打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

家族相手だとコミュニケーションが乱雑になりがちな理由を検証してみた

私がたまに参加しているZOOM朝活会で、先日面白い話があった。

 

NVC って聞いたことありますか?Non violent communication の略。MVPじゃないよ。

 

NVC は名の通り「暴力的攻撃的ではない対話」で、事実とか内容よりも話し手の感情にフォーカスするというもの。

 

話し手の感情にフォーカスすると攻撃的ではなくなる理由は批判が起きないからだと思う。精神的裁判が起きない。

 

一番一緒にいる時間が長くて、一番批判したくもされたくもないのが家族。

それがどうして家族間では起きやすいのかを考えて考えて、私なりの答えが出たので紹介します。

 

たとえば、Aさんが父親とケンカをした話を聞いている時

 

・Aさんのケンカ内容や発言内容をフォーカスしている時:「そりゃAさんの言い方が悪いんじゃない」とか「お父さんが可愛そう/バカ/うるさい」とかそういう自分の意見や感想が出て来る。Aさんが善なのか悪なのか、お父さんの言ってる事に一理あるのかないのか、こういった事が気になるわけ。どんな人の意見にも独断と偏見がある。同じケンカを交わした同士であっても、Aさんの見解とお父さんの見解は全く違う。同じ事実を説明するにしても、真実の数は人の数だけある。なのに、「自分の方が正しいよね」お化けが登場し、誰かを悪者にしてしまうのが、violent communication。

 

 

・話し手Aさんの気持ちにフォーカスして聞いている時:

気持ちや気持ちにフォーカスしているので、Aさんとお父さんが交わしたケンカの内容への理解は二の次になる。そうなると「自分の方が正しいお化け」は登場しにくい。なぜならば、人の感情には正しいも間違ってるも善も悪もない。人の感情を理解しようとするのは、極めて困難。どんなに本を読んでも、どんなに修羅場をくぐり抜けていようとも、その人の感情は本人でなければわからないから。頭も心もフル回転して、相手の話を聞き、表情や声色から感情を感じ取る必要がある。相手への理解に脳みそが忙しいので、誰かに対してマウントとってやろう、とか自分が正しいと証明したい欲がなくなる。

人の感情を否定するなどできない。(たまに人の気持ちすら、いじくろうとする輩もいるが、そういう人からは離れるが吉。「痴漢されて嫌だった」と言ってる人に「いや、そんなの嫌じゃないでしょ!」と言ってるのと同じ位無神経)

 

最近寝坊気味で、7時台のこの朝活会すら欠席が多いが、久々に参加してすごくよかった。良い人ばかりがメンバーだからか、日常的には続けることが難しいNVCが、このZOOM会では自然とできてる。

 

そこで感じたのが家族関係。一番VC, violent communication、攻撃的会話をしてはいけないのに、一番やってしまうのが家族。

 

主人に対しても、娘たちに対しても、ちょこちょこやってしまっている。そして、私自身も沢山のVCを受けて来ている。

 

皆、Violent communication の加害者であり被害者である。

 

じゃあなんで家族相手にやっちゃいがちなのか?思い当たる理由をいくつか書き出してみる。

 

①家族だと何を言ってもいいだろうという慢心

②家族なのに、相手の気持ちがわかってない、なんて認めるのが恥

③人間は刻々と変わる生き物なのに、相手も自分も変化したことに気づかず、「昔のまま」のコミュニケーションをしている

 

私は主に①により被害者になり、②により加害者になっている。③は両方。

 

家族って、この世で一番複雑な関係だと思う。

 

友達なら、「この人気が合わないからもう付き合うの辞めよう」と簡単にフェードアウトもできる。家族とは「気が合わない」からと絶縁したりしない。気が合わないし、攻撃的会話は嫌なんだけど、絶縁を希望しているわけでは毛頭ない。

 

一番長く、深く付き合い。家族メンバーが私の酷く悲しかったあの時の感情を知らないのと同じ様に、私もまた他の家族の酷く辛かった時の感情を知らない。そしてそれがお互いに対する恨み辛みになってしまう。幼い頃、言語化できなかったモヤモヤを消化しきれず、潜在意識や体の中に埋め込まれて行く。

 

楽しかった感情も、辛かった感情も、そういう体験の数が多すぎて、すべての記憶が無意識部分に収納されていくのが家族なんじゃないかなぁ

 

今の私は、かなり意識しないとNVCをできない。でも家族とは接する時間が長いので、無意識時間が長い。

 

そっか、だから家族相手にNVCをすることが難しいのか。

 

これを無意識でできるようになれば、日常的に家族ともNVCできるようになる、という未来が見えた。

 

意識的にやってることを無意識にできるようになる。私にはその経験がある。英語だ。

 

留学した当初は、脳内ニューロンをフル回転してもすべての会話や授業内容が理解できたわけではなかった。けれど、イギリス滞在年数を重ねて行くと、ぼーっとしながら聞いた内容も理解できるようになるし、英語で考えるようになることすら多々あった。母国語の言語野に、英語も入ってきたのだ。

 

あの時、理解できない会話に必死で喰らいついて行き続けるのは辛かった。けど、それがあったからこそ、比較的短期間で習得できた。NVCも同じように習得できるのかな。

 

これは練習あるのみだ。

 

NVC的会話の練習に付き合ってくれる人を募集したいなぁ。ゆる募。んできれば厳しくフィードバックしてくれる人。「あの時、俺の気持ちよりも事実関係にフォーカスしてたよね?」とかシビアに言ってくれる人が良い。

 

 

にしてもしかし、朝早起きが昔から苦手なんだよなぁ。バリバリ会社員ママだった時は、朝8時に出社とかしてのに、今は8時台に起きるため、7時台の朝活すら困難。

 

その昔、朝練がある部活には入らないと豪語していた中学生の自分を思い出す。会社員ママ時代、ちょっと無理してたのかも

 

色んな辛さもあるけど、理解されなくて辛い経験のおかげで言語化が得意になってよかった

 

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5歳女児から見たおじさんとおっさんの行動

靴下をテーブルに置く。それってアリ?

 

たとえ洗濯済みで、清潔だったとしても、私なら「靴下はテーブルに置かないで」と思う。

 

先日、娘たちを連れて実家に行った時のこと。お風呂上がりの父(れーちゃん、ワカメちゃんの祖父)は靴下を履こうとしたが、忘れ物に気づき。一旦立ち去った。テーブルに靴下を置いて。

 

その時のれーちゃんの面白発言を書き残す。子供ってシビアだ。やはり、曇りなき眼。

 

洗濯され、乾いて、清潔な状態ではある。されど、私と母は首を傾げた。そこで母は呟いた。

 

母:こういうの(靴下をテーブルに置くような行為)、何歳までやるんだろうねぇ。

私:今更この年になって、習慣は変わらないでしょ。

 

そこでれーちゃんが思わぬ返答をした。

 

れーちゃん:おっさんとおじさんがするんだよ!

 

母と私は、思わず吹き出した。

 

確かに。こういった首を傾げたくなる行為をするのは殿方が多い。(私には、男性差別の意図はない。ただの、私の中の統計。)

 

忘れ物をゲットし、戻ってきた父にれーちゃんの明察っぷりを話した。彼には彼のディフェンス、言い分があったらしい。

 

父:これは洗濯してあるんだから、ハンカチと同じじゃないか。テーブルに置いて何が悪い!

 

んー…確かにハンカチや洋服と同じ洗濯機で洗ってるよ。けど、なんか、嫌じゃないか?

