打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

私とれーちゃんを救った、小さな小さな間違い

お子さんに何かを教えようとして、喧嘩になったこと、ありますか?

 

我が家の長女れーちゃん(5歳)は最近ピアノを始めた。

 

先生にも習うけど、私もかなり教えるスタイル。家族内で物事を教えるのは、難しさがある様子。

 

親しい関係の者が先生だと、ちょっとしたことで、喧嘩に発展しやすい。

 

なぜ私とれーちゃんが喧嘩してしまったのか、そしてどのように仲直りできたのか、そこに必要なものは何だったのか、を書きました。

 

 

 

れーちゃんの場合は、こんな時にれーちゃんが不機嫌になってしまう。むすーっとなってしまうのだ。

 

  • れーちゃんが上手く退けない・歌えない
  • ママの言うことを聞くのではなく好きにやりたい(でもそれだと上達しにくい)
  • れーちゃんがやりたかった練習メニューと、ママが提示したメニューが違う

 

自慢できないけど、私は忍耐強くない。れーちゃんのムスーっとした顔が何度も何度も何度も何度も、連続でやってきたら嫌になってしまう。

 

ムスーっとして、こっちの説明を全く聞いていない。

 

「ママはれーちゃんに嫌な事をしようとピアノを教えてるんじゃないんだよ?れーちゃんができる様になるために、一生懸命教えてるんだよ。そんなに嫌そうな顔ばっかりされたら、ママは嫌になっちゃう」

 

正直に私の気持ちを伝えた。

 

私の伝えた内容には嘘偽りはないし、訂正するつもりもない。けど、ちょっと言い方が良くなかったかもしれない。

 

れーちゃんは涙を拭うために目を擦っていた。少し反省した私は、れーちゃんを抱きしめながら続けて言った。

 

「ママもね、本当は楽しくれーちゃんとピアノやりたいんだ。こんな風に喧嘩したくないんだ。ごめんね。じゃあ、れーちゃんの好きなお歌を歌おうか?」

 

れーちゃんのピアノ練習メニューは、弾く・歌う・リズム取り。気分転換にメニュー替えを提案。

 

同意してくれたので、私の伴奏で「ひげじいさん」を歌う事に。

 

ムスーっとした後、スンスン泣いてたれーちゃんは、小さな小さな声で「ひげじいさん」を歌い出した。気分が乗っていない時は、声量が少なくなる。

 

あまりにも小さな小さな声だったので、私も一緒に歌うことにした。ピアノレベルのそう高くない私は、弾きながら歌うのは結構なハードル。それでも頑張る。

 

 

ママ:トントントン、トンじいさん

れーちゃんの:トントントン、ひげじいさん

 

一緒に歌ったその時。私は歌詞を間違えた。ひげじいさんならぬ、トンじいさん。誰だそれ。

 

 

トンじいさんに、れーちゃんが笑った。この私の、小さな小さな間違いをきっかけに、れーちゃんの歌の声量も増し、気分も乗り、私とれーちゃんに笑顔が戻った。

 

私は人様に教えれるほど、ピアノのレベルは高くない。けれど、できる限りの力でれーちゃんに教え、練習に付き添ってる。

 

私はそんなに上手じゃないから、いっぱいミスもある。

 

そんなミスが、「トンじいさん」が、気まずかった私達母娘を救ってくれた。

下手っぴで間違えも沢山するママを見ては、「誰もが最初から上手なわけじゃないんだ」と分かってくれてるはず。

 

れーちゃん、毎日練習頑張ってるね。いっぱい頑張ってるね。今日のママは、怒っちゃってごめんね。

 

れーちゃんが繊細な子供だ、と分かっていたにも関わらず、つい忘れてしまった。気遣いを家族相手だとついコミュニケーションが乱雑になってしまうの、典型例かもしれない。

 

私も幼少期にピアノを習っていた。れーちゃんは私の幼少期とはまるで違って、毎日練習している。上達も早そうだ。たとえれーちゃんがムスーっとなっちゃっても、できるだけ怒らないで練習に付きそうように頑張るね。

 

