打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

真っ赤な夕空からのセーラームーンな三日月

セーラームーンでは、どのキャラがお気に入りでしたか?

 

熱中症から徐々に回復しつつある今、空を見て、月を見て、セーラームーンを思い出したのです。

 

熱中症に見舞われた先日は、経口補水液を飲んで寝てるだけ。

次の日は、家の中で、家事をゆっくりと時間をかけて行う。

その次の日は、家事+ママチャリで保育園まで子供たちのお迎えスタート。

 

こんなふうに、段階的に回復して、リハビリしてる。

 

昨日今日は、数日ぶりに保育園のお迎えに行った。日差しも弱まった夕方に。

 

保育園からの帰り道、娘たちを乗せた自転車から見えた夕空は、真っ赤で美しかった。

都会のビルとビルの間から、ほんの少しだけ見える赤い夕空。

 

保育園を出る頃には、真っ赤だったお空が、家に着く頃にはもう薄く紺色になり始めてて。

 

10分もしない間に、空色がこんなに変わって。

 

汗だくで帰宅した後、西の空を見るとキレイな三日月が見えた。セーラームーンに出てくる猫、ルナの額を思わせる三日月が。

 

明るい紺色と消えゆく空色の中に浮かぶ黄色い月。それが、ルナを思わせた。

 

 

ほんの数分ずつで、景色がガラリと変わる夕空。

ほんの数ヶ月で、景色がガラリと変わるのが子育て。

 

この2つが重なるのを感じた。

 

セーラームーン、懐かしいなぁ。幼稚園の頃の遊びは、なんといってもセーラームーンごっこが多かった。

 

私は弱くとも知的なセーラーマーキュリー(あみちゃん)が好きで、いつもあみちゃん役だった。あみちゃんは競争率が低かったので、ある意味ラッキーだった。

 

 

夫婦関係がガラリと変わっていくインターバルはどれくらいなのか。

明らかに「あの時、大きく変わった!!」という時期はあったが、毎年それを感じるわけではない。

 

さりげなく、自分が気づかない所でも、夫婦関係も変化してるのかなぁ。

 

毎日暑いんだけど、夜になると秋の虫の声が聞こえる。

 

 

熱中症を経て、なんだか、世界を少し視点から見るようになったみたいだ。これも一過性なのか、続くのか。柄にもなく、諸行無常を感じてる。平家物語か。

 

はて、私がちょこちょこ怒っているのも、諸行無常で、すぐに消えるのかしらん。

 

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熱中症になって垣間見た、やるせなさと娘の優しさ

昨日、私は熱中症に見舞われた。

 

頭痛、発熱、でも汗が出ない、脱水。いわゆる熱中症の症状でかなり辛かった。

 

いつも行う子どもたちの世話や家事を全くできず、ずっとアイスノンを体中に当てながら休んでた。

 

熱中症をきっかけに、感じたのは「このコロナの現状ってなんなんだろう」というやるせなさと、家族の優しさだった。

 

水分補給が苦しくて、38.5度を超えたのは20時ごろ。「病院行くべきかな」と思い始めた。

 

とは言え、このコロナのご時世、病院にひょこひょこ行けるものでもない。

 

電話で医療相談したら、結構ショックなことを言われた。

 

「そこまでお熱があると、現状では病院にご案内できない」 

 

今、熱中症で頭も痛くて、水分補給すら辛い。だから病院に行きたいと思ってるのに、コロナ対策のために、普通に病院へ行っても、私は病院には拒否されてしまうそうだ。

 

歩行も難しそうなので、救急車も提案されたが、救急車に乗れたとしても、受け入れ先の病院がなくて、たらい回しにされる可能性は高い。

 

頭痛、発熱、脱水の辛い状態で、救急車に乗せられたらい回しにされる位なら、自宅で大人しくしてることにした。

 

めちゃくちゃ体調が辛くて、医療機関を頼りたい夜でも、発熱してると病院に行けない。

 

誰のせいでもない。けど、非常に悔しくやるせなくなかった。この現状って何なんだろう…。私はなぜ体調不良になって、家族に(特に主人に)迷惑をかけているのだろう…。やるせなさと、悔しさと、罪悪感から、私は、また、家族の前で泣いてしまった。

 

私を心配してる主人は、子供たちの世話やら家事一通り終わらせた後、経口補水液を買ってきてくれた。

 

これが、激ウマ!!だった。

 

水は吐きそう、アクエリアスも少量しか飲めない。そんな中、経口補水液はグビグビと飲めた。

 

経口補水液が私の命を救ったといっても過言ではない。

 

健康な状態で飲むと、激マズの経口補水液が、本当に美味しかった。

 

 

頭はガンガンする、熱も高い、子供たちのお世話は何もできなかった。経口補水液で少しだけ復活したので、頑張って起き上がり、子供たちに「おやすみなさい」のご挨拶をした。

 

ママとご飯も食べれず、お風呂後の髪や体を乾かしても貰えず、何もしてもらえず、きっと寂しかっただろうなって。そんな寂しい中、ママである私は、辛そうに横たわってるだけだった。

 

長女れーちゃんも、次女ワカメちゃんも、時々私の様子を見に来ては、頭を撫でてくれたり、アイスノンを持ってきてくれたり。

 

ぶっちゃけ、昨日の私は「使えない」ママだった。なーんにもしてない。そんなママが「おやすみなさい」のご挨拶にやってきた時、れーちゃんの天使発言が。

 