 

いくら漂白してバイキン0だろうと、足拭きマットの上で飯を食う気にはなれない。

 

ちなみに、私の父は身だしなみは決してだらしなくない。娘である私ですら、襟がない服を着ている父をみたことがない。

 

パジャマも襟付き、定年後の今はどこに出勤するわけでもなくても、朝も昼も、お風呂上がりすらもワイシャツにスラックス。唯一の運動であるテニスではポロシャツ。父の襟無しの服と言えば坊主用の袈裟だが、これはワイシャツにスラックス以上にフォーマルな装いだ。

 

要するに、フォーマルっぽい服が父の日常着。そんな人であっても、靴下をテーブルに置いてしまう。


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「おっさんとおじさん」って、そういう生き物なのか。れーちゃんにはそう映ってるのか。

 

詳しく聞いてみたが、れーちゃんの中には「おじさん」と「おっさん」の境界線は特にないらしい。けれど、「おじさんとおっさん」とそれ以外。そう言った分類が、れーちゃんの中に存在している。

 

 

これもまた、子供の曇りなき眼なのか。

 

ちなみに、れーちゃんの中には、「おばさん」と「お姉さん」の明確な違いがあるらしい。これについては、追って後述したい。

 

追伸:れーちゃんにとって、「お兄さん」と「おじさん」の違いは「お髭」だそう。髭があるので、パパはおじさん判定されるのか。

 

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自己肯定感の強さは、生まれながらある程度違う

あなたの自己肯定感は高いですか?低いですか?

 

我が夫婦は、ボジティブ夫と激ネガティブ妻という真逆同士取り合わせ。我が娘たちも、真逆同士らしい。

 

接し方、育て方で自己肯定感は高められるのは事実。けれど、簡単に高まるのか、ちょっと難しいのか。数学で言うところの係数、自己肯定感の高まり易さは、生まれながらの個人差があるようだ。

 

とある日のこと、次女ワカメちゃん(3歳)はパパと絵本を読みながら、何文字かの平仮名が読めた。初めて読めた文字。パパもワカメちゃんも大興奮!

その時に繰り広げられた我が家の会話とは…↓ ()の中は、各々の心の声です。

 

パパ:ひらがな読めたねーすごいね!

ワカメちゃん:うん!ワカメちゃんは凄い子だからね!

 

れーちゃん:何がすごい子なの?!

(私はひらがなも、カタカナも読める。それに書けるよ。ただ読めるのがそんなに凄いことなの?!)

 

パパ:(褒めてあげようと思ったのに、俺のセリフ取られた)そうだね〜ワカメちゃんはすごい子だね!いつから凄い子なの?

 

ワカメちゃん:んーとぉ…

パパ:生まれたときからだよねぇ〜♪

 

れーちゃん:生まれた時からひらがな読める訳じゃないでしょ!!

 

ボケてるつもりがなく、大真面目で自分を「スゴイ子」と言うワカメちゃん。冷静に突っ込むれーちゃん。

 

まるで漫才かのような会話だった。

 

自己肯定感を高めようという親の褒め言葉が不用なほど、自分を褒められる3歳児ワカメちゃん。親と妹の謎のノリには乗っからずに冷静な発言をするれーちゃん。その対比が面白かった。

 

ワカメちゃんはすごい子だからね!!

まるでステートメントを読み上げるように、声高らかに、ハッキリとそう言った。

 

「自分=かわいい」と思って育ってほしい。それが我が家の育児のモットーその1。嬉しいことに、その自己イメージはすっかり刷り込まれてる。れーちゃんにもワカメちゃんにも

 

自分=かわいい、は自己肯定感を高めはするが充分条件ではないみたいだ。同じ家で、同じ親の元で育っていても、こんなに違うのは生まれ持った特性によるものだと思う。

 

先日、私が見た夢の中で、占い師に「パパとワカメちゃんは精神的双子ですね。それくらい性格が似てる」と言われた。「ママとれーちゃんも似てるけど、ワカメちゃんとパパほどじゃないね」とも。

 

パパとワカメちゃんは、自己肯定感の塊。自分大好きポジティブちゃん。

れーちゃんは、デリケートで自分に対しても冷静になってしまうネガティブちゃん。(ちなみに、私は激ネガティブ)

 

こんなにも、こんなにも、人間は違う。後天的な要素も沢山あるけれど、先天的な要素でここまで違う。

 

ワカメちゃんが、ピアノを習うようになるかはわからない。けど、ここまで性格が違うので、理系っぽく繊細なれーちゃん向けの教え方とは全く違う方法が必要だうろなぁ、と感じる。

 

ピアノに限らず、なんでも一緒か。相手に合わせて、変えていく。そのために、よく観察する。

 

私自身は、自己肯定感の低い子供だった。「自分が人気者〇〇ちゃんだったら良かったのに」と自分ではない誰かと入れ替わりたいと願ったこともある。恥ずかしながら、いじめられっ子という言葉が、子供時代の私には当てはまる。

 

繊細なれーちゃんは、私と似ている部分が大きい。自己肯定感を高めることは、れーちゃんにとっても課題になるだろう。親として、できる限りのことをするしかない。

 

私がれーちゃんに伝えていることは、やはり「大好きだよ」という言葉。

 

れーちゃん:ママは、れーちゃんがかわいいから大好きなの?

 

以前、そう聞いてきたことがあった。自分=かわいい、と思ってくれている。しめしめ。これは嬉しい!

 

けど、私が伝えたいのはそういう条件付きの愛じゃない。

 

「ママはね、れーちゃんがれーちゃんだから、大好きなんだよ」

 

もちろん、我が子はかわいい。自分=かわいいと思ってくれてるいるのは、本当に嬉しい。けど、それがあなたを愛してる理由ではない。

 

れーちゃんという存在。ワカメちゃんという存在。

 

存在そのものを大切に思っている。

 

ほぼ、毎日。怒ってはいる💦けれど、いくら怒ったとしても、存在の大切さは変わらない。

 

あなたが、あなただから、大切なんだ。

 

残念ながら、自分のことをこんな風に思って育つことはできなかった。私の両親もそう思っていてくれたのかもしれないけど、幼き頃の私はそれを感じることができなかった。私も自己肯定感が上がりにくいタイプだからかもしれない。

 

たとえ、自己肯定感が上がりにくいタイプだったとしても、「あなたの存在の大切さ」を伝え続けることが親の使命だと思う。

 

親に限ったことじゃないね。

 

これを読んでいる貴方も、読んでないあの人も、大切な大切な存在。

 

居てくれて、ありがとう。

 

ワカメちゃんみたいに、自信満々に言えるかな。「私はスゴイ子だからね!」って。言いたいなぁ。

 

 

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3歳女児のウォッシュレット事件。トイレが2つあればいいのに。

トイレトレーニング。幼児の子育てでは通る道。

 

二児の母である私は、トイレトレーニングも2回目。どうなるかをある程度読める分、二人目のトイトレは楽に感じてる。

 

最近のトイレはハイテクで便利なんだけど、そのハイテクさは幼児のトイレの躾には不向きだったりする。

 

れーちゃん、ワカメちゃんのそれぞれのびっくりポイントを紹介します。

 

■れーちゃん的びっくりポイント:自動水洗

今の家に引っ越して来たのは四年ほど前、れーちゃんがまだ0歳の頃。その頃は完全紙おむつ生活なので、トイトレのことなんぞ、知りもしなかった。

 

そのれーちゃんがトイレトレをするお年頃になって、邪魔になったのが「自動洗浄機能」。

 

トイレで排泄する感覚を掴めるまでは、もよおしていなくても「とりあえずトイレに座る」を習慣にするのが大事なのだ。たとえ何も排泄していなくても。

 

ところが。自動水洗機能というのは、人肌が便器から離れたことを引き金に、トイレを流す。何も汚れてもいない水道水が、ただ流れていく。

 