きっといつか、れーちゃんは私よりも上手になると思う。そうなると、私が教える側に居れるのも、十年もないのかもしれないなぁ。

 

いつもより簡単にイライラしてしまった。よくよく考えると、生理だからかもしれない。でも、生理が憎いなんて、決して思わない。私の生理がなければ、れーちゃんもワカメちゃんもこの世にいないから。

 

れーちゃんがムスーっとしてようと、私がイライラしがちだろうと、ピアノで間違えようと、それもすべて、何かしらの愛おしさが、あるのかもしれない。

 

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「芸術の秋」、なぜ秋なのか考えてみた

食欲の秋、読書の秋、芸術の秋。

 

何か物悲しくなったり、物思いにふけるのも秋が多い。

 

こういった呼ばれ方をするのは秋のみ。なぜ秋なのか、ひたすら頭の中で考えたら、理由が見えてきた。

 

秋というのは、兎にも角にも、「余裕」が生まれやすい季節のようだ。

 

保育園でれーちゃんが、十五夜用の制作をなにやらしているらしい。お月さま、うさぎにお団子。満月は毎月やってくるのに、なぜ9月の満月、中秋の名月だけは特別なのだろうか。

 

お彼岸が終わる頃、それは田んぼや畑仕事が一段落するという時期らしい。田植えだ、手入れだと頑張らなければならない間は、「月が綺麗ですね〜」なんて呑気な事は言ってられない。そんな宴なんて、もっての外。

 

「うちの稲刈りは10月だぞ!」という場所もあるかもしれない。旧暦とのズレや、品種改良によってズレた収穫時期のせいかもしれない。けれど、彼岸終わりの満月とは、「一段落」という時期なのだ。暇になる。収穫できたor収穫の算段がついた。ホッとできる時期なのだろう。だからこそ、彼岸の墓参りにも行く気になれるのか。

 

私の実家はお寺です。お彼岸と言えば、来客が多く忙しい時期。農作業に携わる人口は減ったものの、彼岸の墓参りという文化は今も残っている。

 

暑い、暑い、暑い。そうやって汗をダラダラと過ごし、不快感を覚えている中、物の哀れを語ったり、感傷に浸ることはできない。

 

人間は不快感を持ちながら、その他の感情を持つことは難しいのかもしれない。

 

暑くもない。肌寒い程度で、本気の寒さではない。収穫も済んだ。こういった余裕が、人を芸術や読書に向かわせる。

 

 

余裕がなければ、芸術は生まれも発展もしない。「絵を描いたって飯が食えんから、やらん」となっちゃう。これは貧乏でも、金の亡者になってても同じ。精神的にも経済的にも余裕を持つ必要がある。

 

芸術とは、世の中の平和度、人々の余裕度を表すバロメーターなのかもしれない。

 

 

今年の9月の満月は、いつもと違った思いで眺めることになりそうだ。

 

れーちゃんやワカメちゃんとお団子。食べたいなぁ。これは食欲の秋か、それとも花より団子か。

 

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5歳女児・3歳女児の結婚観と、秋の夕暮れ

「お父さんと結婚する!」

こんな可愛らしいセリフを言った事・聞いたことがありますか?

 

私は一度も言った事がない(笑)けれど、次女ワカメちゃんは言ってた。「パパと結婚する」と。

 

まだ未就学児なのに、姉妹それぞれの結婚観が見えたので、書き記す。

 

読者さんはご存知の方も多いですが、次女ワカメちゃんは私と真反対の性格。超ポジティブ、自己肯定感めちゃ高い、性格がパパ(主人)そっくり。(ワカメちゃんの妊娠中、つわりが死ぬほど重かったのは私と性格が違い過ぎたせいだ!と思う程

 

それぞれの結婚観が伝わる会話がこちら:

 

次女ワカメちゃん

私:ワカメちゃんはパパと結婚したいのー?

ワカメ:うん。

 

私:じゃあ他の人とはしなくていいのー?

ワカメ:うん!ワカメちゃんは、れーちゃんともママとも結婚する!!

