打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

硬いけど堅くない、子供の頭

この絵の人物に、あなたならなんて吹き出しをつける?


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私は、瞬間的に「この洗い物の山にうんざりしてるのだろうな」、と判断した。

 

この絵は、保育園児のママ向け雑誌の挿絵。絵本を見るように、娘たちとこの絵を見てた。れーちゃん(5歳)とワカメちゃん(2歳)は、それぞれ違う見解だったよう。

 

 

ワカメちゃん「この人どうしたんだろうねぇ」

 

困った顔の絵を見て、その理由を不思議がるワカメちゃん。それに答えるれーちゃん。

 

れーちゃん

「手を洗いたいのに、お皿が邪魔で困ってるんじゃない?」

「それか、お水が出なくて困ってるのかも?」(断水かな?)

 

 

娘たちのそんなやり取りを聞いて、私の頭の硬さと、子供たちの頭の柔軟さを思い知った。

 

 

私ってば、「溜まって食器にうんざり」しか出てこなかった。そうだ、と決めつけてた。

 

保育園のママ向け雑誌だから、私の推測は、作者側の意図と恐らく一致している。

 

けれど、私は自分の頭の堅さを自覚せざるを得なかった。子どもたちの発想の、なんと柔軟なこと。

 

私と娘たちも、同じものを見ている。それなのに、持つ認識や疑問が全然違う。その認識に優劣はない。

 

この間ね、散歩中に橋の上でれーちゃんと雲を眺めてた。

 

「れーちゃん、あの雲はママにはワニさんに見えるな。れーちゃんはどう思う?」

「サンタさんがソリに乗ってるみたい!」

 

ワニにもサンタにも優劣はない。ただ、「違う」というだけ。

 

保育園で3つのりんごのスケッチをした時、れーちゃんだけの絵だけは3つ以上のハート型りんごが沢山描かれていた。数も形も全くスケッチしていない。写実的ではないが、写実的にスケッチが上手な子に、決して劣るものではない。 

 

芸術にも文化にも、優劣なんて、ない。あるのは嗜好だけじゃないのか。個々の人間の捉え方も、同じじゃないのか。

 

そんな事を、ふと思う。

 

今までも、子どもたちと同じ物を見て、同じ匂いを嗅ぎ、同じ空の下、屋根の下に居る。

 

一体、今までどれだけの物を共有してきたのだろう。それの全てにおいて、きっと全部、違う認識なのだろう。

 

同じものを見ていても、私の目を通して見た世界と、れーちゃんの目、ワカメちゃんの目を通して見た世界とは、まるで違う物が映っているのだろう。

 

それに気がついた。

 

 

「そんなの○○に決まってるでしょ!!」

 

 

つい、言ってしまう。やってしまう。先入観からの言動。

 

 

雲がワニに見える位、ワニがサンタに見えるくらい、物事の捉え方は千差万別。

 

生まれたての赤ちゃんに先入観はない。成長とともに、何かしらの観念や先入観が植え付けられていく。この社会で生きていくためには、それは必要な事だった。

 

ただ、その先入観は、時として私を苦しめる。

 

頭をもっと柔らかく、先入観を減らして生きたいなぁ。

 

自分を助けない先入観であれば、観念や信念であれば、パッと手放せる。そんな人間になりたい。

 

 

しかしなぁ。子供たちって、あんなに発想は柔軟なのに、石頭なのはなんでだ。(事故で)頭突きされる度、すんごい痛い。

 

骨がズキズキ。自分の頭の堅さに、心もズキズキ。

 

ちなみに…

 

私がこんな事を思うようになったのは、ドン・ミゲル・ルイス氏の著書「愛の選択」の影響です。

 

愛の選択

愛の選択

 

 

彼の言ってる事を実践できたらめちゃくちゃ心が豊かになるんだろうな、と。本の通り色々やってみると、自分の盲目さに気づいて結構なショックを受ける。そこがスタート、という本です。

 

これまで何回か読んだみて、やっとルイス氏の言ってることが、本当の意味で理解できるようになって来た。

 

「このままじゃダメだ、根本的に変わりたい!」と思っている方に、おすすめの本。

 

 

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ピンクの壁紙事件

子供を喜ばせるためにしたはずのことが、なんでこんな事になっちゃったんだろう?

 

そんな経験はありませんか?

 

自分ではない誰かの笑顔見たさに、頑張ったら、予想外の展開に落ち込む。先日の私に起きた、そんな事件について書きます。

 

名付けて、「ピンクの壁紙事件」。(ゴロが「生麦事件」に似てるなぁ。中身は全然違うけど。)

 

れーちゃんが喜ぶかな♪と、思って、先月、こんな壁紙を買った↓


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子供部屋を可愛くしよう!

 

海外からの郵送で何日もかかった。やっと届いた壁紙を、私は慣れない手付きで貼り始めた。素人なのでゆっくり、ゆっくり。

 

幅1メートルほど貼った、一旦中断した。一気にやる時間がなく、私は用事があって出かけた。娘たちはパパとお留守番中。

 

帰宅したら、新しく貼った壁紙には、落書きされていた。

 

私は、ショックだった。素人の私が、汗だくになりながら、できる限りキレイに貼ったのに…ものの数時間で落書きが…↓

 


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事情を聞くと、れーちゃんは、壁紙の中の気に入ったお人形さんに○を付けていたらしい。それも、どのお人形さんも気に入ったので、全部に丸をつけたそうで。

 

落ち込む私を見て、説明してくれた。

 

その理由はとても可愛い理由だった。けれど、ショックは消えようもなかった。私があんなに頑張ってた貼ったのに、もう落書きされるなんて…汚されるなんて…ショック。

 

私はショックのあまり、ソファーに座り込んでいた。体育座りで。口をへの字にして、静かだった。

 

落ち込む私を見て、れーちゃんは泣き出してしまった。「ママ、ごめんなさい」と。

「私のせいだ」と思ったのだろうか。ショック中だった私は、れーちゃんになんと言ってあげれば良いのかわからなかった。

 

れーちゃんの笑顔が見たくて、壁紙を買ったはずなのに、何故こんなことになっちゃったんだろう。

 

子供部屋は、子供たちの部屋だけど、家のインテリアは私の作品のように思っていた。大層なインテリアではない。普通の家だ。

 

子供を喜ばせるために買ったはずの壁紙が、私のショックを呼んでしまった。

 

「気にせず許してあげればいいじゃん」

 

そんな声が聞こえるけど、否定しきれない。私のショックさ、と「私の美意識がそれを許さない」という気持ちが。

 

私の美意識なんていう独りよがりのものと、れーちゃんの笑顔。どっちが尊いのか、少し考えればわかるものなのに…

 

私の中での理性と感情が、せめぎ合った。

 

一晩二晩経、壁紙事件について考え直した。

 

美意識ってなんだ。

 

何が美しいか、否か。

 

そんなものは、私そのものではない。「○○を美しいとする」と捉えるようにこの世に洗脳されていただけだ、と感じるようになった。

 

決して、れーちゃんの落書きが醜いわけではない。私の素人の壁紙張りも、ぶっちゃけ端っこの処理などが甘い。

 

美意識って、なんなんだろう。

 

それを持つことは大事。とても大事だけど、それが私を落ち込ませる位なら、持たない方が良いとも思った。

 

 

美意識も、常識も、良識も、自分が心地よいなら持てば良い。自分を害するものになるのなら、捨てれば良い。

 

もちろん、壁紙の落書きが相応しくない場所だってある。例えば高級デパートの壁。でも、我が家は我が家だ。人にどうこう言われるものではない。

 

落書きされた部分を貼り直すかどうか、はまだ決めていない。

 

むしろ落書きを残した方が、今後の抑制になるのか。落書きがある方が美しいのか、わからない。

 

目の前にある事実、壁紙が買ったままの貼ったままの姿ではない事は変わらない。

 

貼り直すことも、そのままにすることも、私が決めれる。

 

自分の行動を選ぶことができる。

 

そして、自分の捉え方はいくらでも変えれるんだなぁ…と実感した。

 

家で座ってる時間が長くて、腰が痛い。

 

このクレヨンの丸は、れーちゃんがこの壁紙を気に入ってくれた証。それは間違いない。これの絵の女の子、全部を気に入ってくれたのかぁ。

 

服にしろ、壁紙にしろ、れーちゃんの好みを、ちゃんと把握できている。それには誇りを持とう。

 

 

自分を不幸にするのは、目の前の事実ではなく、自分の中にある良識・常識・観念である、そう気づいた事件でした。

 

きっとこれからも、思わぬことで落ち込むこともある。けど、これを忘れずに行こう。

 

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子供を泣き止ます魔法なんて、ない。

「子供が泣き止まない」「癇癪を起こした」、と困ったことはありませんか? 