「ママ、早く元気になるといいね。パパは世界一カッコいいし、ママは世界一かわいいんだよ。」

 

それを聞いて、私は泣きそうになった。これを思い出すだけでも、泣きそうになる。優しすぎる。

 

私みたいな、しょうもない母親の元に、なんでこんな天使みたいな子がやって来てくれたんだろう。

 

熱中症による辛さ、

コロナによって変わってしまった病院体制へのやるせなさ、

娘のれーちゃんの優しさ。

 

かなり振れ幅の大きい感情のアップダウンを、味わった夜だった。

 

れーちゃんとワカメちゃんの優しさに心が温まり、主人に助けられ。私ってば、迷惑かけまくりながら、家族に支えられてるんだな。

 

「病気になる」とは、「いつもとは違う状態」になること。「いつもと違う」を体験すると、違う視点が持てる。今まで存在していたのに、気づいていなかったものを認識できる。

 

山の麓での景色と、山の上での景色が違う様に、違う景色を見ることができる。

 

病気をすることで違った景色が見えたことが、私には何回もある。できれば病気はしたくない。病気っていうのは、「おーい、お前さん、○○という大事なものを忘れていないかね?」という天からの声なのかもしれない。

 

次なる「いつもと違う」体験は、病気以外の方法でやって来て欲しいなぁ…。

 

まだまだ暑い日が続きます。皆様、くれぐれも熱中症と水分不足にはお気をつけください。

 

マジで苦しいから!!

 

 

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初めてのピアノのお稽古(チューリップの花が咲いたよ)

咲いた〜咲いた〜チューリップの花が〜♪

 

みなさん、お子さんの習い事ってどうしてますか?

 

長女れーちゃん(5歳)がピアノを始めました。

 

様々な習い事を誘ってみても、これまでれーちゃんは首を縦に振らなかった。大した焦りも、本人がその気になるまで待つ忍耐力や根性がない私はすっかり諦めて、習い事のことを忘れていた。

 

そんなれーちゃんが、自ら「やりたい」と言い出した。その「やりたい」の一言から、最初の一曲を弾けるようになった所までのお話です。

 

 

とある日、れーちゃんはいつもどおり、お風呂後に髪を乾かしていた。自分で髪を乾かすのに疲れたのか、ママ(私)に、センチメンタルに、控えめに話し始めた。

 

「あのね…、お友達の○○ちゃんは、ピアノ上手なの。れーちゃんは…れーちゃんはピアノ上手じゃないから、お教室に行けないの?」

 

涙声になるれーちゃん。○○ちゃんは、去年あたりから、ピアノを習っているお友達だ。

 

あらゆるコミュニケーションが、婉曲表現なれーちゃんどストレート表現しかできない&理解できない私も、れーちゃんの言うことが、少しずつ、少しずつ、理解できるようになってきた。 

 

きっと、ピアノを習いたいんだな。そして、ピアノが上手でないとお教室に通えないと思ってるんだなって。

 

「最初から上手な人はいないよ。みんな、いっぱい練習して、上手になるんだよ。上手になるためにお教室に通うんだよ。れーちゃんも、ピアノのお教室行きたい?ピアノやりたい?」

 

「うん」と無言で大きく頷く、パジャマ姿のれーちゃんがいた。半乾きの髪の毛と、ピンクの小花が咲いた白いパジャマなれーちゃん。ママがお教室を探しておくね、と伝えると「うん」と、また頷いた。

 

これまで、バレエにバイオリン、複数の習い事教室に、体験・見学してみたものの、どれも「やりたい」と言い出すには至らなかった。レッスン室に入った瞬間に「ヤダ!帰る!」と言ったこともある。アレコレしつこく誘ったところで、れーちゃんの答えは否であった。

 

「子供が嫌がろうが、親が我慢して何回か連れていけば、いずれは慣れる」という例はあちこちで見るが、私にはね、そんな根性も気力もない。

 

「本人がやりたくもないのに、子供をその気にさせるために、私はそこまで頑張れない」が本音。保育園の時間内に体操やらリトミックもしてるし、焦って習い事をさせなきゃ、とも思ってなかった。

 

習い事に関して、親も諦め、れーちゃんも習い事に関して沈黙して半年以上。そのれーちゃんが、自ら「ピアノをやりたい」と言い出した。婉曲表現ではあったけど、そう言ってくれた。

 

先月、初めてのピアノお稽古に向かった。行き先は、私の叔母の家。私の幼き頃、ピアノを教えてくれたのはピアノの先生である叔母だった。

 

近所ではないから、移動に疲れたり、恥ずかしさもあったらしい。途中、「もう帰りたい」泣いたり、叔母の家でトイレの場所がわからず、間に合わずに漏れてしまったり、初稽古の日はハプニングも多かった。

 

せっかく「やりたい」と言い出したのがピアノ。ここぞ、親が努力すべき所だ!と思い、れーちゃんを心いっぱいサポートして、ピアノを続けるよう応援している。そのサポートとは「主に、ママが教える」だ。

 

コロナ禍&叔母の家は近所ではない。毎週通うには少ししんどい。ゆえ、主に私がれーちゃんにピアノを教えて、時々はプロの先生にチェックしてもらうスタイルを取ることにした。

 

私のピアノなんて、頑張って練習したらソナチネ弾けるか否かみたいなレベル。上手い小学生なら私よりずっとずっと上手。そんなプロでもない私が教えて良いものか、悩んだ。

 