 

おっと。今の日本では重婚が禁止とは知らないらしい(笑)そっか、大好きな人とみんな結婚したいんだね。独自のUNOルールの様に、カードを沢山集めたいのか。いずれに転んでもかわいい。#親バカ

 

長女れーちゃん

私:れーちゃんはパパと結婚するー?

れーちゃん:しないよ!!だってママはパパと結婚してるでしょ?

 

私:そうだねぇ。じゃあしたい人いるー?

れーちゃん:太郎くん(仮)

 

私:え?この間、次郎くん(仮)って言ってなかった?

れーちゃん:この間はAちゃん(仮)が次郎くんと結婚するって言ってたから、れーちゃんは太郎君にしてたの。でも、Aちゃんはやっぱり次郎くんと結婚するって言うから、れーちゃんは変えたの。

 

れーちゃんは、重婚がNGとはわかっているらしい。(もし重婚が可ならば、パパとしたいのか否か・・・それは未だ不明、そしてきっとずっと不明)そして、れーちゃんは兎にも角にも、争いたくない。これに尽きる。なんか、めちゃくちゃ優しい。#親バカ再び

 

 

友人と争いたくないために、友達の想いの相手以外を選ぶ。

 

個人的に思ったのは「争いが嫌いなれーちゃんが女の子でよかった」。

 

女性は、たとえ自分の一番好きではない相手とくっついたとしても、その伴侶が「自分にとって一番」な存在になることが可能。これは女性は上書き保存型だから。

男性の場合は、そうも上手くいかない。なぜなら名前をつけて保存型だから。二番手の女と結婚したら、その女性はいつまでたっても二番手、一番に昇格する見込みは薄い

 

男女の繁殖方法の違いを見れば、至極わかりやすい。女性は、一度に一人の男の子供しか宿せない→上書き保存。男性は複数人に種付けをすることができる→名前をつけて保存。(現実にどうか、ではなく、体としてそういう作りである、ということ)

 

たとえ人間社会がどれほど発展し、整備されようとも、こういう生物的な所は変わらないんだなぁ、思う。

 

れーちゃんも、ワカメちゃんも、いつかは結婚するのだろうか。どんな相手とするのだろうか。

 

一番頼りにする存在が、いつかは母から、だれか違う人に変わるのだろうか。それは、嬉しくもあり寂しくもある。そんな日が来るのはずっと先のような、すぐにやってくる様な。

 

長い期間、私のお腹の中で育ち、母である私だけを頼りに生きていた娘たち。成長するごとに、母以外の人とも出会い頼ったり頼られたり。母から離れていく、それが子育てなのかぁ。

 

秋になると、人はこんな事を思うようになるのか。死んだ祖母が、小さい頃読み手をしてくれた百人一首を思い出す。

 

寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば   いづこも同じ  秋の夕暮れ 

 

 

秋の夕暮れは、美しく、少しさみしい。

 

こんな事を思うのは、今がお彼岸だからなのか。「暑い!!」とばかり感じていたセンサーを夕暮れの美しさに向けられるようになったからなのか。

 

 

 

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激ポジティブな人が「自己肯定感を高めるセミナー」に行く理由

先日書いた「自己肯定感」の話。自分の自己肯定感の低さに悩む人も多い、世知辛い浮世。

 

されど、この世にはそんな悩みには全く無縁の人間もいる。

 

「ワカメちゃんは、スゴイ子だからね!」

 

ハッキリと、ゆっくりと、そう言える私の次女ワカメちゃんは、この悩みに無縁な一人。

 

先日私は、はたまた「自己肯定感低い」なんて悩みが無縁の女性に出会った。今回は、その無縁っぷりがよくわかるお話です。

 

最近はコロナで外出はぐーんと減ったが、時々はやはりでかけたくなるもの。偶然参加した少人数のセミナーで、この美女、華さん(仮名)に出会った。

 

セミナーの内容も面白かったのだが、この華さんのお話がとーっても楽しかった。せっかくのご縁なのでランチすることにした。コロナ対策で対角線上に座り、話に花が咲いた。美女とステーキ。

 

この華さん、めちゃくちゃ美人でキレイなのに、全くそれを鼻に掛けず、サバサバしている。見た目は超美人、脳みそは男性脳、そして超ポジティブ。ネガ子ちゃんな私と真反対。