それにイライラしませんか?

 

今朝、派手な姉妹喧嘩があり、まさに私は困った。

 

長女れーちゃん(5歳)と次女ワカメちゃん(2歳)は、とある絵本を巡って大喧嘩していた様子。

 

癇癪が治まったワカメちゃんと、対話していたら、「私が子供の泣き声にイライラする本当の理由」が見えてきた。 

 

「ワカメちゃんもそれ(絵本)使いたい!!ワカメちゃんのだった!」

「れーーーんちゃんが最初に使ってたの!!ワカメちゃんは『貸して』も言わないで取ったでしょ!」

 

こんなのは日常茶飯事だが、あまりにもワカメちゃんが泣き喚くので、れーちゃんにお願いして、ワカメちゃんに譲ってもらった。(「お姉ちゃんだから」と無理をさせてないかパート②💦)

 

せっかくれーちゃんのが譲ってくれたのに、泣き喚くほど欲しがった絵本※を貰っても、その本を開くことはなくずーーっと泣き喚いていた。癇癪!

※しかも、この絵本がハロウィンに関する本で季節外れも良いところ。絵本は何十冊もあるのに、なぜここまで一冊を巡り喧嘩するのか…他の本が寂しそうに床に散らかっている。

 

 

絵本の取り合い喧嘩は、私がトイレに行ってる間に発生し、エスカレートしていた様子(全容は見ていない)。

 

ワカメちゃんは、お目当ての絵本を渡しても、他のおもちゃでも、全く泣き止む様子がない。あの手この手も無駄。 

 

とりわけ、このタイミングで私は気が短くなったいたのか、大声はもとより、些細な泣き声も耐えれなかった。

 

子供が泣いてるのを聞くのは辛い。

「子供が可哀想だから」ではない。

 

まるで私のせいで泣いてる、と責められている

 

そんな気持ちが消えなくて、怖くて、辛い。

 

絵本の取り合い喧嘩に、私は関与していない。喧嘩の発端は、私に起因しない。

 

でも、私がトイレに行ってなかったら?少し離れている間に、私が仲裁に入っていたら?こんなに永遠と泣き続けることはなかったかもしれない…それじゃあ、私のせい??

 

そんな考えが止まらなくなった。

 

こんな、トイレに行った自分を責めだす。人間として必要な行為なのに。

 

あまりにもずっとワカメちゃんが泣いてるので、イライラが止まらなかった。子供が泣いていることそのものに、イライラしない。よその子供が泣いていても全くイライラしない。

 

自分の子だと、物凄くイライラする。それは、「お前の○○がいけなかったから、泣いてるじゃないの?!」と、言われている気がするから。

 

イライラが募りすぎて、何をしても泣きわめくワカメ叩いたりしないように、私はワカメちゃんを子供部屋に残し、部屋を出た。

 

ドア越しにも、泣き声は聞こえる。それでもボリュームダウンすることで多少落ち着いて来る。

少し落ち着くと、自分の心情も見えてくる。イライラのあまりに、叩きそうになった自分が、心底嫌になった。

 

一通り騒いだワカメちゃん。泣き喚いて汗だくだったので、シャワーしてあげて、仲直り(?)した。

 

しゃくりあげながら、私にしがみついてた。

 

仲直り中の会話。

👧=ワカメちゃん、👩=私、です。

 

👩ママに怒られて、悲しかったんだよね?

 

👧うん。。。ママ、どうして怒ってたの?

 

👩ワカメちゃんは、れーちゃんと、絵本で喧嘩してたでしょ。ワカメちゃんが欲しがってた絵本を渡しても、ずっとずっと泣いてたでしょ。他のおもちゃをあげても、ずっと泣いてたでしょ。

 

👩だから、ママは、ワカメちゃんがどうしたら泣き止むのかわからなくて…ママが悪いんじゃないかって思って、それで怒っちゃったの…ごめんね。

 

2歳の小さいワカメちゃんを膝の上に乗せながら、本気でお話ししていたら、私も泣いてしまった。

 

そっか、私は「どうしたら良いのかわからなくてイライラしていたのか…」と。

 

そう、私は「子供が泣いてる」からイライラしたわけではない。

 

  • なんか、私のせいで泣いてる気がする!(自責の念、罪悪感
  • でも、どうやったら泣き止むのか?わからない!! (無力感

 

罪悪感と無力感が、私をイライラさせた。

 

お母さんという存在はね、子供を泣き止ませる魔法なんて持っていないし、習得することはできない

 

人の親になって、それを痛感する。そんな魔法を習得できるなら、とっくにしてる。

 

「母親なのに、子供を泣き止ませることもできないのか」と視線や声が、辛い。

 

例えば電車で、子供が泣いていたとする。最善を尽くしても、どうしても泣き止まないことがある。もうそれは、お母さん側の理由(愛情が足りない、とか、あやし足りない、とか)ではなく、子供側の理由。

 

「母親なのに、子供を泣き止ませる事ができないのか」

 

公共の場に子連れで行くと、常にその声なき声に怯える。子連れでない時は、「今日お子さんは?」とか聞かれるがそれも嫌。もう、そぅっとしておいて!基本的人権がなくなった気がしてしまう

 

そして、周りの視線などなくても、たとえ家の中であっても、子供が泣いてる時は、自責の念が止まらない。

 

「自分のせいではない」と断言できる時以外は、そうなってしまう。(別名「宇宙人タイム」)

 

「母親なのに、子供を泣き止ませる事ができない」

 

これは、誰よりも私自身が私に向かって発している言葉なのかもしれない。これが「理想の母親の呪い」かぁ。

 

魔法のように泣き止ませる、なんて、もはやフィクション。理想ですらない。

24時間ずっと、優しくて怒らない、イライラしないママでなんて、至難の業。

 

「子供を泣き止ますことができない」

 

そんな親は、お母さんは、貴方だげじゃない。0歳児の親だけでもない。

 

必要以上に、自分を責めることはない。

 

泣き疲れて、仲直り(?)して安心したワカメちゃんは、珍しくお昼寝タイムに。かわいい寝顔だなぁ。寝顔に向かって謝るって、私はいつまで続けるんだろう。

 

 

こんな時は、一杯の温かいお茶でも飲もう。こんな話を、同じ悩みがある人たちと語り合うながら、一緒にお茶が飲めたらなぁ〜。これってオフ会?オンラインのオフ会ってあるかな?

 

秘密のグループ(↓)で、オフ会参加でも募ってみようかなぁ。どれくらい来てくれるかしら。

 

 

 

 

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権力のない少数派の本音

ジョージフロイド氏の死亡事件により、人種差別に対する議論があちこちでヒートアップしている。

先日発見したある投稿に、嫌悪感を覚えている。

 

「暴動に参加するよりも、しっかり勉強して、黒人がもっとMBA取れば、黒人差別もなくなっていく」

 

ですって!!心底、引いた。しかも、善意と思って、本気で発言している。

 

この発言者には山ほど言いたいこと・聞きたいことがある。

  • 自分が既得権益層にいることはわかってる?それは、誰がどのようにして、支えているのか知ってる?
  • 全ては自分の力だけでと思ってる?
  • 既存の権力ゲームを制してからじゃないと、低層階級の人たちの権利は認められないって??
  • MBAってそんなに偉い?なんで?どこが?

 

選民思想は恐ろしい。それに気づいていない場合は、恐怖度が増す。

 

少数派が権力を持つと選民思想になりがち。

じゃあ権力がない少数派はどうなる?

