打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

ノーベル賞の「報道の仕方」に腹が立つ!

先日、日本人科学者がノーベル賞を受賞されましたね。誠に素晴らしいことです。

 

夫婦で会見されたり、仲睦まじい感じなのは確かに微笑ましいが、やっぱり日本のマスコミはレベルが低いと感じた。

 

なぜって、肝心の研究内容や成果に触れていない。ゴシップ週刊誌みたいな内容をテレビで報道してる。

 

テレビって見るもんじゃないね〜。と。

 

研究内容そっちのけで夫婦婦仲の話に焦点を当てて報道していること。それに結構腹が立ってもいるし、飽きれてもいる。

 

夫婦仲が良いことは素晴らしいことですが、なぜ彼がノーベル賞を受賞したかって、研究実績が素晴らしかったからじゃないか。

 

もし、私が受賞者だったら、日本のメディアには呆れたと思う。

 

修士課程の1年間※だけ、私も研究者だった時代があった。すこーーしだけだが、研究者側の気持ちもわかる。

※日本では2年間の修士課程は、イギリスの大学では修士課程は1年間で修了する。

 

理学部の学生であった私は、分不相応ながらもノーベル賞取りたい!と思ったことがありました。

 

大学時代に、教授たちからノーベル賞についての話をされたことがあります。

 

大学時代のとある授業中。

 

教授:ノーベル賞取ってみたい人?

生徒:ほんの数人だけが挙手

教授:ここで手を上げなかった人は全員嘘つきね。ノーベル賞貰いたかったら、一番大事なのはとにかく長生きすることです。

 

ノーベル化学賞受賞者の名前を冠した講義室でこの話をしていたのはシュールだった。長生きすることが受賞チャンスを増やすとは。

 

そう、名言するかは別として、化学を学ぶ者ならば、ノーベル賞を夢見たことはある。私もそんな一人だった。あー私も若かったなぁ。

 

先が見えそうで見えない、何かを信じて試行錯誤の研究をやり続ける。どんな研究者も、自分の研究に誇りを持っている。我が子を愛するように、またはそれ以上に研究しているのだ。

 

 

リチウム電池がどういった仕組みで、過去の電池とどう違うのか。理系な私は、その仕組みについてあーだこーだ考えるが、それを報道してもピンと来ない人は多いかもしれない。

 

けどね、リチウム電池が出てきたことで、彼の研究によって、身の回りの物が、世の中がどう変わったのか。それは万人にとって理解できる。多くの人が使っている携帯電話だって、リチウムイオン電池のおかげで軽量化された。

 

吉野氏だけではない、過去に数多くの研究がなされて、今のリチウムイオン電池がある。

 

研究内容が評価されたら、それはもちろん嬉しい。それが人の役に立てばさらに嬉しい。そういうものなのではないか。

 

 

理系離れ、研究職ポストがない、研究予算がなかなか降りてこない、学者貧乏。こういった悩ましい問題はある。

 

科学の研究って、特に基礎研究って一部だけ切り取ったら「これが一体何の役に立つの?」って物が多い。形となった時、初めて一般の人にわかりやすい形で「どんな役に立つのか」がわかる。

 

そういう事を、世の中に伝えるのがメディアの役目なんじゃないか、と思う。それを伝えないなんて、視聴者をバカにしてるし、研究者に対しても失礼だと思う。

 

報道の仕方によって、研究内容に興味を持ったり、それに感謝を感じたりする。あの報道じゃリチウムイオン電池に興味の欠片も持てない。

 

 

吉野さん、ノーベル賞受賞、おめでとうございます。

貴方が研究してくれたリチウムイオン電池のおかげで、こうやって軽いスマホでブログを書くこともできます。そして貴方の先人たちの研究への感謝も、決して忘れません。

 

元々期待はしていなかったが、日本のマスコミは酷いと思う。

 

遺憾な想いをそのまま勢いで書きました。

 

皆様はこの報道の仕方、どう思います?