けど、確実に、れーちゃんよりは上手であって、れーちゃんに教えれることはある。プロじゃなきゃ教えれないなんて、誰も言ってない。

 

1回、2分だけでもいいから練習する。

毎日でなくてもいい。

 

ものすごくハードルを下げて、れーちゃんと一緒に練習してたら、なんと、始めて2週間で、れーちゃんが「チューリップ」のメロディーを弾けるようになった。ちゃんと、五本の指を使っての演奏。

 

もう、感動した。

 

れーちゃんが「チューリップ」を弾けるようになったことはもちろん。

 

れーちゃんが頑張ってくれたこと。

私がここまで、れーちゃんと頑張れたこと。

 

それが嬉しかった。

 

 

咲いた〜咲いた〜♪

チューリップの花が〜♪

 

私にしては珍しく、私の頭にもチューリップが咲いてるかもしれない。

※私の脳内は、お花畑だったことはほとんどなく、正直花も生えない高山地帯に近い。私の体は高山(低酸素)に弱いくせに、脳内だけは高山。以前ブータンに旅したときに高山病にった話は、後日書こうかな。

 

ピアノの練習は、一日数分程度、しかも毎日じゃない。でも2週間でできるようになった。れーちゃんは天才か!!

 

次の練習曲は「なべなべそこぬけ」。底が抜けるのは、鍋ではなく、私の親バカっぷりだ。

 

 

なーべーなーべー、そーこぬけ

そーこが抜けたら帰りましょ

 

 

親バカの底が抜けても、私は帰らんぞ。

 

変態は世界を救うし、親バカは世界を救うと思う。

 

あ、バカ親はダメですよ。親バカとバカ親は似て非なるもの。あー、気をつけよう。

 

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浴衣を着たら気づいた、「本当の家宝とは何か?」

先日、久しぶりに浴衣を着ました。娘たちの保育園の夏祭りに。

 

コロナで今年の夏祭りはキャンセルかと覚悟してたが、先生たちはかなりの感染対策をして、開催してくれた。年長さんである長女れーちゃんにとっては、最後の夏祭りだったので、とても嬉しい。

 

娘たちと一緒に和服を着たことで、気づいた事があった。

 

「宝って、なんだろう?」という話です。

 

長女れーちゃんは、水色の地に朝顔の甚平、そこに濃いピンクの帯(三尺)。

次女ワカメちゃんは紺に鞠のような花の甚平。

私は薄紫の地に濃い紫の花柄、そこにクチナシ色の帯。

 

和服って、世代間を繋げてくれるものだな、としみじみ思った。

 

れーちゃんの帯(三尺)は、私が幼い頃に使っていたもの。姉も使っていたのなら、軽く30年選手。それを我が娘が着ているのを見るのは、嬉しい。

 

私の帯は、母方の祖母のもの。黄八丈という帯で、八丈島に伝わる帯。八丈島は、私の祖父の出身地。私の誕生よりずっと前に死んでしまった祖父の名残が、20年程前に他界した祖母が使っていた帯が、ここにある。

薄紫にクチナシ色を合わせるって、正直色合いとしては微妙だと思ってたが(一応、カラーコーディネートするのが仕事でもあるので)、どうしてもこの帯を使いたかった訳がコレ。

 

れーちゃんが、私の三尺を使ってくれるのを嬉しく感じるのと同じように、祖母も祖父も、私が黄八丈の帯を使ってるの知ったら嬉しいのだろうか。 

 

十年、二十年、または半世紀。着物とは、世代を越えて、流行り廃りなく受け継ぐことができる家宝かな。

 

ふと、そんな事を考えてた。そしたら、頭の中で声が聞こえた。

 

「着物でもない、帯でもない。自分の存在こそ、家宝。人がそこに存在している。それこそが家宝。」

 

 

帯じゃない。着物じゃない。

私自身が家宝。

 

れーちゃんも、ワカメちゃんも、存在自体が家宝。

 

誰しも、その存在そのものが宝なのか。と気がついた。

 

チマチマしたことに、イライラもしちゃう。腹立たしいことも、そりゃあ、ある。

 

そういう何かあったときには、「誰しも存在が宝」って思い出せたら、気持ちも落ち着けるのかしらん。

 

母方の祖母、父方の祖母、それぞれの着物道具を触り、身につけてみる。そうしたら、今まで見えなかったことが、なんだか見えてきた。

 

着付けは一朝一夕では覚えられない。けど、必ず覚えたい。身につけることで、もっともっと、色んな気づきを得られるのかもしれない。

 

今はまず、帯の結び方の練習かな。

 

10代の頃、リボン風に帯を締めるのを、母に習った。30代の今、ちょっとリボンよりも大人らしい締め方を、できるようにならねば。

 

 

あれから、15年以上経っているかと思うと、時の流れが早すぎて恐ろしい。

 

 

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理想的な日≠生産的な日、と気づいたら楽になった。

あなたにとって、「理想的な1日」ってどんな1日ですか?

 

ここ1週間くらい、私は「理想」からは程遠い日々を送っている。とももかくも、やる気が起きない。

 

私は、今、お気日記やモーニングページを書いたり、「今日はどんな日にしたいか」を記すプロダクティビティノートに予定を書き込んだりしている。ページがなくなるのが惜しいくらい、大好きなノートたちに。

 

 

今日はどんな1日にしたい?