 

権力がない少数派は、多数派の人たちが怖いことがある。長い前置きを経て、ようやく本題、「少数派について」に入る。

 

人種差別からはちょっと離れて、「少数派」に対する差別問題について、私の率直な思いをお伝えします。

 

私は自分自身をマイノリティだと自負している。

 

「マイノリティの方がカッコよくない?だから、マイノリティって言いたい」んではなくて、本当にマイノリティなのだ。それによる苦悩も苦労も沢山あった。

 

 

権力のない少数派の悩み:いちいち大げさに騒がないで欲しい

少数派は、特別待遇して欲しいなんて、思っていない。変に目立ちたくはない。

 

少数派は「普通に」、平和に、生活したいだけ。

 

けど、なかなかそれが許されないのは少数派の普通≠多数派の普通なだなら。

 

少数派が「普通に」望んでいることは、多数派にとっては「変」と思われる事が多い。

 

この世では、まだまだ、多数派が正義とされている。特に、村社会の日本には、その色が強い。ちょっと変わった事を言うと、「あいつは空気を読んでない」と揶揄される。今まで、私は、何度もそう言われて来た。

 

少数派の人は、別にワガママでも人のことを考えていない訳でもない!でもなぜか、少数派が言ってる事が、多数派の誰かの心を刺激して怒らせてしまう事が、私は多かった。

 

誰しも、意図的に人を傷つけたいなんて思わない。心の奥底では、誰も、そんなことを望まない。

 

多数派が正義な場合、人と異なる姿、異なる考え方、異なる行動が「異端」と見なされる。

 

 

多様性?ダイバーシティ

 

確かに大事なことかもしれない。でも、私は、「ダイバーシティが〜」と謳う企業も人も、あんまり好きじゃない。

 

そんなブログを昔も書いたなぁ…「ダイバーシティの嘘ホント」。

 

ダイバーシティが大事」とか言ってる彼らは、「少数派でいるとは何か」「少数派は何を望むのか」を、何にもわかっていない。

 

Diversity and Inclusion 

 

私には吐き気がする言葉。なぜ「Inclusion 」(受け入れる)なの?

 

「俺たちはマイノリティを受け入れるだけの器があるぜ〜」

 

とでも言いたいのか。

 

 

自分が「受け入れる側」だと思って、優越感にでも浸ってると思うのか。しかも、そういう人たちに限って、「俺たちエリートだぜ☆」って思ってる人が多い。エリートもどきは、一番多様性から遠い真のエリートと偽エリートは全然違う

 

少数派はね、「我々は貴方を受け入れますよ」なんて言われても嬉しくないの!!恩着せがまくすら、感じる。

 

例えば、私が妊婦という少数派だったとき。電車で「ここに妊婦さんがいますよ〜!」なんて大声で言われたくない。普通の体よりも、身重は疲れやすいし、不安定→だから、座りたいってだけ。譲って頂けた時は、それはもう有難かった。

 

例えば、私が、社内では稀なバリバリ働けないお母さんだったとして、フルタイム勤務じゃなくて勤務時間や日数を減らしたいことを、大げさに扱って欲しくない。(でも、前例がない、って色々難航した経験もある)

 

私はヘテロセクシャルだけど、LGBTの人だって同じだと思う。 

「私、ゲイとかそういうの平気だから」とか言われても、ちっとも嬉しくない。その発言には既に差別意識が見える。「ああ、貴方は中華料理が好きなのね」位の感覚で、「ああ、貴方の性的嗜好は〇〇なのね」って受け取ってもらいたい。

 

 

ちょっとね、少数派としての愚痴をこぼします。

 

もう、少数派って、疲れる!

じゃあ多数派になれば疲れないのか?を実験したこともある。結果、本心でもないのに、多数派の意見にすり寄ってみても、イライラして余計疲れるだけだった。自分に嘘をつくことになると、更に疲れる。

 

何が疲れるって、私の中ではごく「普通」に、自然に湧き上がる考えに、逐一あーだこーだ言われるから。

  • それって変!
  • 普通さぁ、〇〇だよね(なぜ、お前は〇〇じゃないの?)
  • ここは日本なの!(長期留学から帰国した時、よく言われた)

 

私の願いは、平和に過ごしたいだけ。

 

多数派が正義というルールで生きる場合、少数派の罪なき希望を通すには、改革が必要である。

 

少数派の希望に何の悪意も害もなくても、既存のルールとは異なる対応が求められるのは、わかる。

 

わかるけど……それをイチイチ大騒ぎして欲しくない。

 

以前書いたとおり、私は資本主義も民主主義も決してベストではないと思う。なぜなら、以下のどちらも、人間が幸せになるためのルールではないと思ってる

 

  • 資本主義の世界:「金持ってる奴=正義」
  • 民主主義:多数派が正義

 

※私は社会派かもしれないけど、社会主義者ではないです。

 

資本主義、金=正義だったから、列記とした人間を奴隷にする、みたいな非道が起こる。

多数派が正義だから、少数派は「空気読めない」などと迫害される。

 

日本はほぼ、単一民族国家。人種差別は起こりにくい。けれど、日本にも差別はある。女性差別、片親差別、非嫡出子差別、上げたらキリがない。

人種に限らす、世界のあちこちに差別は存在してる。私の中にも、差別はある。「俺たちダイバーシティ受け入れてるぜ☆」と言ってる人たちを、めちゃくちゃ差別してる。そういう人たちのことも受け入れてこそ、本当のダイバーシティなのか。

 

これだけ偉そうに言っておきながら、私の心は「高慢と偏見」の塊。ここで読んだ事もない小説のタイトルを引用する自分の図々しさが、またすごい。

 

力のない少数派の気持ち、少しでも伝わったら嬉しいです。

 

追伸:人種差別がメインテーマではないですが、「銃・病原菌・鉄」という本は良書です。「いかに、ヨーロッパ系白人が優れていた訳ではなかったか」が物証と共に理論的に語られている本。作者自身は白人のアメリカ人だが、彼の思想はアメリカ国内では相当変わり者扱いされてるに違いない。

 

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光の速度で便乗すれば、嫉妬も逃げる?

「あの人って、世渡り上手いんだよね…」そんな人、いませんか?

 

私は、不器用で、世渡り下手。

 

だからね、甘え上手の世渡り上手って、なんだかムカつく!便乗ばっかりしてる〜、ズルい!って。

 

でもね、今日、「便乗も、光の速さで行えば、嫉妬を呼ばない」と、学んだ。

 

まさかねぇ、私から、甘え上手の世渡り上手な娘が生まれるとは思わなかった。

 

今日は次女ワカメちゃん(2歳)の話をします。

 

ワカメちゃんは色々と、要領が良い、ズルい、甘え上手、女優です。私(ママ)とは真逆!!

 

 

ワカメちゃんがどう要領が良い(ズルい)かというと、例えばお洗濯物のお手伝い。

 

 

■例1:洗濯物のお手伝いをやらない女優

ダラダラダラダラと手伝いを始めずに、そのダラダラ中に、90%のお手伝いが姉のれーちゃんとママによって完了している。これは日常茶飯事!

 

私とれーちゃんが終了する間際になり、たたんでしまうべきお洗濯物がなくなったカゴを除き込み、曰う。

 

「あ、もう(洗濯物が)ないじゃん♪ワカメちゃんも、おつだい※したかったー!」

※「おてつだい」と言えない事も多い

 

超、わざとらしい。

天然なのか、計算なのか、いずれにしてもスゴい。

 

れーちゃんが可哀想過ぎる!健気に妹の分のお手伝いをこなしてくれる事も多い。これが長女気質というものか。(末っ子の私には、永遠にわかるまい

 

魂胆見え見えのお芝居は、それなりにママの怒りも買ってるけど、今日のワカメちゃんの便乗っぷりはアッパレ過ぎて、むしろ感心した。

 

■例2:光の速度で便乗すれば、嫉妬も追いつけない

 

私の機嫌を見計らったのか、偶然か、私の手が空いてる時にれーちゃんはお願いをしてきた。

 

れーちゃん:ママー!牛乳くーだーさいっ。

ママ:いいよー。じゃあテーブルに座ってね〜

 

ドタドタドタドタ

 

私が牛乳を用意したとき、瞬足の足音が聞こえた。

 

ワカメちゃん:ワカメちゃんも牛乳飲むーー!!

