若くなければ」思考は、アジア圏のが根強い。

 

年取ると女扱いされなくなる感じ?ヨーロッパでは、そこまでではなく、何歳の女性もレディー扱いされてた。

 

相手の年齢関係なく(場合によっては性別も関係なく)、イギリス紳士は紳士的だった。幼くても、若くても、中年でも、おばあちゃんでも。

 

「男性がレディー扱いしてくれる」というだけではなく、「女性も自分自身をレディー扱いしている」からこそだと思う。たとえ、いくつになっても。

 

90代のエリザベス女王と、自分を大切にしていない20代、比較したらどう考えても女王のがレディーです。

 

私の日本での親友が教えてくれたエピソードが一つ。とあるフランス人女優の一言。

 

「なぜ貴女はシワ伸ばしをしないのですか?」

「何を言ってるの!これ(シワ)は私が生きていたという大切な証なのよ。そんなことしないわ!」

 

ボトックス、なんちゃら注射、整形、今ある美しさを維持する方法は、いくつもある。  

 

むやみに「反対!」とは言えない。科学の力を使って、より自信が持てるのも良いことだと思う。

 

今はそうでなくても、私もいつか、「このシワ気になるなー…」と、コンプレックスを持つかもしれないから。

 

でも、私は、なりたい。

 

「このシワは、私が生きてきた大切な証だ」と言える女性に。

 

ふと、炊事を頑張りシワシワになった手入れしていた母の手を思い出した。食洗機がない時代、母の手は荒れていた。

けど、その手を汚いとか老いてるとか、思ったことはなかった。

 

もちろん、シワやシミは少ない方が良いかもしれない。

 

好まざるものが、自分の体や顔にそれが出てくる。

 

それでもなお、自分を美しいと思えるようになる。それって理想だな、と思う。

 

この理想の心理「内なる美」って、外見的な美を通って始めて辿り着けるものだと思う。

 

今まで何の手入れもしてこなかった人が、年を取ってシミやシワが出て、「自分を愛おしい」って思えない。

 

前述のフランス女優だって、それはそれは美しいに違いない。だって女優だよ?!シワが現れる前から、自分を慈しんでいたはず。

 

好まざるシミやシワ、脂肪が体に現れて、それによって自分と向き合う。一度、奴らを排除しようとする。

 

 

一般的に普及している美、個人的に思う美、それに自分を近づけていく。近づいた時に「シワだって美しいかも」と思えるようになるのではないか。

 

たとえば、ピカソ

ピカソの絵はかなり独創的だが、若い頃は写実的な絵を描いていた。それを通って、ピカソ独自の美意識や芸術意識が出来上がっていった。

 

絵に限らず、なんだってそうかも。

 

一旦、どこかの美、誰かの美、を求めて、それを達成した・近づいた時に、これとは違うものだって、「なんだって美しいのではないか」と気付けるのではないか。

 

 

「どんな自分だって、シワシワだって美しい」

 

そう思えるようになるために、何をしたら良いのだろうか。

 

アンチエイジング、ではなく、ウェルエイジングのためにできることを考えたい。