 

私の答えは、いつも同じだった。「生産的に過ごしたい」。ノートには今日こなしたい予定を、沢山書き込んでみる。

 

けれど、今朝は、自分で書き込んだ予定に違和感を覚えた。私の脳みそが、どれほど「生産的に過ごしたい」と主張しても、私の体は首を縦に振らなかった。

 

満月だからか、PMSなのか、ここ数日間、私はイライラしがちだった。(人間もやはり動物か。)しかも、昨夜は眠りが浅く睡眠不足で、私の体の状態は、「理想」からは程遠かった。

 

一体、どこの誰が「理想的な日=生産的な日」と決めたのだろう。

 

私の脳が考える「生産的で理想的な1日」を過ごし、それを続けていくとどうなるか。

 

きっと、すごくつまらない人生になる。

 

そんな事に、今、気がついた。

 

理想的な生活や理想的な人生というのは、「『理想的』な1日」ばかりを積み重ねて出来上がるものではない。

 

長女れーちゃんも次女ワカメちゃんも、赤ちゃん時代がある。昼も夜も、まともに眠ることすらできず、産後の体で朦朧としながら、寝かしつけした日々。決して「生産的」とは言えなかった。

 

じゃあ、あの日々がなければ私はもっと理想的な人生だったのか?いいや、違う。あの時は辛かったけど、非生産的だったけど、決して理想的な時間の過ごし方じゃなかったけど、私にとって必要な時間だった。娘たちの成長には、私の成長には、夫婦関係が大きく変わるためには、必要な時間だった。

 

非生産的なのは理想的ではないって、なんで思い込んでたんだろう?

 

「理想的な1日=生産的な1日」という私の思い込みは、教育や社会による洗脳の結果。何は生産的で、何は非生産的なのか。誰がその判断をするのか。そんな物は、不確かでわかりもしない。ハイゼンベルクの不確定性原理※よりも、不確かだ。

 

※大学理学部時代に習ったことは、大いに忘れてしまったが、この原理はよく覚えている。大学1年生の初期の授業で、意味がわからない部分が大きくて、印象的だった。

 

「今日もやる気なくて、なんにもできなかった」

 

 

そうやって、自分を責めてしまう人は多いと思う。特に、ママ達。私もその一人。

 

やる気のない一生を過ごすのだけは嫌だが、そもそも私みたいな気が短い人間に、そんな一生を送れるはずもない。そこだけは、自分を完全に信用できる。何かしてないと、すーぐに退屈しちゃうから。

 

 

 

理想的な人生ってなんだろう。

 

そんなことは、今も、10年後も20年後も、臨終間際ですら、わからないかもしれない。

 

けれど、理想的な人生とは、「理想的な1日ばかりを積み重ねた先」にある訳ではない。

 

 

それが、今日見えた。

 

毎日毎日、人間は変化していく。その日の「理想的な過ごし方」は、1日として同じではない。我々はロボットじゃない。毎日違う自分に、同じだけのタスクや生産的っぷりを求めるのは辞めよう。

 

素直にそう思えた。

 

しかしなぁ・・・子育てって、なんで非生産的に感じちゃうんだろう。

生産性は、英語では Productivity。生殖・繁殖は Reproductive。 Re-PRODUCTIVE なはずなんだけどなぁ・・・・。

 

私ってば、しっかりと資本主義とその教育に毒されている。時間を守り、機械のように働くって、なんだか非人間的。砂糖の世界史にも、書いてあった。

 

大量生産が始まり、工場生産が可能になった後。人類の利便性のために発明された「時計」という道具に、人間が振り回されるようになった。時間を守るために、急いで支度し、毎日同じ結果を求められる。その時、人間らしさも失ったのかもしれない。

 

これから、「理想的な1日」を記すノートも、書き方が変わってくるかもしれない。

 

 

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ワンピースの中に、街が見える

この柄を見て、あなたは何を思う?


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これは、お寺である私の実家のお檀家さんから譲り受けたワンピースの柄です。私は、この子を連れて旅した場所を思い出す。南の島とか。

 

我が家の長女れーちゃん(5歳)はね、とある日、「海みたい」と言った。次にこのお洋服を着た日には、「街みたい」とも言った。

 

この柄入りの布に、れーちゃんは何を見ているのだろう。

 

青いところが海で、緑は車が海上を通るための橋、白は車が落ちないためのガードレール。

 

私が来ているワンピースの柄を見て、れーちゃんはそんなことまで想像してる。

 

 

私は、シンプルな無地のお洋服も大好き。

 

けど、れーちゃんのこういう話をもっと聞きたくて、柄物の服を着ることが、これから増えるかもしれない。れーちゃんの想像力ってすごい!!(親バカ登場。親バカ上等。あれ、韻踏んでる??)

 

柄物にうってつけなのが、着物。帯も着物も柄でも不自然ではない装い。実は今月から着付けを習い始めた。茶道のお稽古に行くのに着れるようになりたくて、日本人であることをもっと楽しみたくて。

 

一番極めつけの理由が、「私が最近、素敵だと思う人たちに、着物を着ている人が多い」ということ。

 

素敵な人たちの真似をしてったら、自分もそれに近づけるかな〜と。

 

 

着付けって難しい。何があるべき姿で、何は「オカシイ」のか、まだまだ皆目検討もつかない初心者の私。

一人で着付けできるようになるには、まだまだ長い道のり。やっと、お端折りの仕組みと、帯の締め方の原理がわかってきた所。

 

誰も着ていない着物が、実家の桐箪笥に五万とある。祖母のもの、母のもの、母が私たち娘に買ってくれた振袖や訪問着。

 

服を適当に選んでしまうことは多い。衝動買いだってある。

 

大好きな知り合いデザイナーが作った服、○○のデートで着た服、娘たちが想像力を発揮してくれた服、初めてのスーツ、祖母の着物。

 

なんか、こういうストーリーがある服で、クローゼットが埋め尽くされたら、幸せだろうなぁ。

 

そんな風に、思った。

 

れーちゃんは、私のワンピースの中に街を見た。

 

私は、自分のクローゼットの中に、何を見たいだろう。

 

あなたは、あなたの服に、何を見たいですか?