 

ワカメちゃんが、子供部屋の端っこから、リビングに走ってきた※。

※我が家は大人は走れるほど広くない。身長90センチ以下の小人さんには走れる距離

 

 

牛乳欲しさに、光の速度でやってくる。

 

 

姉のれーちゃんがお願いした「牛乳ください」に便乗してる。しかも、ワカメちゃんのはお願いではなく、宣言。「私も飲むーー!」ってね。

 

自分から言い出す事はないのに、他の人が言ったことに便乗する人。本来の私は苦手!ゆえ、そんな友達もいない。だって嫉妬しちゃってたから^^;

 

けどねぇ、不思議とワカメちゃんに、全く嫉妬しなかったし、怒りも覚えなかった。

 

見事は便乗っぷり。むしろ、頼もしく思えた。

 

「ワカメちゃんは世間の荒波も、きっと上手く生きていけるんだろうな」と安心した。私より、ずっとイージーモードな人生な予感。

 

自分が苦手とする真反対の性格が、我が子だなんて不思議。ワカメちゃんの母親でいることで、今まで苦手だったタイプの女性のことも、大丈夫になるかもしれない。

 

完全に蛇足の持論だが、「中の上の女」が付き合いが面倒な女性のボリュームゾーンだと思う。

 

結論:便乗するなら、光の速度で。潔く。かわいく。

 

嫉妬の速度ってどのくらいなんだろう。車くらいなぁ?いずれにしても、秒速30万kmの光に敵わない。(個人的には3.0 ×10^8ms^-1 って、表記したいが、これがピンと来るのは少数だから…)

 

こんな結論が出たけど、私がこの技を使える日はくるのかしらん…100億光年くらい遠い未来な気がする。宇宙がどんどん膨張して、終わりの壁が遠くなるように、私がこの技を使える日もどんどん遠ざかるのかもしれない。

 

子育ては、日々学び。なんでここまで、私の苦手分野ドンピシャな物が降ってくるのか。ある意味、ありがたい。

 

「世渡り上手で、なんかズルい!!」って、今まで私が思ってしまった方々、謝罪します。ごめんなさい。貴女たちは、私にはない強さを持っていた。それに嫉妬していた。ただそれだけだったのかなぁ。

 

 

うんぬん言ってるけど、私は結局、タダの親バカかもしれない。 

 

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卵焼きが教えてくれたこと

「こんな事になるなら、頑張らなきゃ良かった」「あの頑張りは無駄だった…」

 

貴方は、こう思った事はありますか?

 

頑張り過ぎて、「こんなママでごめんね。」と泣きながら謝った夜を分析し、こんな結論に至った。

 

頑張り過ぎて、疲れて、子供に辛く当たってしまう位なら、頑張らない方が良い。

きっと、これは正しい。

 

けど、私の中の小さな誰かが、寂しく呟いた。

 

「頑張るなんて無駄だったの?」

 

けど、全ての頑張りは無駄じゃなかった…と思わせてくれた。

 

卵焼きが。

 

 

過去記事で前述のとおり、とある日私は「キラキラママ」っぽく、頑張り過ぎてしまった。身の丈に合っていないのに。

 

何がキラキラか、というと、私が作ったランチプレート。

 

長女れーちゃん(5歳)と次女ワカメちゃん(2歳)と、一緒に読んだ絵本には、しまじろうがお弁当を食べていた。中にはおにぎりや卵焼きが。

 

そもそも、料理が好きじゃない私が、頑張って、まるでしまじろうのお弁当のようなランチプレートを作った。

 

 

いくら子供たちが喜んでくれるとは言え、頑張るって、自制し続けるって、疲れる

 

疲れ貯金の結果、ドライヤー事件でれーちゃんに冷たくイライラ当たってしまった。

 

  • 子供に辛く当たってしまう位なら、頑張るのを辞める!!
  • 頑張るなんて無駄!!

 

ここまで思っちゃってた。

 

「頑張りは無駄じゃなかった」と気づかせてくれたのが、れーちゃんと卵焼き。

 

あの日をきっかけに、れーちゃんの卵焼きブームが到来。

 

れーちゃんは、食事にしても、見る動画にしても、かなり保守的。同じ物を繰り返し見たいし、食べたい。新しい物は、いつも、避けたがる。

 

主食(炭水化物)は定番メニューなので問題ないが、おかすが厄介。

 

れーちゃんお好みのタンパク源を用意するのは難しいのですれ!自粛中は、特にそれに悩んだ。

 

  • 保育園に通園中:栄養士監修の美味しい食事を食べてる故、お家ご飯が多少いい加減でも気にしない。
  • 保育園がお休み:栄養に関しては素人の親の食事のみ😱育ち盛りなのに大丈夫?!

※保育園の給食は、好き嫌いせずに全部食べてるらしい…集団保育のパワー凄い。

 

 

あの保守的なれーちゃんが、卵焼きを気に入ってくれて食べたがるなんて♥

 

 

れーちゃんの少ないタンパク源が増えた。これは、我が家には非常に嬉しい話!

 

 

れーちゃんの笑顔のために、タンパク質摂取のために、私はまたせっせと卵焼きを作る。

 

その昔、自分のお弁当のために、私は何度卵焼きを作ったことだろう。

 

私のお弁当のために、母は何度、卵を巻いてくれたことだろう。

 

れーちゃんの卵焼きを作りながら、その昔、お弁当を作ってくれてた私の母に思いを馳せた。私も好き嫌いが多く、母はお弁当のおかずをいつも悩んでたっけ。

 

 

卵焼きを巻くのは、そう簡単ではない。

破けたり、フライパンにこびりついたり。何度も何度も、失敗して、繰り返して、やっと上手に巻けるようになる。 

 

頑張るのは辛いことだし、頑張り過ぎはよくない。 

 

過去に頑張ったことは、決して無駄にはならない。

 

れーちゃんが卵焼きを好きになってくれたことで、そう思えた。無駄ではなかった。

 

いつか、れーちゃんに卵焼きの作り方を教える日が来るのだろうか。れーちゃんも、誰かのために、卵焼きを作る日が来るのだろうか。

 

そんな日が来たら、れーちゃんの卵焼きを一番最初に食べたいのは、ママだよ。

 

「れーちゃんが大きくなったら、ママのために唐揚げ作ってあげるね♪」

 

前にそう言ってくれたね。

 

れーちゃんが、私のために、唐揚げと一緒に卵焼きを作ってくれたら、私はまた泣いちゃうかな。

 

苦しみの涙をくれるのも、感激の涙をくれるのも、同じ人物たち。それが家族か。

 

 

もう、無理に頑張ることは辞めたい。

 

でも、頑張った過去の自分は、認めたい。

 

想像した形で報われなくても、決して、無駄にはならないのだから。

 

 

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「今日はごめんねしなくていいよ」

先日のドライヤー事件の日、「こんな親でごめんね」と、長女れーちゃんの枕元で、泣きながら謝った。

 

「ママ、今日はいっぱいごめんね言わなくていいよ。」

 

「今日は、ママ、れーちゃんを怒ってないし、怖い言い方もしてないでしょ」

 

れーちゃんがこんなことを言ってくれた。 

 

ドライヤー事件の日の私と、今日の私、一体何が違うのか、分析してみた。違うものは、以下の3つ。

  • 顔の湿疹の状態
  • 睡眠時間
  • 日中の家事・育児量

 

それぞれについて、深く分析したい。

 

1.顔の湿疹の状態

単なるストレスや季節性の肌荒れなのか、断食の好転反応なのか、ものすごく肌荒れしています。不思議と、普段は荒れない所に沢山湿疹が出てくる。 

 

ドライヤー事件の日:

  • 顔面積のの10%ジュクジュク膿が出ている
  • 顔面積の80%赤い湿疹
  • 残りの10%はちょっとブヨブヨしてるのに表面カサカサ

今日:

  • 膿は0%(これは治った✨)
  • 顔面積の45%が赤い湿疹
  • ブヨブヨだけどカサカサは0%

 

肌状態だけで、これだけ違う。今日の肌状態だって、良いとは言えない。けれどドライヤー事件の日よりもずっとずっと良い。

 

普段は比較的肌がキレイな方なのに、肌荒れしていると、鏡を見る旅にうんざり、げんなり、がっかりする。

 

ドライヤー事件日に比べると、今日の惨め度は1/3程度。これはデカい。 

女子的コミュニケーションが苦手とはいえ、私だって女の子。鏡の中に、美しい自分を見つけたい。

 

2. 睡眠時間

アトピーでも湿疹でも、睡眠は一番治癒効果がある。ただし、それは眠れれば、の話。

 

痒くて眠れない。

 

子どもの頃、アトピーに苦しみ、痒くて痒くて眠れなかったことを思い出した。パンツの縫い目すら痒くて、パンツを裏返しで履かないと耐えられないほど。

 