水が勿体ないだろ!!それに、トイレに慣れてないれーちゃんがびっくりするだろ!(ちなみに私個人は、自動洗浄はあまり好きじゃない。予想外のタイミングで流れることがあるから)

 

これまで一度も開いたことがなかったトイレの取説を読み、自動水洗を解除。

 

そんなことをしたのがおよそ2年前。次女ワカメちゃんのトイトレをする今年にも、新たな問題が浮上した。

 

 

■ワカメちゃん的びっくりポイント:ウォッシュレット

れーちゃんというお姉ちゃんのおかげか、トイレという存在はスムーズに受け入れてくれ、それなりに順調に進んでいる。

 

ある朝、トイレに行ったはずのワカメちゃんがわーきゃー泣きながら出てきた。話を聞くと、どうやらウォッシュレットが出てきてびっくりしたらしい。

 

好奇心のあまり、「このボタンは何だろう?」と押してしまったのだろう。いやー、さぞかしびっくりしたことであろう(笑)。思っても見ない方向から、水鉄砲で攻撃されたのと同じ感じかしら。

 

自動水洗とは逆に、ウォッシュレットは人肌が便座から離れると止まるシステム。

ウォッシュレットそのものは幼児のトイレの躾には不向きだか、この体温探知機能はありがたかった。

さもなくば、トイレのあちこちが水浸しだっただろう。

 

 

ボットン便所から水洗トイレ、冷たい便座から保温便座、手動から自動洗浄。あらゆる方向で進化してきた現代日本のトイレ。

 

トイレと初めて向き合う幼児にとっては、ハイテク過ぎる機能は逆に彼らを混乱させるのかもしれない。

 

それにしても、トイレとはありがたい。家族全員のすべてを受け止めてくれる。

 

先日の台風の中、「もし水道や電気が止まったら」話を夫婦でしていた。簡易トイレは絶対に必要だ。

 

 

しかしなぁ…家にトイレが2個あったらなぁ…。「3人以上の住む家にトイレが1つしかない」経験が、私は浅い。たとえ贅沢とか言われようと、実家には2つトイレがあったのだ。(寺という特性上、来客用トイレと家族用トイレがあった)

 

我が家のトイレ、レッドオーシャン化予想」は現実のものとなった。

娘たちのために、自分自身のトイレを我慢する時の切迫感と言ったらない。一般的なマンションでも、トイレを2つ備えた物件って、誰か作ってくれないかしら。そんな需要ってないのかしらん…

 

 

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理系っぽくて繊細な子供のモチベーションの維持の仕方

先日書いたとおり、長女れーちゃんはピアノを習いはじめた。

 

初めて「やりたい」と言い出した習い事。なんとか楽しく続けてもらいたい、と親の私も必死。

 

ピアノの練習に付き合うこと数週間。れーちゃんの物の捉え方を観察し、モチベーション維持のコツが少しわかってきたかもしれないので、書き留めておく。

 

私の学びは、理系っぽくて、繊細なタイプのお子さんには、応用できるかもしれません。

 

■れーちゃんの物の捉え方

何かを教えようとするとき、相手の思考と嗜好に合わせるのが一番吉。効率も良いしスムーズ。

 

れーちゃんの脳みそは、めちゃくちゃ理系的な捉え方らしい。音符があれば、その音符が何を意味するのか、楽譜の音符の位置はどういう規則になってるのか。れーちゃんは、とにかく理屈を理解してから、実際にやってみたいタイプなのだ、とわかりました。

(これまでを振り返っても、パズルが好きだったりと理系の片鱗はあるが、ここまで如実に出たのはピアノと出会ってからかも)

 

だから、れーちゃん相手には理屈がわかりやすい様な説明をすることが大事。

 

感覚派なタイプには、そんな理屈を説明したところでウザがられる。一方、れーちゃんには説明は省いてはいけない。

 

そして、れーちゃんは良くも悪くも記憶力が良い。私が不用意に発言したことも、その昔どこか旅行に行ったときの出来事なども、なんでもよく覚えている。

 

たとえば、ピアノの先生が「休符のコンセプトは難しいから、今日は休符は無いものとして進めよう」と決めていたとする。先生は「今回限りのルール」と思って発言してるのだが、次のレッスン時もれーちゃんはそれを覚えているため、「休符では音がなくなる」と言われると混乱するのだ。

 

「簡略化するための今回だけルール」は、れーちゃんにとっては混乱の素。

 

たとえ難しいものでも、教える側が頑張って説明する方が吉らしい。

 

■ハードルを下げる

ピアノってのは(ピアノに限らず、すべからく楽お稽古事は)、練習量が物を言う。

 

たとえば週一回のお稽古があったとして、その間なーんにも練習してなければ上達は亀の速度。(これは幼少期の私の話。発表会前以外の普段の日は全く練習してなかった)

 

プロ並の腕を持つ私の知人は、子供の頃は毎日30分、大きくなったら毎日一時間ほど練習していたそう。また、音大のピアノ科出身の友人は平均1日6時間位練習したそうで。

 

娘をプロにしよう、なんて思ってはいないが、要するに言いたいのは、「日々の練習の大切さ」。

 

もちろん、お稽古は大事。けど、それと同じくらい、もしくはそれ以上に日々の練習が大切。

 

・毎日でなくて良い

・一日2分でも良い

 

ハードルをぐんと下げて、とりあえずピアノに向うことが習慣になるようにしてみた。

 

そして、れーちゃんの練習には、私はつきっきり。自分からピアノに進んで向う、私が付き添わなくても練習できる様になるまでは、練習での私の付添は不可欠だ。

 

親としてはちょっと面倒だけど、ここは踏ん張り時だ。これまで、「私って親としてどうなの」という自問自答が止まらない分、ここでは頑張ってみようと思った。

 

 

■失敗だった教え方

練習の付添のやり方も色々やってみた。失敗した方法もある。

 

最初から何でも理解して、何でも弾ける子はいない。だから、練習して練習して、できるようになる。

 

理屈を理解し始めたれーちゃんは、やる気もあったためか、予想よりも上達が早かった。(比較対象は、やる気ゼロだった私自身の子供時代。そりゃあ私より早いよな。。私自身は普段は練習しなかったし、親がつきっきりで練習したわけでもない。)

 

れーちゃんの上達の早さを見て、「なんだ、できるんじゃーん♪」と私も期待してしまったところがあって。

 

新しい宿題を弾いてみようとすると、そりゃ最初からできない物も沢山ある。つい、「ここができてなかったからもう一度やろう」みたいな事を言ってしまった。れーちゃんは渋々付き合ってくれていたが、気持ちがショボーンとなっていたのは火を見るよりも明らかだった。

 

せっかくやるんだから、

ちょっと頑張ればできるんだから。

 

そうやって、私はできていない所を「注意」してしまっていた。

 

理屈がわかっているれーちゃん。楽譜どおりに出来なかった時は、大抵わかっている。できない悔しさを感じてる。それをママに指摘されたんじゃ、気持ちがしぼむよね。

 

なんのために、ピアノをやるのだろう。楽しむためじゃないのか。れーちゃんが続けるために、れーちゃんのモチベーションのために必要なのは、「正しさ」を求めた注意ではない気がする。

 

ドレミを弾きながら歌う練習では、テンションが下がったれーちゃんのか細い消えるような声が聞こえていた。楽しそうなときは大きな声で歌ってくれるのに…

 

■成功した褒め方

このまま「できない、悔しい」ばっかりが心に残ると、ピアノを辞めてしまうかもしれない…せっかくここまで頑張ってるのに!