 

 

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今も昔も、人を狂わす。それが砂糖。

酒、麻薬、○○中毒。人を狂わせるものたち。

 

日常的に口にしている砂糖もまた、人を狂わせる。

 

「砂糖の世界史」という本を読んで、それを思い知った。


砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)
   

 

人々の血と涙と汗と。それを経て、砂糖はかくも世界中に広まったということが、まざまざと伝わる本。ジャレッド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」好きにはオススメ。

 

ケーキ、シリアル、ビスケット、煮物。日常的に口にする食べ物に、砂糖は含まれている。

 

元々希少で、高価で、神秘の象徴でもあった砂糖。

如何様にして、それが世界的な食べ物となり、むしろ飽和状態になって行くのか。その歴史を紐解くと見えてきたことを書きます。

 

■砂糖とは?

甘い味のする白い粉。または茶色い粉。原材料はサトウキビ、てんさい、など。

ケーキ、シリアル、ビスケット、煮物。日常的に口にする食べ物に、砂糖は含まれている。

 

血糖値を上げて、人を元気にすることもあれば、取り過ぎで糖尿病などの病を引き起こすこともある。

 

■砂糖の価値

原初の砂糖はサトウキビから出来ている。サトウキビはある程度の高温多湿でなければ育たないので、生産可能な土地は、地球上でも限られている。

 

サトウキビを育てるのも、そこから砂糖に加工するのも、かなりの手間暇がかかる。

 

サトウキビを育てると土壌が貧しくなり、その後の農作にも悪影響になる。ゆえ、兎にも角にも、砂糖は貴重だった。

 

胡椒 1 グラムが銀 1 グラムと当価値で取引されていた時代があったように、砂糖もまた高価値だった。

 

 

■どうやって広まったの?

原産はインドだか、メソポタミアだかとにかく南国。(いい加減な記憶でごめんなさい)

イスラム人がヨーロッパに運び、それをヨーロッパ人が世界中に広めたらしい。

 

ヨーロッパ人の広め方ってのが、かなり非人道的。南北アメリカを植民地化(侵略)して、黒人奴隷を使って砂糖を作らせる事により、大量生産して、生産量を増やした。プランテーションってやつ。

 

サトウキビを育てる土地を求め、砂糖を求め、アメリカ大陸を侵略した、と言っても過言ではないかもしれない。じゃなきゃ、大航海時代にサトウキビの苗を持って、大西洋を渡らなかったはず。

 

サトウキビは育てるにも、砂糖を精製するのも大変な手間。「砂糖あるところに奴隷あり」。ヨーロッパ人による侵略は、世界各地に砂糖と同時に奴隷も広めたらしい。

 

かつての覇者であるイギリスやオランダは、奴隷貿易で大儲けしたとか。アフリカにて奴隷を「調達」して、他国に売りつける。要するに、誘拐と人身売買。

 

イギリスに6年間暮らし、かの国を愛していようとも、ここは露ほども擁護できない。

 

奴隷貿易に関する感想

奴隷貿易って、どう捉えても違法の非人道的行為。「十字軍物語」と同じく、「キリスト教徒でなければ人にあらず」の発想だったのだろうか。

 

アフリカで黒人を捕獲、誘拐しては、船でアメリカ大陸に連れて行き、奴隷として売りさばく。

 

砂糖欲しさに、砂糖が産む利益欲しさに、人々は狂っていったとしか思えない。砂糖以外にも、コーヒー豆や綿、紅茶、多くのものが奴隷たちによって大量生産された。

 

コーヒーも砂糖も紅茶も、この奴隷の血と涙と汗によって、ここまで世に広がった。各地に黒人奴隷が沢山いて、その子孫は今でも差別や迫害を受けている。

 

そう思うと、コーヒーを飲むのも、砂糖を食すのも、なんだか罪深い気持ちになる。

 

コーヒーエキスが圧力で抽出されるように、奴隷たちも圧をかけられ、エネルギーも人間としての尊厳も奪われたのではないか、と。

 

元来は高価で希少だった砂糖。今では、安価になりこの世に砂糖はありあまるほどあって、糖尿病やら肥満やらの原因にもなっている。気軽に砂糖を手に入れられる様になるまでには、何人の命を犠牲にして、何人の血と汗を流したのだろうか。

 

その血と汗と涙があって、現代、200円程度でキットカットやらビスケットやらを食せるのだ。

 

私は、寺の娘なのに、信心深いとは言えない。けど、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の教え「(罪を認識できた)悪人ほど救われる」には深く納得する。

 

自らの命とは、色んな命や何かの犠牲があってこそ成り立つ。その事実を直視し、「自分は聖人君子ではない」と認め、犠牲になったものに感謝する。「悪人」こそが、それをできるのだ、という教え。

 