肌状態が悪ければ悪い程睡眠が必要なのに、悪いければ悪い程、眠れないのです。

 

ドライヤー事件の睡眠:

  • 2時間程寝付けない
  • 「怖い夢見た」と起こされる@4am
  • 「もう起きたい」@5:30am

0歳児との生活ばりに細切れ睡眠

 

今日の睡眠:

  • 夜の寝付きは悪く、眠れたのは2am 以降だが、朝8:30am起きるまで邪魔なし✨
  • 日中に私が昼寝している(子どもたちほっぽいて、れーちゃんの布団で寝落ちしてしまった😱)

 

一時期睡眠薬が手放せなかった非常に寝付きの悪い私が、子どもたちがいる中で昼寝できてしまうなんて、ほぼ奇跡。かなりリラックスできていた証拠(保育園が再開し、毎日ではなくても離れる時間を持てるようになったことが大きい)

 

子どもたちほっぽいちゃってたけど、この昼寝は大きかった。

 

人間、疲れていても緊張していては眠ることができません。自然界では、それは死を意味する。文明の中に生きようと、依然としてこの感覚は体にある。

 

ちなみに①、れーちゃんが見た「怖い夢」は、子山羊ちゃんが狼に食べられちゃう夢だそうで。

 

こうやって平場で聞けば、凄く子供らしくて可愛い話なんだけどね。寝不足の不眠女には、信じられない程迷惑だった。ごめんよ、れーちゃん。ママは赤ちゃんよりも眠るのが下手なんて!!

 

ちなみに②、5:30amに起きたれーちゃんは、パパもママもまだ起きないとわかったのか、自分も眠かったのか、8:30amリビングのソファーでスヤスヤ眠っている所を発見した。

 

色々と突っ込みどころ満載だ。後になれば楽しい思い出になるのか。

 

3.日中の家事・の量

振り返ってみると、両日こなしていた家事・育児の量が全然違った。一番違いを生んだのは、お昼ご飯を作る&片付け。

 

ドライヤー事件の日:

  • スクリーンタイム30分(=親の休憩時間)
  • 絵本に出て来たお弁当風お昼ご飯を頑張って作る
  • ご飯の片付けも全てやる
  • 床掃除 
  • 洗濯2日分(95%私が担当)
  • エンドレス絵本読み聞かせ
  • ワカメちゃんの絵本&寝かしつけ+れーちゃんの寝かしつけ

今日:

  • スクリーンタイム2時間弱(アナ雪2)
  • お昼ご飯作らない(主人担当)
  • 片付けもやらない(これも主人)
  • 床掃除
  • 洗濯1日分(娘たちが手伝ってくれた)

 

我が家の家事分担は、料理=主人、その他=私+家事代行

ドライヤー事件の日、主人の仕事時間を作るためと、子どもたちの喜ぶ顔見たさに、頑張ってお昼ご飯を作っちゃった。

 

しまじろうがピクニックしている絵本を読んで、三角おにぎりと卵焼きを食べたくなったらしい。

 

火傷に気をつけながら、炊きたての熱いご飯を握り、絵本みたいに海苔を巻く。卵焼きを作る。この辺まではキラキラお母さんだった。インスタ映えするかもレベルの(乾いた笑が止まらない)。

 

食べさせる、片付ける、そしてまた子守する、またおやつの時間になって食べさせる、子守する。

 

そもそも、(私が)昼寝しちゃってる&テレビ時間長いので、絶対的な子守時間が短い。もう、それがどれだけ救いか。

 

この辺からだんだんおかしくなってきた。ワカメちゃんの寝かしつけが終わった辺りで、忍耐力が底をついた。れーちゃんの分まで、残っていなかった。

 

人間には体力の限界がある。

 

精神力にも、限界があるんです。

 

寝かしつけの頃には、私の小さい精神力はキャパオーバーしていて、ドライヤー事件勃発。

 

要するに、自分の忍耐力を大きく見積もり過ぎたのか、見えていなかったのか、頑張り過ぎてしまった。

 

結論

  • 自分のことも、労るべし
  • キラキラ母ちゃん目指してイライラ限界突破よりは、いい加減だけど怒らない方がずっと良い

 

これに付きる。

 

人には「脱☆良妻賢母」とか言っておきながら、自己犠牲の家事をやっちゃってた。子供の笑顔のために、主人の仕事時間確保のために、と。

 

結果、パンクして、イライラと当たってしまい、後ほど泣きながら謝罪する。なんか、私、モラハラ夫みたい…こんな奴が母ちゃんだなんて、同情する…れーちゃん、ワカメちゃん、本当にごめん。。。。

 

モラハラする位なら、このダイヤのプレゼントいらね〜!ダイヤ返すからイジメは辞めて〜!って、誰でも思うよね。きっと子供たちだってそうだよね…

 

子供の笑顔が見たいために、絵本みたいなお昼ご飯を作った。そこに嘘はない。子供への愛もある。

 

けれど、私自身に対しての愛はあったのか?

 

なかった。

 

自分の忍耐力メーターがどれくらい残っているのか、考えもせずに突っ走ってた。

 

マイラバの hello again じゃないけど、我々母親は、「自分の限界をしるために生きている訳じゃない」。

 

一緒に子守する予定だった主人が、寝てしまったために戦線離脱すると、私は怒る事が多い。

 

でも、昼寝してしまった私を、誰も責めていない。子供たちも、それを怒ったりしていない。

 

「してしまった」なんて言ってるのは自分だけだと気づいた。

 

昼寝したことで、体力も忍耐力も回復して、夜まで怒らずに済むのなら、それで最高じゃないか。なんで自分を責めるのか。

 

 

留学前留学中も、努力努力努力で限界突破し続けて、そんな生き方しか知らなかった。

 

 

「違う生き方があるんだよ」

 

れーちゃんがお腹に宿った時から、ずっとずっと、それを私に教えてくれている気がする。

 

子供が増えれば、その分大変。その分、「違う生き方」を教えてくれる機会にも恵まれる。

 

 

分析してみて良かった〜!

後から分析すると、沢山の気づきがあるなぁ。

 

そろそろ自分の寝支度を。おやすみなさい。

 

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「こんな親でごめんね」

私は、女三人の髪を乾かしている。

私、長女れーちゃん、次女ワカメちゃん。

 

「ママにやって欲しい」

 

いつもは7割位まで、自力で髪を乾かすれーちゃん。

 

疲れていた私は、昨晩、そう頼むれーちゃんに、冷たく当たってしまった。

 

「こんな親で果たしていいのか…」と悩んだ夜だった。

 

5歳のれーちゃんは、段々とドライヤーを使えるようになって、8割位は自分で乾かせるようになっている。残りの2割は、私が仕上げをしたり自然乾燥に任せたり。

 

自分で乾かしてくれるようになって、私は随分楽になった。

 

2歳の妹ワカメちゃんは、全部の髪の毛をママに乾かしてもらえてい(だって小さくて自分ではドライヤーを持てないから)。でも、自分は、自分の髪を頑張って乾かさないといけない…

 

そんな思いでもあるのだろうか。

 

昨晩は、甘えたかったのか、言ってきた。

 

「全部ママにやって欲しい」

 

 

昨日の私といえば、連日寝不足(「怖い夢を見た」と起こされたり、私が不眠だったり)だったり、色々とコンディションが悪かった。しかも、子供の寝かしつけ前という一番疲れ貯金が増えている時間帯。

 

それで、つい、イライラと言ってしまった。

 

 

「えー!自分で乾かしてよ!ママは自分の髪だって乾かすのが面倒で嫌なのに、なんで三人分も全部乾かさないといけないの?!」

 

と。

 

れーちゃんのせいで、私が三人分の髪を乾かさないといけないわけではない。根本はね。でも、その時の私は、「れーちゃんが自分で乾かさないと、ママの負担が増えるじゃない」と言わんばかたりだった。

 

いくらお姉ちゃんとは言え、れーちゃんはまだたった5歳。

 

5歳の子供が、自分の髪の毛を乾かすことは負担なのだろうか。「お姉ちゃん」だから、と自力でやらせ過ぎてるのだろうか。

 

昨日の夜、結局れーちゃんが4割程度自力で乾かした。寝る前の絵本をどれを読むのかをさっさと決めて、短いお話にすることを約束した上で、私はれーちゃんの髪を乾かした。

 