 

と、ある意味親としてプチ崖っぷちに立った私は、考えを変えました。

 

とにかくテンション高めで行こう、と。子供相手にハイテンションな人たち。NHKの歌のお兄さん、お姉さんみたいなノリ。あれを一日中やるのは無理だが、我が娘のためなら5分位は頑張ってみようと。

 

楽譜ってのは複雑だ。

 

・何拍音があるのか(4分音符?2分音符?)

・休符がある

・休符は何拍なのか

・音の種類(ドレミ)

 

曲がりなりにもピアノを習っていたことがある私は、初心者子供向けの楽譜はすぐに理解できる。けれど、れーちゃんにとっては大量の新しい情報を処理しなければならないのだ。まるで習いたての言語をカタコトで喋ろうとするように。

 

拍数はあってるけど、音階が違う。

休符を飛ばした。

音階はあってるけど、拍数が違う。

 

こんな惜しいシーンは沢山ある。

今までは「できてないところ」を注意してばかりいた

 

もちろん、完璧にできた時は褒めに褒めまくる。完璧にできるようになるまでの道のりだって、褒めれば良いんだ!と気づいた。

 

たとえば、休符を忘れちゃったかもしれない。そしたら、「上手!!音がぜーんぶ合ってたよ!!とっても上手だったから、もう一度聞かせて欲しいなぁ」なんて言って、次の挑戦のときには休符をめちゃくちゃ指差ししたり。

 

 

そう、「できた所に着目して、褒める」をしたのだ。

 

 

これは大人にも言えることだが、何かをできなかったとき「どこは出来てて、どこはできていないのか」自分ではわからないことが多い。そもそもできなかった時は自分を責めてしまいやすい。超ポジティブ人間が冷静な自己分析でもない限り、「○○はできてたし〜」なんて言えないのだ。

 

私の主人は激ポジティブ人間。おそらく次女ワカメちゃんも同類。れーちゃんは、どちらかと言えばかネガティブ人間。(ちなみに私はもはや笑えるほどネガティブ人間だ。)

 

ポジティブな人ってのは、そもそも冷静に客観的自己分析をする人は少ないと思う。できた部分に注目するには、できなかった部分とできた部分の境界線をわかっている必要がある。その境界線の理解に向いてるのは、ネガティブ人間だと思う。

 

①ネガティブ人間の特性を使って、れーちゃんができたこと・できなかったことを分析する。

②一旦私の心の中で処理し直して、できたことにフォーカスする発言をする

③できた所を褒めて、さり気なくもう一度練習を促す。

 

これを何回か繰り返すと、できる・できない境界線がジワジワと上がっていき、「できる側」の面積が増えていく。

 

技術的に難しい部分やコツの指導は、月数回のお稽古時に先生(私の叔母)に任せれば良いのだ。私は楽しくれーちゃんがピアノをできるように、サポートすれば良いのだ。

 

この一ヶ月弱、練習につきっきりになってみて、この境地に達せた。

 

こういうのって、人から言わればその場でなんとなく頭での理解はできても、それはあくまで外からの情報。自分の内側から湧き出る思いではないので、すぐに忘れてしまうし、心底はそう思えない。(すごく利己的になったら「汝の敵を愛せ」と思えるようになったのと同じかな。)

 

先日読んだ本によれば、情報として理解するのが西洋的な哲学で、自らの中から湧き出る思いに達するのが東洋的な哲学だとか。努力さえすれば西洋哲学を理解することはできても、自ら悟らない限り東洋哲学を理解はできないのと同じ様に、永続的に体に刻むためには自らの悟りが肝要らしい。

 

その昔、まだ寝返りしたばかりの頃。れーちゃんは、ぐいっと首を上げてハイハイすることを夢見ていた。それと同じように、今は「両手でピアノを弾くこと」を夢見て、一歩ずつ一歩ずつ、進んでいる。

 

努力して、練習して、自分ができることをちょっとずつちょっとずつ増やして行く。子供とは、そんな懸命な努力をし続けている。

 

大人は、そんな努力をいつ辞めてしまうのだろう。そんな懸命な努力を続けている大人は、この世にどれくらい居るんだろう。

 

自分がそっち側の人間とは、胸を張って言えないのが、なんだか切ない。

 

 

 

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時間の流れは一直線なのか、輪なのか。つまらなかった世界史の授業を面白くできた。

時間は一直線に流れてる?

それとも輪のように巡るものか?

 

あなたはどう思いますか?

 

こういった哲学的な問い。私は、個人的な信条について勝手に考えるのは好きだけど、学問的に哲学を学んだことは一度もない。

 

真理って何?

存在って何?

国家って何?

悟りって何?

 

学校の教科書にいる哲学者たちを知ってる程度で、哲学者たちが何を研究し、何を言わんとしていたのかは全く知る由もないことだった。

 

そんな哲学初心者でも面白可笑しく読める本と出会った。そのおかげで、高校生時代に理解できずにバカにしていた「紀伝体」の真意と価値が、少しだけ見えた。

 
史上最強の哲学入門

目次

1.時間とはどう流れるのか?

2.編年体 VS 紀伝体(時系列 VS 物語形式)

3.紀伝体って何なの?!理解できなかった私

4. 紀伝体って何なの?!の答え(西洋と東洋で異なる時間への観念)

5. 紀伝体編年体も、西洋も東洋も、優劣はない。

 

1.時間とはどう流れるのか?

その答えは、西洋と東洋で大きく異なる。この本を読んで、そしてその理由も非常によくわかった。高校の世界史の授業もこうやって教えてくれてれば面白かったのに…と。

 

2. 編年体 VS 紀伝体(時系列 VS 物語形式)

歴史の授業で、「紀伝体」「編年体」って聞いたことありませんか?歴史書の書き方の種類。

 

  • 編年体:時系列に「○年○月○日、誰それが△△をした」と記録するスタイル。5w1h。西洋で重用された。
  • 紀伝体:歴史的現象を物語形式で記録する(この場合、主語にあたる「誰」は重要だが、年月日はさほど重要ではない)。東洋で重用された。

 

3.紀伝体って何なの?!理解できなかった私。

私がこれまで習った歴史の授業とは、いずれも編年体形式で古代から順番に現代に近づいていくスタイルだった。

 

だから、紀伝体とは一体なんなのか、なぜそんな(私にしてみれば)わかりにくい方法で歴史を記録したのか、理解できなかった。

 

たとえば、「ガリア戦記」。高校時代から私がファンであるユリウス・カエサルの名著は、編年体で書かれて、紀元前のガリア(フランス、ベルギー辺り)について記述されてる大事な歴史資料である。

 

学校で、そう習う。カエサルが好きだったことも手伝って、「紀伝体って何なの。なんでみんな編年体じゃないの」という、排他的な発想にまでなっていた。自分が理解できないものを否定しようとするおバカな高校生だった。期末試験のために暗記する内容も減らしたかったし。

 

そんな心の抵抗をしようとも、紀伝体で書かれた名著は存在する。歴史書として、期末試験のためにも教養のためにも、紀伝体の本をガン無視するわけにも行かなかった。紀伝体をなんとか理解しようと、色々と調べたものの納得する答えは得られなかった。

結果、私が最も忌み嫌う「理解できなくても、試験のためにとりあえず丸暗記」するハメになった。

 

16歳の私は、こんな疑問を持っていたのに、三十路を過ぎた今、スッカリ忘れていた。

 

4. 紀伝体って何なの?!の答え(西洋と東洋で異なる時間への観念)

 

この哲学入門の本で、自分の過去の疑問を思い出し、その答えまで見つけた。

 

西洋と東洋では、時間に対する価値観が全く違う。そのため、歴史書の書き方も全く異なる。

 

これが答えだ。

 

西洋の時間観:一直線に伸びており、昔よりも今、今よりも未来の方が必ず発展して優れた時間になって行く。だからこそ、過去の行動を時系列で記録しておくことが大事と考えていた。より良い未来のために!