免罪符を売り受けて設けていた中世のキリスト教とは違うなぁ。宗教ってのは、人を救うために人間が作り出したもののはず。人を苦しめてどうする。(人を苦しめるのも、救うのも、結局は自分自身のみ。宗教も他人も自分を救うことはできない。この話は長くなるので、このへんでお終いにします)

 
十字軍物語(一~四)合本版(新潮文庫)
 

 

 

■歴史の学び方

歴史の学び方、教え方について、考え直した方が良いな、と心底思った。

 

著者のあとがきに書いてあった。

歴史を学ぶとは、年号や出来事をただ学ぶだけではない。物事を追って見て行くと、過去は今につながっている、世界はつながっているのだと知ること。

 

ジャレッドダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」塩野七生の「ローマ人の物語」、池上彰の「大世界史」。いずれも、私が心を動かされた本たち。

 
銃・病原菌・鉄 上巻

 
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
 

いずれも、「歴史とは、出来事がバラバラにあるのではなく、過去は今に、世界は全ては繫がっている」というメッセージがある。

 

その繋がりを見つければ、歴史は他人事ではなく自分事になる。

 

こういう教え方は、学校ではなかなか、してもらえない。

 

我が娘たちには、家で歴史はこんな風に教えたい。

 

ま、歴史を教えるよりも先に、トイレのしつけや、洗濯物の扱いとか、そういうもっとエッセンシャルな事柄が、待っているが。

 

家を建てるのも、装飾品を考えるのは最後。まずは、土台作りから。

 

10年後くらいかなぁ。娘たちと、主人とで食卓を囲み、いつかこんな家庭内歴史トークをできる日が来ることを、夢見てる。 

 

 

そこにいる全員が、笑っていますように。 そのためには、まず、今日の自分が笑えるように。

 

「夢見てる」と言えば、れーちゃんは、ときどき寝る前に「123のゆめみてる WORLDLIBRARY

」を読みたがる。これって長いんだよなぁ・・「しろくま一匹、〇〇2人、」みたい100近くまで数えるので、なかなか辛い。早く寝てくれ。

 

絵本なんて読まなくても、早く一人で寝るようになってほしいものだなぁ・・・。と、少しでも楽をしたいわたしは、思わずにいられない。砂糖と同じく、「楽をしたい」というのも、人を狂わすものなのか、否か。

 

 

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「人間はどうしてしゃべるの?」理系的回答の無力。

人はなぜしゃべるのか?

 

あなたなら、5歳児になんて答えますか?

 

子供からのシンプルで、哲学的な質問への答えは、深くて難しい。子供の「なんでなんで」

 

お風呂上がりのれーちゃん(5歳)が、とりとめのない話をしていて、どうやら要約すると、「どうして人間はしゃべるの?」という質問をしたかったらしい。

 

そこで私は答えた。反射的に、理系的に答えたら、なんだか場違い感が半端なかった。

 

👩お猿さんやゾウさんも、四本足で歩くでしょ?でも人間は二本足で歩くから、その分頭が大きくなったんだよ。それで、喋れるようになって…

 

要するに、二足歩行故に、脳みそ容量が大きくなって、言語を扱うことが可能になった話をした。

 

れーちゃん👧:赤ちゃんはハイハイするよ!人間も四本足だよ?

 

私的には、赤ちゃんはまだまだ人間でないのだが…(乳幼児の我が子に対して「早く人間になって欲しい」と思っているので

 

れーちゃんは、私の説明には納得しなかったらしい。

 

脳みそ容量は、「しゃべる」ための必要条件であって、充分条件じゃないからか…じゃあ充分条件はなんだよっ!

 

充分条件が何かをわかったとしても、5歳児を納得させる答えができる気がしなかった。

 

どう説明したら良いんだろ?と、れーちゃんが寝静まった頃に、主人に相談してみた。そしたら、主人は答えたよ。

 

👨「喋らずにはいられないから」

 

だとさ。

 

全く理系ではなかった。むしろこの位の方が、子供には分かりやすいのか?

 

たしかに、れーちゃんもワカメちゃん(3歳)も、ずーっとずーっと縦板に水状態でペラペラと饒舌に喋り続ける時が、頻繁にある。きっと、子供たちも、自分に覚えがある理由なら納得するのか。

 


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いくら脳みそ容量の話をしても、自分事には繋げられないだろうな…少なくとも今は。

 

はぁー、早く人間の進化論とかお話しできるように成長して欲しい〜!!(いくら成長しようとも、この手の話に全く興味を示さない可能性もあるが。)

 

子供の「なんでなんで」。

 

時々すっごく哲学的。きっと明日には自分が発した質問を忘れてしまう。なんだかそれが勿体なくて、私はブログに書き残してる。

 

曇りなき眼を持つからこそ、出てくる質問たち。

 

 

れーちゃん、こんな質問をしてたって、覚えていてくれるかなぁ。

 

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冷蔵庫の中って、愛は凍るの?(竹内まりやの歌詞に理系ツッコミ)

冷蔵庫の中で、氷かけた愛を♪

 

父の古いCD集のわりと真ん中に、竹内まりやがいる。

 

聴いてみると、色んな感想が出てくる。

 

  • めちゃくちゃ歌が上手いなぁ
  • 竹内まりやってめちゃくちゃモテたんだろうな(じゃなきゃ「喧嘩をやめて〜♪私のために、争わないで」というシチュエーションになりえない)
  • 時代を感じる

 

私が一番ひっかかったのは、「冷蔵庫の中で氷かけた愛」。

 

愛って冷蔵庫で凍るの?凝固点高くないか?どんな成分なの?