イライラして疲れてきたので、とても優しいとは言えない口調で言ってしまった。

 

 

一通りが終わって、寝床に入ったれーちゃんに、おやすみの挨拶をした。

 

「さっきはイライラして喋ってて、怒ってるみたいに聞こえたよね。ごめんね。れーちゃんのせいじゃないんだよ。ママの調子が悪いだけなんだからね。」

 

そういうと言うと、小さく頷いた。

 

 

おやすみ前に毎日必ず言っていることがある。

 

「れーちゃんのこと、大好きだよ。れーちゃんはママとパパの宝物だよ」

 

と。昨日のれーちゃんは、ママの「ごめんね」には頷いたけど、「大好きだよ」には無反応だった。

 

「こんなママでごめんね…」

 

 

そう言って、寝ようとしているれーちゃんの髪をなでながら、私はまた泣いてしまった。

 

 

 

こんなママでごめん……

 

 

明日は2ヶ月ぶりの登園日だと思うと、「優しくしなきゃ」と思った。久々の登園を楽しみにしているれーちゃん。

正直、再登園の日を一番楽しみにしていたのは誰でもないママだよ。離れる時間は、どうしても必要なのだ。

 

涙を流しながら、子ども部屋から出てくる私を見て、主人は「どうしたの?」と聞いてくれた。

 

 

「こんな親でいいのかな…」

 

私は何度でも思ってしまう。

 

主人は言った。

 

「誰でも、どんな親でも、必ず一回はそう思うんじゃない?だから、そんなこと思っても仕方ないよ」

 

と励まし(?)てくれた。

 

 

「こんな親でいいのかな」

 

私は何度も何度も、思う。どんな親も同じなのかもしれない。

 

そんな事の連続。余計な傷を娘に負わせてないだろうか。凄く心配していて、それが行き過ぎてイライラしてたり。本末転倒。

 

 

「こんなママでも大丈夫!」なんて事は、私は口が避けても言えない。専門家でもなんでもない。そもそも、大丈夫ではないと思う。

 

 

「そんなお母さんは、一人じゃないよ」

 

私が言えるのは、たったそれだけ。

 

 

久々の登園日。今頃、どうしてるのかなー、と思いながら、お昼にこれを書いた。

 

お迎えに行ったら、どんな顔をするのだろう。今夜は、二人が眠るまでの間、怒らずに過ごせるかな。

 

そして、れーちゃんもワカメちゃんも、自分で髪を乾かせるようになったら、私もまた髪の毛を伸ばす気になるだろうのだろうか。

 

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理系による断食体験レポート②

理系による断食体験レポート②です。

 

「食べないとどうなる?」を自らの体で実験。

 

断食しても痩せても、たるんだお腹の根本的解決策にはならないとわかったのが①

 

お腹の贅肉以外にも、この実験を通して様々な発見があったのでそれも記す。

 

②はもう少し随筆調になります。論文でいうとappendix の部分です。

 

※お食事中、食前の方は読むのをお控え下さい。

 

断食中に気づいたことと、断食明けに気づいたことは違います。

どちらも書いていきます。

 

目次

■断食中に気づいたこと
その1:食べていなくても、お通じはある

その2:食べていなくても、胃腸は動く

その3:断食中は、空腹感よりも不眠が辛い

 

■断食明けに気づいたこと
その1:移動する肌荒れ

その2:断食明けの方が辛い

その3:お米は甘い

その4:嗅覚が鋭くなる

その5:お味噌汁が美味し過ぎる

 

■断食全体を通して気づいたこと

 

 

■断食中に気づいたこと

断食中の発見その1:食べていなくても、お通じはある

24時間以上、食を経ったとしても、お通じはある。前日まで食べていたものは、まだまだ出てくる。

 

普段は、胃腸が空になる前に、次から次へと上乗せで食事してることがまざまざとわかった。そして、消化に12〜24時間ほどかかる、という話は事実なのだ、と自ら体感した。

 

 

断食中の発見その2:食べていなくても、胃腸は動く

胃腸は 24 時間 365 日働いている。

 

たとえ、何も食していなくても、胃腸がゴロゴロ動く音は聞こえる。

 

私の体は、そう強くはない。24時間働き続けるなんて無理!と思えど、私の内蔵は長時間労働に耐えている。

 

月一出動の子宮は、他の内蔵に比べて楽してると言えるのか。普段は楽をしていても、妊娠出産時に死ぬような思いをしてるのも、子宮なのではないか。(麻酔を使った無痛分娩も、私の神経が麻痺するだけで、子宮の辛さは変わらないだろう

 

勝手に、我が臓器に思いを馳せる。私の頭の中の思惑がどうであれ、彼らは働き続ける。

 

 

断食中の発見その3:断食中は、空腹感よりも不眠が辛い

酵素ドリンクのおかげで、さしたる空腹感は感じなかった。それよりも辛かったのは不眠。

 

元々寝付きが悪い私は、更に眠れなくなった。

 

普段は消化に使ってるエネルギーが未消費ゆえ余剰エネルギーがあって、眠れないのだとか。

 

そんなこと言われても〜!1日断食しながら、子守してたら結構疲れる。運動する気になんてなれなかったよ〜。

 

 

■断食明けに気づいたこと

断食明けの発見その1:移動する肌荒れ

デトックスの一種なのか、不思議な発疹が出ては消え、出ては消え、転々とする。これを好転反応と呼ぶらしく、これまで蓄積していた毒が出てくる。

 

私は普段から肌が弱い。少し前に自粛ストレスで顔面がボコボコになった様に、肌荒れが出た

 

これまで体内あらゆる添加物が、あらゆる穴から排泄される。それは毛穴も含むのか。

 

 

 

断食明けの発見その2:断食明けの方が辛い

断食明けはいきなり普通食を食べるのではなく、流動食を食べる。手術明けの人の食事に近い。

 

ぶっちゃけ、断食明けの方が辛い。理由は覚悟が甘かったから。


断食中は「食べれないよね」と覚悟が定まってい

るが、断食明けに対する覚悟は甘かった。

 

お粥→お粥+具無し味噌汁→ご飯+クタクタに煮た野菜スープ→豆類、生野菜→魚→鶏肉→豚肉→牛肉

 

こんな風に順を追って、段階的に普通食に戻していく。

 

子供に分け与えることすら憚るほど、大好きな肉も、断食明けにいきなりは食べれないのだ。

 

それを我慢するのがすごーく辛い!「やっと断食明けたのに!」という気持ちが強い。

 

ここで調子に乗って、脂っぽい肉やら揚げ物を食べると、胃腸が悲鳴から上がる。ちなみに、今回私は復食三日目で豚肉を食べたら、下りました。 

 

 

食べれる、けど、心が欲するものは食べれない。

 

それが断食明け。後片付けまでが戦。

引越しでは荷造りしたら荷解きもしないといけない。そんな感じ。

 

 

 

断食明けの発見その3:お米は甘い

断食明けのお昼ご飯。50時間以上ぶりに摂取したお米は、非常に甘く感じた。血糖値が下がっているからであろう。  

           

今まで貧乏だった学生が急に可処分所得が増えると、王様気分になったりするような。※就職したての頃の私の話。

 

まあ、落差の問題ですな。

 

断食明けの発見その4:嗅覚が鋭くなる

これまでに感じていた匂いにかかっていたモヤが、パーっと取れた感じ」。 この感覚の違いを、主人にそう説明したら「長嶋茂雄的な説明をどうもありがとう」と言われた。翻訳すると「それじゃわからん!」

 

断食後に嗅覚が鋭くなったとは言え、妊娠中の鼻の鋭さには劣る。あの頃は、ごく微量の酒の匂いもわかったし、「隣の家で玉ねぎ炒めてる」「上か下の家で炊き込みご飯作ってる」「半径80メートル以内にそば屋がある」などを感知してた。

 

改めて、妊娠の凄さを知る。なぜか、断食を経て。  

 

断食明けの発見その5:お味噌汁が美味し過ぎる

断食明けの夕飯はお粥と具無し味噌汁。未だかつてなく、お味噌汁が美味しいと感じた。

 

これも「お米は甘い」のと同じ原理で、血中の塩分濃度が相当下がっているので、たとえ薄味でも「めちゃ塩分入ってきた来たぞ!」と舌が感知する。

 