 

(この西洋的捉え方は、今までの教育のおかげですんなり飲みこめた。問題は東洋的捉え方。)

 

東洋の時間観:時間とは、輪のように永遠に巡るもの。時間に終わりがないとすれば、何万年前も前から同じことが繰り返されてきたハズ。3000年前に女にうつつを抜かして身を滅ぼした男Aがいたならば、1000年前にも同じような男Bがいただろうし、4000年後にもそういう男Cはいる。だから、AさんBさんCさんの個別の事象を時系列に並べたところで全く意味がない。

だから、東洋では、歴史上の出来事をすべて神話のような架空の物語として語り継いでいくという独特の文化が生まれた。時系列5w1hを並べるのではなく、歴史の流れで象徴的なものや大事なところだけを記録するというスタイルになった。

 

 

もし、仮に、ここまで世界史の授業で習っていたならば、紀伝体の文書に対する偏見も持たなかったし、「編年体の歴史書は、情報が沢山あるだろうけど、つまらん教科書と同じなのかも。紀伝体の歴史書って、面白そう!」とまで思えたかもしれない。

 

今なら、「じゃあ中国史の『史記』って読んでみようかな」とすら思える。(どうせ途中で挫折するのが目に見えてるので、やらないけど。その昔、著名な歴史書を読もうとして挫折した事が何度もあるし…)

 

 

少年漫画が大好きなまま、体だけ大人になったみたいな著者の、身も蓋もないけど明快な説明のおかげで色々と面白かった。

 

普通に過ごしていたら、この本はきっと手に取らなかった。サブカルとか、2ちゃんねる的なノリで書かれてる部分も少なくない(笑)。

主人が見ていたYouTube動画で紹介されていたというご縁で、巡り合ったこの本。

 

5. 紀伝体編年体も、西洋も東洋も、優劣はない。

西洋的に言えば、科学の発展は過去から未来へ、一直線に流れる時間にある。

けれども、立国→繁栄→衰退→滅びると、歴史は繰り返すことを考えれば東洋的捉え方も正しい。事に、人間ってのは戦争を繰り返してばかりだ。

 

要するに、西洋的も東洋的もどっちも正しいしどっちも間違ってる。

 

こんな風に考えられれば、紀伝体を理解できずにバカにすることもなかった。前にも書いた通り、どんな文化にも優劣はないのだ

 

あらゆる偏見と見下しは、対象物の真の姿を知らないから起きるのだなぁ、と実感。

 

誰にでも、私の中にも偏見はある。それに気づいた時、「自分は何を学ぶべきか」が見えてくる気がする。

 

 

 

「ママってば、またよくわかんないこと言ってる」

 

 

将来、娘たちに言われるのかしら。こんな話をしたら。

 

今は3歳と5歳の娘たち。いつか、いつか、いつかでいいから、こういう話をしてみたい。

 

 

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さんざんお世話になってる紙おむつが憎くなる時

久々にやってしまった。

 

紙おむつを洗濯してしまった。

 

のォーーーーーーー。またか!!

 

今回は、怒りを向ける場所がない。

 

最近、娘が、朝に脱いだパジャマを洗濯かごに入れてくれる。そういう日が増えてきた。

 

身の回りのことを、少しずつ少しずつ覚えて行ってくれて、非常にありがたい。

 

が、それが今日は凶と出た。根本的原因は自分にあるのに、それを直視したくない夜。

 

 

いつもは、パジャマのみを洗濯かごに入れる。

 

それが、今朝は紙おむつも一緒に入れてしまったらしい。

 

 

今夜、私は、かごの中身をドバーっと洗濯機に入れて回した。よもや、紙おむつが入っていようとは思わなんだ。

 

 

くぅーーー最近めっちゃ気をつけてたのに…。子供の善意により、そして私の確認ミスにより、紙おむつを洗う羽目になった。

 

洗濯機の中で、散り散りになった吸水ポリマーたち。あらゆる服やタオルに、散りばめられた吸水ポリマーたち。

そして限界値まで水を含んだおむつが出てきた。

 

紙おむつに私は、どれだけ救われてるか計り知れない。紙おむつに罪はない。

 

ベランダで、パサパサと、服に付着した吸水ポリマーをはたく夜。そんな時だけは、紙おむつが憎い。

 

しかも、今日は週一回のお掃除代行が来てくれたばかり。めちゃくちゃキレイになった床に、ポロポロと無数の吸水ポリマーが降り積もる。それはまるで雪のように。(この暑い中、本当に雪だったらどんだけ良かったか。これまた悪いことに、吸水ポリマーが乾燥してくれないと掃除機で吸いにくい)

 

紙おむつが我が家から完全撤退した時は、吸水ポリマー地獄に見舞われたことを懐かしく思うのだろうか。

新生児サイズのおむつとお別れした時ほど、センチメンタルになれない気がする。

 

洗濯する中身は、面倒でもちゃんと確認しよう……

 

憎いのは紙おむつでもなく、娘がおむつを洗濯かごに入れてちゃったことでもなく、確認を怠った自分か…。

 

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会社員ママ時代の私の辛さを救ってくれた先輩の一言

先日、前職の先輩と久々に話した。時節柄、今回はビデオ電話で。

 

二度目の出産から復職したての頃、私としては最善を尽くしていたが、フルに働けないことで周りに迷惑もかけていたことだろう。

 

ありがたく、申し訳なく、もどかしく、辛い思いもあった。

 

昔からずっと、優しい先輩。オンライン会話での先輩の一言で、あの時の自分が、なんだか救われた気がした。

 

-------------回想ここから-----------------------

 

私は昨年(2019年)まで、IT企業の会社員だった。8 年半在籍した間に、2 回出産している。

 

かっこ悪く、申し訳なく、弱っちいことに、私は一度目の育休復帰を、失敗したと言える。復職して数ヶ月で、会社に行けなくなってしまったのだ。

 

数ヶ月の間に諸々あったものの、当時の上司の一言が引き金だった。

 

時差のある「グローバル」な仕事をしていたため、早朝や夜のミーティングも避けられない。子供(れーちゃん当時は1歳)も、まだ夜泣きもあり、私も安定的に不眠症だった。

 

「グローバル」なチームに入った当初は、独身で子供もいない。アメリカに合わせた朝早いミーティングも、ヨーロッパに合わせた夜遅いミーティングも大した問題ではなかった。けど、いざ人の親になると、大問題!!!

 

更に悪いことに、日本の担当者は私のみだったので、私が会議を欠席する選択肢もなかった。

 

体調は悪くなる一方、精神的にも病んで、会社に行く事が恐ろしくなっていった。そして、休職した。

 

休職中、少しずつ回復はしていったものの、腫れ物みたいになってしまった私を救ってくれたのは、最後に在籍したチームだった。復職するタイミングで異動したのだった。

 

この新チームに異動しようと決めた理由は諸々あった。

・日本時間で働ける(「グローバル」時間帯の会議は原則的にない。保育園の時間中に働ける)

・複数人で同じ仕事を分かち合うので、全会議に私の出席が不可欠ではなかった

・そもそも複数人の知り合いがいる部署でやりやすい

・これまでの私の経験が活きそう

 

このチームは、世にも恵まれたチームだった。ワーキングマザーに優しく理解のある上司と同僚、楽しい同僚、優秀で良い人ばかり。

 

理解ある上司と同僚のおかげで、特例的に私は、給料と共に業務量を減らしてもらい、週2日在宅勤務をしていた。二人の幼児を抱える私としては、在宅勤務は非常にありがたかった。けれど、胸の奥の罪悪感は消えなかった。

 

