打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「間違えても良い」間違いを味方にしよう

時々、子供って、ハッとするような哲学的発言をする。

 

大人の何枚も上手を行く、この類の発言は、私は結構好き。世代も性別も何もかも超えた哲学がそこにあるから。

 

今回の哲学発言は「子供は間違えても良いんだよ」です。

 

そこから考えた。大人だって間違えても良い。「間違えてた」ことで、見えてくるものが、沢山ある。

 

我が家の長女れーちゃん(4歳)は、今やひらがなはスラスラ読めるが、一年前頃か、ものすごーく時間をかけないと読めない時期があった。

 

 

今:しまじろうは言いました。「またいっしょに」

一年前:し…ま…し…じろ…う ハ イ イ マシ タ(我々は宇宙人だ、に近い声調で)

 

「は」を「ハ」と読むのか、「ワ」と読むのか、今は理解している様だが、最初はわからないよね。

 

読み間違えた時、れーちゃんは自分でも気づいた。そして言った。

 

「あ、まちがえちゃった(テヘペロ)。子供はまちがえても良いんだよ」

 

 

お?!

 

子供は間違えでも良いんだよ。

 

そうだね、いっぱいいっぱい間違えて、そこから学ぶんだよ。

 

一つだけ言えるとしたら、「大人だって、間違えても良いんだよ」ということ。

 

 

私も完璧主義気質があり、人のこと言えないんだけど、大人だって間違えても良い。

 

間違えてはいけない。

 

そう考えると、色んなことに挑戦すらできなくなる。自分にできそうな事しかやらなくなる。そして、「自分はできる人間だ!」と勘違いして行き、上から目線人間が生まれたり。

 

何か致命傷になるような間違いは避けねばならない。けど、それ以外なら、

 

大人も間違えて良いんだよ
 

 

「あの時、子供にキツく当たってしまったな…」

「イライラして、○○さんに余計なこと言ってしまったな…

 

 

誰かがやってしまった「間違い」を許せないこともある。あなたの間違いを許せない人もいる。いくら謝ってもダメなこともある。

 

そういう人は、自然と離れていく。

 

私も、誰か特定の人の言動が許せなくて、自ら距離を取り縁遠くなった人たちがいる。同じく、私の不用意な発言から、私からの距離を取った人たちもいるでしょう。

 

間違いを含めて、あなたを許してくれて、友人として、家族として、パートナーとして、自分と付き合ってくれる。

 

そうやって、素の自分で付き合える人たちが残る。その人たちを大事していきたい。

 

小さい子供が親に対して持ってる愛情に勝るものはない。親からの子供への愛なんて、比べ物にならないと思う。どんなにダメな親だって、どんなに怒られたって、子供は親を愛している。どんなにダメ親だって、「離れたらこの世の終わり」かと思い、必死で親を責追いかけてくる時期がある

 

 

私は、家事は手抜きするし(料理しない、とか)、生理前は特にイライラしてるし、感情的にもなっちゃうし、子供よりもスマホを見てしまうこともあるし、指摘するところだらけ。理想からは程遠いかもしれない。

※いつも、こんな状態なわけではないです。あしからず。

 

それでも娘たちは言ってくれる。

 

ママ、だいすき

 

と。

 

○○をしてくれたから、好き

××したから、嫌い

 

親子間の感情は、そんな簡単な話ではない。今までいっしょに過ごして来た時間があって、ママという存在を好きなわけだ。

 

 

ここに挙げたものそれぞれは、褒めれることではないし、むしろ辞めたい。かといって、理想主義で追い込んで自分を無駄に責めたくない。

 

私は、その時、その時、私ができる限りのことはしている。だから、後悔はないし、自分を責める必要はない。

 

 

意図的に間違えるのは、良いとは思わない。

思わぬ間違いをすることで、本当に大事なものはなんなのか、大事な人は誰なのか。それがわかる。

 

間違えることは、本当に悪いことでしょうか?

 

間違いをしない様に、と何も挑戦しないこと。間違えた後に何もしないでそのままでいること。これでは勿体無い。

 

間違えたことで、見えてくるものがある。それがわかれば、「間違い」は間違いでなくなる。

 

 

今まであった、あなたの「間違い」はなんですか?それが教えてくれたことはなんでしたか?

 

きっと、そこに、あなたの宝があるはずです。