38度の炎天下の後は、古ぼけた冷房がガタガタと効いていない30度でも天国とまがう程涼しく思える感覚と似ている。 

 

 

■断食全体を通して気づいたこと

今まで食べていたものって何だったのだろう?と、これまでの自分を見直すことになった。

 

断食のことを子供たちには「ママは今日はお薬(酵素ドリンク)だけを飲んで過ごすね」と説明していた。

 

断食が2日に伸びた時、長女れーちゃんは「え〜…ママとご飯食べたい」と言ってた。 

 

そっか…ママとご飯食べたいか。

 

「足の位置を直せ」

「手で食べない」

「ナイフは右手」

「喋ってばっかり居ないで食べなさい」

「肘つかない」

「よそ見しない!」

 

 

食事中、私は子供たちにこんな注意をしている。私が子供の頃も、あれこれと注意されていた。今となっては「必要なマナーを習っていた」と思えるが、当時は「鬱陶しいぜ!」と思っていた。

 

 

鬱陶しくても、注意がうるさくても、娘たちはママとご飯を食べたいと思っている。たとえこんなどうしようもない女であったとしても、「一緒に居たい」と思ってくれている

 

 

車にガソリンが必要なように、人間にも食べ物が必要。ガソリンならば、どこでどんなふうに入手しようと同じだが、人間にとっての食べ物は違う。その違いは、「家族と一緒に食べる」という、変え難い体験があるからこそ、なのかもしれない。

 

 

■おまけ

私が2日間断食していたのを間近で見て、主人も「俺も食べる量減らそうかな」と言い出した。楽観主義というか、超ポジティブな主人が、結婚式以来初めてまともにダイエットをするかもしれない予感。

 

これは思わぬ副産物。

 

 

自分の行いは、近くにいる他者に影響を与えるのか、と実感。

 

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理系による断食体験レポート①

コロナ太りしてませんか?

 

私もしてます。体重もですが、だらしないお腹が目下の課題。

 

デトックス9割、ダイエット1割目的で断食にチャレンジしました。それを実験レポート風に記します。

 

断食。ストイックなことに。チャレンジしたら、見たくなかった現実を、直視させてくれるものだった。

 

問題 

コロナによる外出自粛で、体重も若干増え、たるんだ体(特にお腹)をなんとかしたい。

特に、朝はペタンコでも、夕方以降にお腹が出てくるのが嫌。

 

背景

断食を決行する前の取り組みは以下。

 

ヨガ講師の友達に誘われ、断食に挑戦することに。この友人が素敵すぎて、決意できたと言っても過言ではない。  

 

仮説

2つの仮説を立てた。

  1. 体全体の贅肉が減れば、お腹も引き締まる。
  2. 日中に食べたものが原因で、夜にはお腹が出てくるので、断食すれば夜でもペタンコお腹であろう。

 

目的は解毒8割、ダイエット2割位で断食開始。

 

実験

断食のプロの指示は、

  • 断食前日は、砂糖、小麦、肉、カフェインを控える
  • 断食当日は、「酵素ドリンク、お水、ノンカフェインお茶のみ過ごす」
  • 断食明けは、大根やらお粥やら、離乳食と紛うほどの柔い食物から徐々に食べる

 

今回は人生2回目の断食。1回目は本を頼りに「水のみOK」断食※で、めちゃめちゃ辛かったが、今回は酵素ドリンクOKだったので、前回よりも遥かに楽だった。

 

 

午後17時くらいまで、特に異変も空腹感もなく過ぎたが、辛くなったので、断食マイスターの指示の元、塩入りの白湯を飲む。

 

塩があんなに美味しいとは、初めて思った。塩水なのに、甘く感じた。

 

1日だけ断食のつもりが、「まだ行けそう」と思い、2日連続で断食してみた。

 

結果と考察

  • 体重:  

1.5Kg減。食べ始めたら、増えると予測するが、完全には戻らないと思う。そりゃあ、食べないんだから、減るよね。自然の摂理。

 

  • お腹の贅肉

少し減った気がするものの、夕方〜夜になると下腹がだらしなくなる現象は、断食中も変わらなかった。つまり、私が日中に食した食べ物が、下腹の出っ張り原因ではない、と判明。

 

❌胃腸内の食べ物が原因で、夜には下腹が出る

⭕重力によって、下腹が出る。食物は無関係。

 

私の仮定は、裏切られた。

 

真の原因は、重力、g, gravity, 9.81 m/s2、それとも重力定数Gか。要するに、私の腹筋がなくて、重力に引っ張られる内蔵を支えきれていない。 これもまた、自然の摂理。ニュートン万有引力の法則が頭をよぎる。

 

「食べた状態」と「食べていない状態」で、A/Bテストをした結果だ。それ以外の変数はなかった。事実を直視せざるを得ない。

 

 

結論

今必要なことは、内蔵を支える筋トレをすること。※部活時代も真面目に練習はしてたが、筋トレと朝練嫌い。朝練がある部には入らなかった。

 

出産前、週2でベリーダンスをしていた頃は、それなりの腹筋もあった。長女れーちゃんは5歳だから、5年は経過。筋肉貯金も使い果たした。

 

うぉぉぉおお、筋トレ、イヤだぁ。でも、やんなきゃ。自らの体で実験した結果。理系人としては、真摯に現実を直視せねば。

 

 

しかも、タイミングが良いのか悪いのか、主人が「昨日、下腹に効くインナーマッスルの筋トレ方のYouTubeを見たよ」と言って、私にレクチャーしてくれたり。

 

加圧タンクトップも、断食も、私の腹筋を鍛えてはくれない。ストイックに取り組んだように見える断食も、結局は他力本願だった。

 

夕方にだらしなくなる下腹の原因も、対処法もわかった。もうやるしかないんだーー…逃げれない。

  

断食の目的は、お腹引き締めとダイエットであったが、それ以外にも様々な発見があったので、Part②として、続きを書きます。

 

断食は、断食中だけじゃなくて、断食明けも大事。実験は実験中だけではなく、レポートや考察が大事なのと同じ。

 

 

 

続きも読んでくださると嬉しいです。

 

 

 

 

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見ても嬉しくないSNS投稿③

コロナ自粛中に流行ってるもの。されど、私が見ても嬉しくない投稿③です。

 

  1. オンライン飲み会(お茶会)  
  2. 「美味しいごはん作った♥」写真
  3. ブックカバーチャレンジ(今日はコレ)

 

これが、外出自粛中の今の私の心が浮かない三大SNS投稿たち。 

 

その理由について自己考察中。

 

今日は③ブックカバーチャレンジについて。

 

オススメの本の表紙で、「ドヤっ!」と投稿されているのに、私は気圧されている。

 

よっぽとの美形でないかぎり、顔だけでは興味を持たない。本の表紙だって同じではないのか。

 

※ブックカバーチャレンジとは※

自分のお気に入りの本の表紙の写真を、7日間投稿し続けるバトン。次の人を指名して終わるチャレンジ。投稿には説明文を含めず、表紙のみを飾る。

 

こんな代物が、SNSを賑わせていた(いる)。

 

最初は、何とも思っていなかったのに、段々と私の感想は変わった。

 

初期:へー、こんな本があるのか。古い本を大事にしてる人もいるんだな。

 

中期:読書好きだと思っていた自分の無駄、かつ空虚なプライドが崩壊し始める。

 

終盤期:繁殖し過ぎたバイキンを見ているようで、スルーし始める。(が、完全にはスルーできていない←今ココ)

 

ブックカバーチャレンジを見て、面白くない理由はいくつかある。

 

理由その一:「意識高い系」の本にげんなり

ビジネス書、自己啓発書、○○仕事術、経済学。

 

私が苦手な本たち。

 

私は大して好きでもないくせに、「こういう本を、私も読むべきなんだろうか…」という強迫観念を抱きがち。

 

女子力と同じ。「意識高い系」の人の苦手な所は、「俺たち、凄い自分磨きしてる。やってない奴はカス」みたいに見下してる(と、私には見える)。はい、ここも被害妄想発動!