「本当は私も○○の会議に、会議室から参加すべきなのに…」

「本当は私も出社してるべきなのに…」

 

全うな許可を貰っているにも関わらず、私の中では罪悪感が消えなかった。

 

次女ワカメちゃん→長女れーちゃんの順番に胃腸炎になった時、出社できない日が続いて。夜明けに吐き気を抑えられなかった娘に起こされ、「今日も出社は無理か…在宅にさせてもらおう」と、朝5時にメールしていたこともあった。

 

朝5時なんて。今はグースカ寝てる時間。夜中の会議がなくなったとはいえ、やはり体にはそれなりに負担だった。本当は、私はもっと眠っていたかった。

 

子供たちの体調、自分の体調という不確定要素を抱えていても、「安定したパフォーマンスを出さなきゃ!」というプレッシャーと戦ってた。

 

絵にすると、こんな感じ↓


f:id:kaorikawa:20200826213157j:image

 

私には、そこを耐えきる根性も忍耐力もなかった。

 

-------------回想ここまで-----------------------

 

私が退職したのは、前向きな理由だった。体力的に辛いのも大いにあったが、他にやりたい事があったからだ。誰のことを恨むこともなく、会社を、同僚を嫌いになることなく、笑ってさよならを言えた。むしろ今もあの会社にも同僚にも、私は愛を持っている。

 

そうやって笑って、さよならを言えたけれど、私の罪悪感や申し訳なさは伝わっていたらしい。

 

私の前職の会社は、随分前から全員在宅勤務になった。全く支障なしに動いている、とあちこちから耳にする。

 

先日ビデオ電話した先輩も、ワーママ同僚も口を揃えて言っている。「在宅勤務は体が楽だ」と。家事も捗るし、子供と過ごす時間も増えたと。

 

「あの時、かおりちゃんは週2日在宅勤務してて、それを申し訳なさそうにしていたよね。

 

あれがどれほど大変だったことか。業務としては、フルリモートで済んだことだったのに。

 

もっと早く、フルリモートを受け入れる社会になるべきだったよね。」

 

先輩がそういってくれた。

 

「あの時フルリモートが許容されていれば、かおりちゃんともっと一緒に働けたかもしれないのに」。

 

そんな先輩の思いが伝わって来て、泣きそうだった。この先輩は私に様々な仕事を教えてくれ、サポートしてくれた。

 

こうやって働きたい。そういう理想はあるものの、時間的に、体力的にそれができない。それがもどかしく、申し訳なく、自分ではどうしようもなく辛い時期があったのは事実。

 

久々の先輩との会話で、あの時の私すら救われた気がしていた。

 

物理的にも精神的にも、今やすっかり元気になってきた私。依然として、体力も忍耐力もないし、短気である。もはや、これを罪に思うのは辞めて、個性として受け入れるしかない、と思う。

 

休職した自分。上司も同僚も私に対して思うことはあっただろう。心底心配してくれた同僚もいた。

 

誰よりも強く、私を責めて、腫れ物みたいに思っていたのは、私自身だったのかもしれない。

 

他のワーキングマザーみたいに、

 

仕事できていない自分

育児できていない自分

精神力がない自分

体力がない自分

 

そんな自分を、随分と長いこと恨んでいた。

 

自分を責めるのではなく、自分ではない誰かになろうとするのではなく、自分を腫れ物扱いもしない。

 

自分は自分の味方でいなくちゃ。

 

先輩の優しい言葉から、そんな事を思えた。誰かに優しくしてもらうと、自分にも優しくなれるみたい。

 

そうなったら、人にも優しくできるんだろうな。イライラしながら自己犠牲してる場合じゃない。まずは自分を満たそう。

 

 

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行きずりのおばさんのイライラの正体

行きずりの人との会話。したことありますか?

 

半沢直樹を見てたら、その昔旅先で出会ったおばさんを思い出した。イライラしてるおばさん。

 

私にも彼女にも罪はない。それがまた、彼女を余計に苛立たせたようだ。

 

行きずりの人との会話で、ムスッとされたことで、「うちの子は○○なんです」と、子供の職業の話をされた時のご法度、思いついた対応策を書きました。

 

今日の目次

  1. 行きずりの人との会話でムスッとされた話その1
  2. 行きずりの人との会話でムスッとされた話その2
  3. この2つの共通点
  4. 今後の対策
  5. 私自身が親として気をつけたいこと

 

1.行きずりの人との会話でムスッとされた話その1

半沢直樹を見てたら、うるさいおばさんを思い出した理由を説明します。それは彼女の息子が銀行員だったから。

 

その昔、夫婦で石川県のとある街に訪れた。次の電車の時間までの暇つぶしと雨宿りを兼ねて、駅近の茶屋に入った。和菓子と抹茶が出てくる、外人の喜びそうな古風な茶屋。

 

その店のおばちゃんが、これまた行儀にうるさい人だった。嫁入り前には茶道や華道など一通り修行した婦人であった。

 

やれ、茶碗の持ち方が違う、菓子とお茶を食す順番が違う、○○が違う。

 

あれやこれや私への注意が物凄かった。私はお作法を習いに来たのではなく、雨宿りしに来たんだが…。客として入ったのにやたらと怒られた。

 

店を出た後、夫婦で女店主について諸々話していら、主人なりの見解を説明してきた。

 

 

・あの人は元々口うるさい人なんだろうけど、特に、明らかに私への当たりが強かった。(主人にはもうちょい甘かった)

 

・とある地点かは、彼女の攻撃が激化した。

 

へ?とある地点?

 

「うちの息子は○○※銀行なんです」 と言った時だそうだ。※大手の都市銀行

 

息子さんが銀行員だろうが、会社員だろうが、私にとっちゃどうでも良い事だった。茶屋で休憩したかっただけだ。

 

主人に説明されるまで、私は気づいていなかった。あのおばさんは、渾身の自慢をしていたことを!!!

 

その自慢に気づかず、「昨日の夕飯はカレーでしたの」と言われたと同じ位のノリで答えていた。

 

 

おばさん:うちの息子は○○※銀行なんです(えっへん!!すごいでしょ)

 

私:へー、そうなんですね(全く聞いてない。そういえば、友達の△△ちゃんも同じ銀行だったかな)

 

おばさん:東京に勤めてるんですよ!(なんで驚かないの?!)

 

私:へー、そうなんですねぇー。(おばさんの意図に全く気づいていない)

 

元来口うるさい系のおばさんだったが、これを機に拍車がかかった。

 

渾身の自慢を無視してきた小娘が気に入らなかったのか、重箱の隅をつつくようにあれこれ「ご指導」くださいました。はぁ、余計なお世話だったー。

 

息子自慢に無反応なのは、主人も同じなのに、明らかに私への風当たりのが強い。女の敵は女なのか。

 

2.行きずりの人との会話でムスッとされた話その2

 

もう何年も前、新婚旅行でヴェネツィアを訪れていた。塩野七生の「海の都の物語」を読んでから、ずっとずっと行きたかった場所。

 

当時の同僚で、ヴェネツィア大学卒のイタリア人が居て、裏路地の美味しいお店を教えて貰っていた。ルンルンでそのレストランに向かう。

 

そのレストランで隣り合わせたのはアメリカ人夫婦。そのご婦人の怒りを私は買ってしまったらしい。

 

今振り返ると最初からちょっと失礼なご婦人だった。

 

 

婦人:なんでこの店を知ってるの?