 

修士課程修了と同時に、私は研究から離れた。自分が書いた論文すら、今は半分も理解できないだろう。けど、理系マインドは残っているわけで。

 

だから、気になった。冷蔵庫で凍る愛ってなんだ。

 

CDの持ち主である父は、物理化学の学者なので、私の100倍は理系にどっぷりな人。父も、同じ疑問を持ったのだろうか。それとも、そんな憂がった感想を持つよりも若い青春時代に、竹内まりやを聴いていたのか。

 

冷蔵庫で凍る物質って何なのー。

愛ってなんだ。

 

竹内まりやの歌詞に、理系ツッコミする自分って、何なんだろう。

 

「冷蔵庫の中じゃないの!」

 

そう娘に諭される30代前半。

 

追記

「○☓▲♪※で〜、凍りかけた愛を〜」 

3歳の次女、ワカメちゃんがソファでくつろぎながら、楽しそうに歌っていた。

 

 

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名残惜しいノートたち

長年日記をつけてます。

 

時々モーニングページ。時々飛び飛びで書いてるから、15年以上長続きしてます。


ノートは旅先で出会った子達がほとんど。ブータン、イギリス、マウイ、カナダ、イタリア、トルコ、あちこちでノートと出会いました。書いてある中身がつらすぎて、捨ててしまったノートも沢山ある。残ってるのはお気に入りの子達。

 


f:id:kaorikawa:20200712233224j:image


今使ってるのは手前の茶色の革張りノート。まるでハリーポッターの世界。


最初はね、書き始めると「うわー、こんなにページを書けるのかな…」って気負う。けど、ノート後半になると、ノートが愛おしくなって、残りのページが失くなるのが惜しくなる。

 

だから、段々と字が小さくなっていく。「少しでも長く、このノートと付き合いたい」って。まるで中々サヨナラできない恋人たちのように。

 

その昔、主人と付き合いだした頃は「バイバイ」するまでに凄く時間がかかって居た事を思い出した。んー、若かったのかな(笑)

 

今はお互いに自宅に居る時間が長すぎて、「お願い!一人になりたい!」ってことも多いのに(笑)。10年近く経てば人間は変わりますなぁ。

 


ブログを書く前から、私は「書く」という好意が 好きだったようです。日記、手紙、ブログ、メール。

 

誰にも見せはしない日記。自分のかっこ悪くてしょうもない本心を受け止めてくれ、自分の一番素敵な所を引き出してくれるのが、日記だと思う。私にとっては、自分だけのために書く自分のためだけのノートって、そんな存在。

 

留学中、妊娠中、あのとき、このとき、辛い時も私の気持ちを受け止めてくれた。夜泣きや24時間育児が続いて辛かった時、本当に辛いときはノートに向き合えすらしなかった。書くことすらできない時期も、ノート達はいつも待っていてくれた。

 

汝の敵を愛せの本当の意味」、

子供の小さな願いを叶えられない本当の理由」、これらはノートにひたすら、赴くままに書いていたら、辿り着いた考え。

 

 

ちょっと面倒だけど、書き始めるとハマると思う。

 

大切な先生に教えて頂いたことがありました。

 

「書く」の語源は「引っ掻く」

 

その昔、紙の発明以前は、石や骨に「引っ掻き」ながら文字を彫った。

 

心の「引っ掻かり」を解き明かしてくれるのは、「書く」という行為なのかもしれない。

 

そんな私は、夏になると、つい体を引っ掻いてしまいアトピーが悪化する。私の中にはまだまだ、引っ掻かかりが山ほどあるのかもしれない。

 

 

ひたすら、誰にも見せないノートを書いてみること。オススメです。

 

 

 

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「疎ましい力」こそが、才能かも?エスパーなれーちゃん

「なんでわかるの?!」

 

子供に伝えていない、教えていないのに、なぜか子供が知っていることってありませんか?

 

小さな子供には、見えない力を感じることができるのか。

 

我が家の長女れーちゃん(5歳)は、時々エスパーのような、巫女さんのような、発言をする。

 

そんなれーちゃんについての備忘録。

 

その昔、れーちゃんが赤ちゃんだった頃。結構敏感な赤ちゃんでした。当時、私は、ド新米ママかつ、神経質だった。私の振る舞いが、れーちゃんを敏感にしたのか、それとも生まれつきなのか。

 

たとえば、絵本で、誰かが泣いてるシーンを見れば、れーちゃんも釣られて泣いてしまう。そんな共感力が高い赤ちゃんでした。

 

我が家には、「うれしいさん、かなしいさん」という絵本がある。主人公のくまさんが、泣いたり喜んだりを繰り返すお話。れーちゃんが1歳の頃は、くまさんが泣くと同時に、れーちゃんも泣いてしまって、読むのが大変だったなぁ。

 

 

うれしいさんかなしいさん

うれしいさんかなしいさん

 

 

私が不安を感じていると、まるで感情が乗り移ったかのように、夜泣きもしてた。

 

「夜泣きのせいで、眠れない…」

 

当時はそんなれーちゃんの能力を、疎ましくも思った。すっかり、たっぷりと眠る様になった今、

れーちゃんの共感力を冷静に見つめる事ができる。それを「凄い!」と認めることもできる。

 

英語の「appreciate」という単語が一番近い。認めるし、感謝するし、嬉しくも思う。

 

そんなれーちゃんは、今日もエスパー的発言をしていた。

 

仕事帰りのお土産で、私はケーキを買って来た。「ケーキを買って来たよ」とは伝えていたものの、一緒に持ち帰った焼き菓子の話はしていない。

 

焼き菓子やクッキーの話は、一言も話していない。

 

なのに、なぜかれーちゃんは知っていた。

 

「ママ、クッキーも一緒に買ったんでしょ?」

 

実際、ケーキの入った袋には、焼き菓子が数種類入っていた。クッキーもある。ママが一言も喋ってないのに、どうしてわかったの?