 

たとえ自粛中だろうと、この見下し感を出せるのはある意味感服する。

 

ブックカバーチャレンジを見始めた初期の頃、「この本は素敵だな」と思った本は、「星の王子さま」、「砂糖の世界史」、服飾デザインの歴史などなど極わずか。いずれもビジネスや仕事に全く関係ない本。

 

それだけ目にしてれば特に問題なかったのに、「あれ、私こんな本読んだことない…果たしてこれでいいのか」と焦りが出てきた。

 

いくら焦っても、読むつもりのない本に対して罪悪感や焦りを感じるなんてバカらしい。けど、感じてしまう。

 

ああ…これもまた、私のコンプレックスを刺激する投稿なのか。

 

 

理由その2:説明文がなく、表紙だけが投稿されてる

このブックカバーチャレンジのルールは、「私がこの本を好きな31の理由」はない。ひたすら表紙だけが投稿される。

 

ルールを自分流にアレンジして、説明文を加筆してる人もいる(こっちのが、見てて辛くはない)。

 

私なら、私の大好きなものを紹介するのに理由を言わずにはいられない。如何にそれが素晴らしくて、どう私を惹き付けるのかを語りたい。

 

たとえ、誰も耳を貸さずとも、一人よがりだろうと、大好きなものであればいくらでも語ってしまう。

 

素敵な顔面だけ見せられても、その人に惚れない。よほどストライクゾーンの顔面ではあれば、中身を知らずとも、「その人を知りたい」と思うかもしれない。

 

本だって同じじゃないか。

 

その人を知って、素敵だと思うから、人に紹介したくなる。

 

何か、特別なストーリーがあって、ただの本が、お気に入りの本になる。

 

たとえば、「砂糖の世界史」について言及したい。

 

「砂糖の世界史」という本が私の目をひいたのは、主人の愛読書(「緑の世界史」)に似ているからだ。「緑の世界史」は、二酸化炭素の歴史に焦点を置いた本。その作者に縁のある大学で勉強したい、とイギリスの大学院(University College London)に進学した。(これが偶然、私の母校でもある)

 

空気の歴史は、私も興味がある。なんせ、私は研究室時代、オゾン破壊の化学反応について研究していた ※。主人は社会的に、私は科学的に大気を見ていたのだ。(空気の研究をしていたとはいえ、私は空気読めないキャラ。)

 

※私が書いた論文が、化学ジャーナルにもある。研究から遠のいた今、自分が書いた内容がさっぱりわからなくなってる。

 

特定の物質において歴史を追うことは、面白いし、私にとって物凄く縁のある話。

 

本の表紙だけで「読みたい!」と思わせる魅力的な本は滅多にない。顔だけで結婚したいと思わせる人も滅多にいない様に。

 

友達全員の本棚には興味がない。その人が何を想うのか、に私は興味を馳せる。

 

理由その3:「ブックカバーチャレンジ」じゃないと、本を紹介しないのか

前述のとおり、大好きな本には思い入れがあるばす。オンライン・オフラインに関わらず、大好きな本であれば、特にきっかけがなくても紹介したくなるんじゃないか。(現に、私は時々読書感想文を公開している下らない感想も含む。)

 

チャレンジなんてなくても、思わず紹介せずにはいられない!位の熱量を持った、本ならぜひ読みたい。

SNSでも、不思議とそういう熱量は伝わる。)

 

 

理由その4:読書できる時間も機会もあるのに、携帯ゲームをしている自分を見たくない 

子どもと24時間生活。子どもが寝た後、大人しくテレビでも見てくれてる間。読書のチャンスはあるのに、私はそれを最大活用していない。

英語のクロスワードパズルにハマり、ゲーム時間 > 読書時間な私がいる。

 

はっきり言ってめちゃ意識低い。

 

読書って大好きだけど、没入するまでに時間がかかるし、忍耐力も必要とする。瞬時に快楽を味わえるゲームに、ついつい、子どもよりもスマホに手が伸びる

 

中断されても比較的イライラしないのがゲーム。本が破かれたら泣くし。

 

 

 

まとめ

 

ビジネス書が苦手だけど、嫌いでいてはいけないのではないか、と焦る私。

 

意識高い系を意識せずにはいられない、この意識低い私。

 

読書よりもゲームに時間を割いてる私。

 

こんな自分を直視したくない。ブックカバーチャレンジはそこを突いてくる。

 

 

もう、考え過ぎ。被害妄想過ぎ。コンプレックス過ぎ。

 

料理投稿に対して、「過ぎたるは及ばざるが如し」なんて言ったが、ブックカバーよりも、料理写真よりも、何よりも、私の脳内にこそ相応しい言葉かもしれない。

 

断食中で、脳みそおかしくなってきたのか。それともこっちが本性か。

 

 

ここまで思うのなら、SNS辞めればいいのにって?

 

いいえ。やめません。素敵な人々とも繋がっているから。

 

 

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見ても嬉しくないSNS投稿②

コロナ自粛中に流行ってるもの。されど、私が見ても嬉しくない投稿②です。

 

  1. オンライン飲み会(お茶会)  
  2. 「美味しいごはん作った♥」写真
  3. ブックカバーチャレンジ

 

申し訳ないが、これが、外出自粛中の今の私の心が浮かない三大SNS投稿たち。

その理由について自己考察してます。

 

①は、オンライン飲み会について

、今回は②「美味しいごはん作った写真♥」について綴ります。

 

SNS料理写真を見ると、なぜ私の心が浮かないかって、それは罪悪感とコンプレックス!被害妄想入ってる。

 

私は基本的に、料理はしない。我が家の料理担当は主人。

 

料理をしたくない理由は、面倒だから&汚れるから。要するに、そんなに料理が好きじゃない。

 

我々夫婦も色々も喧嘩し、協議し、やっと主人=料理、私=その他という分担で落ち着いてる。

 

「私が全てをやらなきゃ!!!」と思い込んでいた時期よりもずっとずっと幸せだし、快適。

 

それでもね、いつも思う。

 

「私、料理しない妻/母でよいの?!」

 

自分が幸せになるためには、私は料理担当ではない方が良い。それは夫婦間でも明らかにされている。 

 

されど、「料理は女が作るもの、家事は女がするもの」的な文化は、この体に、この国に、この世界に、染み込んでいる。

「理想の母親像」の呪いがつきまとう。

 

それを真っ向から否定するのは、心の体力がいる。そして、私にはそれがない。

 

「私はこ〜んな美味しそうでキレイな盛り付けの料理が作れるよの〜!」

 

という自己顕示が見えると、なんだか疲れてしまう。

 

そんなものは、私の被害妄想なのかもしれない。

 

私は料理に対してさしたる情熱もない。それでも、たまーーーに上手く作れた食べ物があれば、Instagramを更新してしまう。

 

全ての料理写真が苦手な訳ではない。「あ、こんなメニューもあるのか。作ってみよう」と、参考になるものもある。

 

無駄に女子力アピールしている物が苦手。

 

そもそも、「女子力」という言葉が好かない。「男子力」って言葉はないし、そもそも女子力の手前に人間力だろ!と。

 

数式で言うなれば、

 

人間力>女子力 の人は好き。

人間力<女子力 の人は苦手。

 

 

自分の鬼妻っぷりを刺激されるからなのか、女子力アピールする人たちに気圧されてるのか、ただの被害妄想なのか、わからない。

 

 

不思議とパティシエのお友達の投稿写真は、全く気にならない。むしろ「やっぱりプロは違う〜!!」と感動すら覚える。

 

美味しそうな自作料理の写真も、楽しいですよ。凄いですよ。でも、今、そればっかり目につく。

 

でも、でも、それが出来ない私がいる。

 

というか、本当は「したい」とすら思っていない。嫉妬ではない。けど、どこか罪悪感を掻き立てられてしまう投稿。

 

SNSは、「この人のフォロー、やーめっぴっ!」ってできるが、トピック毎のフォロー外しはできない。ハッシュタグ単位でフォローを辞めるってできるのかな。

 

投稿してる人たち自身は嫌いではない。けど、料理投稿が多すぎて疲れた。

 

普段は料理写真も嫌いじゃないのにね。

 

 

何事も過ぎたるは及ばざるが如し。料理写真も然り。

 

何を見ても、何が置きても、物事は捉え方次第。

 

自分が苦しむような捉え方をし始めたら、小休止したい。

 

私は、ポジティブに捉えたいのではない。ニュートラルに捉えたい。そう、動じない人になりたいのだ。

 

打たれ弱い私が、動じなくなるには…長い道は続く。

 

 

ちなみに明日は一日断食の予定。子供たちや主人が食べるものは考える必要はあるが、自分の分は考えなくてよい〜!!

 

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