(ガイドブックにも載っていない裏路地の名店に、なぜ貴方たちみたいな観光客がいるの?という心の声が見え透いていた)

 

私:ここに住んでいたことがある同僚に聞いたんです。

 

婦人:あ、そうなの。私の娘はフードライターでね。どこに行っても娘のおかけで美味しいお店に行けるのよ♪

 

私:へー、そうなんですね。(あまり聞いていない)

 

 

観光客がいるはずがないお店にて観光客に会ったことが不満なのか、私のこの薄い反応に不満なのか、なかなかプリプリ怒ったおばさんだった。

 

あの店はとっても美味しかった。それはもう、信じられないほど。また行きたいな。潰れてないといいな。あのプリプリおばさんが居なければ、もっと美味しく感じたのかしらん。

 

あのご主人はほとんど喋らなかったな。ちょっと挨拶したときは結構爽やかなおじさんという印象を受けたな。

 

3.この2つの共通点

どちらのケースも、私は主人と一緒に居た。こういう時、風当たりが厳しいのはなぜか女→女。そっけない反応をしているのは主人も同じなのに、私にだけ当たりが強い!!

 

いずれも、私は、リアクションが小さかった。彼女たちが望む反応をしなかった。

「私のかわいい○○ちゃんの仕事は、凄い仕事なのに、驚きも賞賛もされなかった!ムキーッ」ということだろうか。

 

自分の子供の職業自慢をしたら賞賛されるだろうと期待して、そのとおりにならんと苛立つのはなんなのか。一人相撲??

 

 

4.今後の対策

これからは一律、どなたかが、ご自身のお子さんの職業について話した場合は、自慢話と受け取ろう。「すごーい!」と言ってあげることにしよう

 

これに気づいて以来、子供の仕事自慢される機会に恵まれていないので、これの効果の検証には至っていません。

 

5.私自身が親として気をつけたいこと

あれから5年以上経ち、私自身も二人の親になった。いつか、「うちの娘は○○なんですぅ」って自慢したくなるのかな。

 

子供を自慢したくなるのは仕方ない。親ってのは、そういうもの。私も言ってるもん。「れーちゃんは優しいんです!」とか「れーちゃんもワカメちゃんも世界で一番かわいい💞」とか。

 

けど、子供自慢をして、自分の期待通りに相手が驚いてくれないからと言って、ムスッっとしたり、八つ当たりしたりしないようにしよう。戒め戒め。

 

石川県の茶屋のおばさんに会った時も、ヴェネツィアのレストランで鉢合わせたおばさんも、あの時は私にとっちゃ他人事だった。

 

母になった私には、明日は我が身。

 

 

 楽しかったヴェネツィアの思い出が、濁らないように、私史上最高に美味で、最高金額だったコーヒーとホットチョコレート(ココア)の写真でも眺めてみる。

 

かの日、サンマルコ広場で飲んだこのココア。

 

ナポレオンがやってきた時、「自由」が勝ち、ヴェネツィア共和国が滅んだ。滅びの時さえも、市民たちは「共和国、万歳!」と叫びながら祖国への愛を忘れなかったそうだ。

 

そんな哀愁漂うサンマルコ広場で、また、いつか、ココアを飲めるのだろうか。

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真っ赤な夕空からのセーラームーンな三日月

セーラームーンでは、どのキャラがお気に入りでしたか?

 

熱中症から徐々に回復しつつある今、空を見て、月を見て、セーラームーンを思い出したのです。

 

熱中症に見舞われた先日は、経口補水液を飲んで寝てるだけ。

次の日は、家の中で、家事をゆっくりと時間をかけて行う。

その次の日は、家事+ママチャリで保育園まで子供たちのお迎えスタート。

 

こんなふうに、段階的に回復して、リハビリしてる。

 

昨日今日は、数日ぶりに保育園のお迎えに行った。日差しも弱まった夕方に。

 

保育園からの帰り道、娘たちを乗せた自転車から見えた夕空は、真っ赤で美しかった。

都会のビルとビルの間から、ほんの少しだけ見える赤い夕空。

 

保育園を出る頃には、真っ赤だったお空が、家に着く頃にはもう薄く紺色になり始めてて。

 

10分もしない間に、空色がこんなに変わって。

 

汗だくで帰宅した後、西の空を見るとキレイな三日月が見えた。セーラームーンに出てくる猫、ルナの額を思わせる三日月が。

 

明るい紺色と消えゆく空色の中に浮かぶ黄色い月。それが、ルナを思わせた。

 

 

ほんの数分ずつで、景色がガラリと変わる夕空。

ほんの数ヶ月で、景色がガラリと変わるのが子育て。

 

この2つが重なるのを感じた。

 

セーラームーン、懐かしいなぁ。幼稚園の頃の遊びは、なんといってもセーラームーンごっこが多かった。

 

私は弱くとも知的なセーラーマーキュリー(あみちゃん)が好きで、いつもあみちゃん役だった。あみちゃんは競争率が低かったので、ある意味ラッキーだった。

 

 

夫婦関係がガラリと変わっていくインターバルはどれくらいなのか。

明らかに「あの時、大きく変わった!!」という時期はあったが、毎年それを感じるわけではない。

 

さりげなく、自分が気づかない所でも、夫婦関係も変化してるのかなぁ。

 

毎日暑いんだけど、夜になると秋の虫の声が聞こえる。

 

 

熱中症を経て、なんだか、世界を少し視点から見るようになったみたいだ。これも一過性なのか、続くのか。柄にもなく、諸行無常を感じてる。平家物語か。

 

はて、私がちょこちょこ怒っているのも、諸行無常で、すぐに消えるのかしらん。

 

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熱中症になって垣間見た、やるせなさと娘の優しさ

昨日、私は熱中症に見舞われた。

 

頭痛、発熱、でも汗が出ない、脱水。いわゆる熱中症の症状でかなり辛かった。

 

いつも行う子どもたちの世話や家事を全くできず、ずっとアイスノンを体中に当てながら休んでた。

 

熱中症をきっかけに、感じたのは「このコロナの現状ってなんなんだろう」というやるせなさと、家族の優しさだった。

 

水分補給が苦しくて、38.5度を超えたのは20時ごろ。「病院行くべきかな」と思い始めた。

 

とは言え、このコロナのご時世、病院にひょこひょこ行けるものでもない。

 

電話で医療相談したら、結構ショックなことを言われた。

 

「そこまでお熱があると、現状では病院にご案内できない」 

 

今、熱中症で頭も痛くて、水分補給すら辛い。だから病院に行きたいと思ってるのに、コロナ対策のために、普通に病院へ行っても、私は病院には拒否されてしまうそうだ。

 

歩行も難しそうなので、救急車も提案されたが、救急車に乗れたとしても、受け入れ先の病院がなくて、たらい回しにされる可能性は高い。

 

頭痛、発熱、脱水の辛い状態で、救急車に乗せられたらい回しにされる位なら、自宅で大人しくしてることにした。

 

めちゃくちゃ体調が辛くて、医療機関を頼りたい夜でも、発熱してると病院に行けない。

 

誰のせいでもない。けど、非常に悔しくやるせなくなかった。この現状って何なんだろう…。私はなぜ体調不良になって、家族に(特に主人に)迷惑をかけているのだろう…。やるせなさと、悔しさと、罪悪感から、私は、また、家族の前で泣いてしまった。

 

私を心配してる主人は、子供たちの世話やら家事一通り終わらせた後、経口補水液を買ってきてくれた。

 

これが、激ウマ!!だった。

 

水は吐きそう、アクエリアスも少量しか飲めない。そんな中、経口補水液はグビグビと飲めた。

 

経口補水液が私の命を救ったといっても過言ではない。

 

健康な状態で飲むと、激マズの経口補水液が、本当に美味しかった。

 

 

頭はガンガンする、熱も高い、子供たちのお世話は何もできなかった。経口補水液で少しだけ復活したので、頑張って起き上がり、子供たちに「おやすみなさい」のご挨拶をした。