 

「れーちゃんは、保育園でのお昼寝で、夢を見たの。それで知ったの!」

 

えぇ?!

 

「お家さんに聞いたら、教えてくれたんだよ。」

 

おお??

 

 

このお家さんには名前があるんだよー、

お家ともお話しできるんだよー。

 

 

以前、れーちゃんに、こんな話をしたことが、確かにある。お家を大事にするために、お家とのお付き合いのために、半分冗談、半分本気で私がれーちゃんに言った事でした。れーちゃんがそれを実践していた。しかも、夢の中で。

 

 

そういえば、れーちゃんの絵が上手な理由は「考えて描いてるから」だけではなく、「夢で見たものを描いてる」って言ってたこともあったっけ。それって思し召しじゃん!!れーちゃんは、巫女さんなの??

 

人と言えば棒人間を描いちゃう主人からすると、れーちゃんの発言は意味不明な世界。心の目で見たりんごもスケッチしてしまう様な。

 

果たして、れーちゃんはエスパーなのか。それとも人間は誰しも、幼い頃はそんな力があるのに成長と共に失ってしまうのか。

 

最初は疎ましく思っていた、れーちゃんの高い共感能力。実は、そんな「疎まれるもの」の正体は、才能(ギフト)なのかもしれない。

 

あの人もこの人も、どんな疎まれポイントがあるんだろう。どんな才能を持ってるんだろう。

 

そう思うと、「アイツ嫌い」なんて気持ちが、少しは減るのかしらん。

 

いくら仏っぽい思想になってみても、夫が脱ぎ散らかした靴下にはイラッとしちゃうなぁ。特に、洗濯機を回してしまった後に発見した時。30 分前に見つけてれば…!

 

前述の絵本、「うれしいさん、かなしいさん」の主人公のクマのように、私の気持ちはアップダウンする。なんせ、打たれ弱いママ。多少は情緒不安定よ。

 

あの本は、「公園には、うれしいさんがいっぱい」で終わる。

 

私の一日も、あなたの一日も、「うれしいがいっぱい」で終わりますように。

 

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ニコニコ一緒にお買い物した物の結末

お昼過ぎ頃に電話がなる。着信元が保育園だと、ザワザワする。

 

「〇〇ちゃん、お熱です。お迎えに来てください」

 

先日、次女ワカメちゃんがお熱だったが、そのちょっとお間抜けな理由とその顛末を書きます。

 

※お食事前・お食事中の人は後ほど見てね

 

38度の熱があるからと、すぐに迎えに行ったものの、そこに居たのはペラペラペーラペーラと元気に喋り続ける3歳の我が次女。(口から生まれたのでは、と思う程ずっと喋る。多少うるさく感じるものの、口数の多さは遠い日の私自身を見ている様で何も言えない(笑))

 

果たして本当に熱があるのか?元気っぷりとご機嫌っぷりを見るに、病人には見えないが、触ってみると確かに熱い。

 

コロナでこんなご時世だし、念の為お医者さんに見てもらった。

 

「便秘ですね。お腹に溜まり過ぎてますよ。それで熱がこもったね。風邪の症状は全くないよ」

 

そう言われ、風邪でもコロナでもなさそうな事に一安心もするし、「ヤレヤレ」と思う。

 

デジャヴだ。子供に何の異常もなさそうなのに、発熱して、実は単純に便秘していただけ、ってのは初めてではない。

 

たかが便秘、されど便秘。

 

お医者さんの指示どおり、浣腸することに。クリニックにはなかったので、近場の薬局で浣腸ゲット。

 

このコロナ騒ぎで、買い物の回数は減らしてるし、子どもたちは買い物に連れてっていない。夫婦で子守と買い物を交代しつつ過ごしている。されど今回ばかりは急ぎだったし、ワカメちゃんと一緒に薬局でお買い物。

 

ワカメちゃんは数カ月以上ぶりに、お店屋さんに入れて少しウキウキ。ニコニコ一緒にお買い物。

 

帰宅して、まさか、ニコニコ一緒にお買い物した商品に、浣腸される結末だったとは、ワカメちゃんは思いもしなかっただろう。

 

親の方も、本当はこんなこと(浣腸)したくないんだけどね。致し方ない。

 

嫌がるけど歯磨きする嫌がるけど風呂に入れる嫌がるけど浣腸する。子供本人が嫌がっていたとしても、親ってやつは必要なことをやらねばならん。

 

浣腸のおかげか、涙ながらもお腹はスッキリした様子。熱はあっという間に下がった。

 

ジメジメと熱い日が続く今、汗っかきな子どもたちも水分不足になりがち。それが便秘も誘発しやすい。

 

マスクが必須になって来ている今、ますます熱中症やら水分不足になりがち。

 

大人も子供も、皆様、しっかりと水分補給してくださいね。

 

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