 

ママとご飯も食べれず、お風呂後の髪や体を乾かしても貰えず、何もしてもらえず、きっと寂しかっただろうなって。そんな寂しい中、ママである私は、辛そうに横たわってるだけだった。

 

長女れーちゃんも、次女ワカメちゃんも、時々私の様子を見に来ては、頭を撫でてくれたり、アイスノンを持ってきてくれたり。

 

ぶっちゃけ、昨日の私は「使えない」ママだった。なーんにもしてない。そんなママが「おやすみなさい」のご挨拶にやってきた時、れーちゃんの天使発言が。

 

「ママ、早く元気になるといいね。パパは世界一カッコいいし、ママは世界一かわいいんだよ。」

 

それを聞いて、私は泣きそうになった。これを思い出すだけでも、泣きそうになる。優しすぎる。

 

私みたいな、しょうもない母親の元に、なんでこんな天使みたいな子がやって来てくれたんだろう。

 

熱中症による辛さ、

コロナによって変わってしまった病院体制へのやるせなさ、

娘のれーちゃんの優しさ。

 

かなり振れ幅の大きい感情のアップダウンを、味わった夜だった。

 

れーちゃんとワカメちゃんの優しさに心が温まり、主人に助けられ。私ってば、迷惑かけまくりながら、家族に支えられてるんだな。

 

「病気になる」とは、「いつもとは違う状態」になること。「いつもと違う」を体験すると、違う視点が持てる。今まで存在していたのに、気づいていなかったものを認識できる。

 

山の麓での景色と、山の上での景色が違う様に、違う景色を見ることができる。

 

病気をすることで違った景色が見えたことが、私には何回もある。できれば病気はしたくない。病気っていうのは、「おーい、お前さん、○○という大事なものを忘れていないかね?」という天からの声なのかもしれない。

 

次なる「いつもと違う」体験は、病気以外の方法でやって来て欲しいなぁ…。

 

まだまだ暑い日が続きます。皆様、くれぐれも熱中症と水分不足にはお気をつけください。

 

マジで苦しいから!!

 

 

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初めてのピアノのお稽古(チューリップの花が咲いたよ)

咲いた〜咲いた〜チューリップの花が〜♪

 

みなさん、お子さんの習い事ってどうしてますか?

 

長女れーちゃん(5歳)がピアノを始めました。

 

様々な習い事を誘ってみても、これまでれーちゃんは首を縦に振らなかった。大した焦りも、本人がその気になるまで待つ忍耐力や根性がない私はすっかり諦めて、習い事のことを忘れていた。

 

そんなれーちゃんが、自ら「やりたい」と言い出した。その「やりたい」の一言から、最初の一曲を弾けるようになった所までのお話です。

 

 

とある日、れーちゃんはいつもどおり、お風呂後に髪を乾かしていた。自分で髪を乾かすのに疲れたのか、ママ(私)に、センチメンタルに、控えめに話し始めた。

 

「あのね…、お友達の○○ちゃんは、ピアノ上手なの。れーちゃんは…れーちゃんはピアノ上手じゃないから、お教室に行けないの?」

 

涙声になるれーちゃん。○○ちゃんは、去年あたりから、ピアノを習っているお友達だ。

 

あらゆるコミュニケーションが、婉曲表現なれーちゃんどストレート表現しかできない&理解できない私も、れーちゃんの言うことが、少しずつ、少しずつ、理解できるようになってきた。 

 

きっと、ピアノを習いたいんだな。そして、ピアノが上手でないとお教室に通えないと思ってるんだなって。

 

「最初から上手な人はいないよ。みんな、いっぱい練習して、上手になるんだよ。上手になるためにお教室に通うんだよ。れーちゃんも、ピアノのお教室行きたい?ピアノやりたい?」

 

「うん」と無言で大きく頷く、パジャマ姿のれーちゃんがいた。半乾きの髪の毛と、ピンクの小花が咲いた白いパジャマなれーちゃん。ママがお教室を探しておくね、と伝えると「うん」と、また頷いた。

 

これまで、バレエにバイオリン、複数の習い事教室に、体験・見学してみたものの、どれも「やりたい」と言い出すには至らなかった。レッスン室に入った瞬間に「ヤダ!帰る!」と言ったこともある。アレコレしつこく誘ったところで、れーちゃんの答えは否であった。

 

「子供が嫌がろうが、親が我慢して何回か連れていけば、いずれは慣れる」という例はあちこちで見るが、私にはね、そんな根性も気力もない。

 

「本人がやりたくもないのに、子供をその気にさせるために、私はそこまで頑張れない」が本音。保育園の時間内に体操やらリトミックもしてるし、焦って習い事をさせなきゃ、とも思ってなかった。

 

習い事に関して、親も諦め、れーちゃんも習い事に関して沈黙して半年以上。そのれーちゃんが、自ら「ピアノをやりたい」と言い出した。婉曲表現ではあったけど、そう言ってくれた。

 

先月、初めてのピアノお稽古に向かった。行き先は、私の叔母の家。私の幼き頃、ピアノを教えてくれたのはピアノの先生である叔母だった。

 

近所ではないから、移動に疲れたり、恥ずかしさもあったらしい。途中、「もう帰りたい」泣いたり、叔母の家でトイレの場所がわからず、間に合わずに漏れてしまったり、初稽古の日はハプニングも多かった。

 

せっかく「やりたい」と言い出したのがピアノ。ここぞ、親が努力すべき所だ!と思い、れーちゃんを心いっぱいサポートして、ピアノを続けるよう応援している。そのサポートとは「主に、ママが教える」だ。

 

コロナ禍&叔母の家は近所ではない。毎週通うには少ししんどい。ゆえ、主に私がれーちゃんにピアノを教えて、時々はプロの先生にチェックしてもらうスタイルを取ることにした。

 

私のピアノなんて、頑張って練習したらソナチネ弾けるか否かみたいなレベル。上手い小学生なら私よりずっとずっと上手。そんなプロでもない私が教えて良いものか、悩んだ。

 

けど、確実に、れーちゃんよりは上手であって、れーちゃんに教えれることはある。プロじゃなきゃ教えれないなんて、誰も言ってない。

 

1回、2分だけでもいいから練習する。

毎日でなくてもいい。

 

ものすごくハードルを下げて、れーちゃんと一緒に練習してたら、なんと、始めて2週間で、れーちゃんが「チューリップ」のメロディーを弾けるようになった。ちゃんと、五本の指を使っての演奏。

 

もう、感動した。

 

れーちゃんが「チューリップ」を弾けるようになったことはもちろん。

 

れーちゃんが頑張ってくれたこと。

私がここまで、れーちゃんと頑張れたこと。

 

それが嬉しかった。

 

 

咲いた〜咲いた〜♪

チューリップの花が〜♪

 

私にしては珍しく、私の頭にもチューリップが咲いてるかもしれない。

※私の脳内は、お花畑だったことはほとんどなく、正直花も生えない高山地帯に近い。私の体は高山(低酸素)に弱いくせに、脳内だけは高山。以前ブータンに旅したときに高山病にった話は、後日書こうかな。

 

ピアノの練習は、一日数分程度、しかも毎日じゃない。でも2週間でできるようになった。れーちゃんは天才か!!

 

次の練習曲は「なべなべそこぬけ」。底が抜けるのは、鍋ではなく、私の親バカっぷりだ。

 

 

なーべーなーべー、そーこぬけ

そーこが抜けたら帰りましょ

 

 

親バカの底が抜けても、私は帰らんぞ。

 

変態は世界を救うし、親バカは世界を救うと思う。

 

あ、バカ親はダメですよ。親バカとバカ親は似て非なるもの。あー、気をつけよう。

 

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