 

私の次女ワカメちゃんと同じく、「ま、いっか♪」が口癖のよう。

 

華さんはこれだけ美人で仕事でも有能で、料理も洗濯も家事全般大好き。お金には全く困っていないのに、「人の家を掃除してみたい」という理由でお掃除代行の求人に応募したこともあるくらい。

 

自己肯定感もめちゃくちゃ高い華さん。ここまで有能で性格も良くて美人なら、自己肯定感が低くなりようもなさそう。(←これは私みたいなネガティブな人間が行う客観的分析であり、激ポジティブな人は「俺のこのダメな所がかわいいよね♪」と言うのだ、と知ってる。知ってはいる。)

 

そんな華さんも、「自己肯定感を高めるには」みたいなセミナーに足を運んだことがあるそうだ。そもそも、「自己肯定感ってなんなのよ」というくらい、自己肯定感という言葉を知らない位、Mさんはポジティブなのだ。

 

セミナーに参加した理由は、「自己肯定感が低い人の心理を知ってみたかったから」だそうだ。

 

これを聞いて、私はふきだした。そのセミナーは自己肯定感が低くくて悩んでる人がターゲットでは?そりゃあ、華さん、貴女、浮きますよ(笑)

 

 

お金を稼ぐためではなく、人の家を掃除してみたいと家政婦登録したり。

自己肯定感が低い人の心理を知るために、「自己肯定感を高めるセミナー」に行ってみたり。

 

人間の行動動機とは、「何かを埋めるため」「何かを満たすため」なのだ、と知る。

 

低い自己肯定感を埋めたい、お財布を満たしたい、人の家を掃除してみるor自己肯定感の低い人の心理を知りたい(好奇心を満たしたい)。

 

 

その昔、「嫌われる勇気」という本が流行った。私は、読んでいない。そもそも「どうせ誰かには嫌われてると知ってるので読むだけ無駄かも」と思ったからだ。

 

それでも、自分の行動に直接役に立たないものでも、読んでみる価値はあるのかもしれない。

 

そしたら、「嫌われたくないと思っている人たちの心理、どうしたら勇気が持てるのか」なんかも見えてくるかもしれない。

 

 

人の心理は十人十色。自分とは関係なさそうな心理事情も、勉強して損はない。現に、我が子ワカメちゃんは、激ポジティブのめちゃくちゃ自己肯定感が高い子。自分とは違うタイプのものの勉強も、きっと絶対役に立つ。

 

華さん、自己肯定感を高めるにはセミナーの内容、どう役立ててるのかな。その他の話が盛り上がり過ぎて、聞きそびれてしまった。

 

私ってばなぁー…「何をしたって、どうせ私のことを嫌いな人はいるんだ。だったら自分の好きに生きよう」と思ってる。そのくせ、人目や人にどう思われてるか、気になる。。めちゃくちゃ気になる。。だから、打たれ弱いのかな…。

 

どうしたら、人目を気にせずに、自分の好きに、心まで自由に生きれるのかな。

 

自己肯定感がものすごく高い人って、どのくらい人目を気にしてるんだろう。または、していないんだろう。

 

知りたい。

 

そんなことを教えてくれるセミナーや本ってあるのかな。

 

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3歳女児的 UNO のルールから見る、人間な創造性

トランプ、UNO、すごろく。

 

どれも少し知性を使った遊び。4歳くらいになると、こういった遊びを楽しめるようになる。

 

我が家は、長女れーちゃんは5歳、次女ワカメちゃんは3歳。一緒に楽しむには、まだ少し難しいお年頃。

 

規定のルールなんてなんのこっちゃ。ルールを理解できない小さい子供こそ、創造力を発揮する。

 

以前、2歳だったれーちゃんが独自のかるたルールを開発したように、3歳のワカメちゃんもUNOの独自ルールを開発していた。

 

 

それは「カードを集める」というもの。

 

れーちゃんと私はUNO をやりながら、「あと一枚になったねー」とか「やった!!いっぱい減ったね♪」なんて言ってる。

ワカメちゃんの番になると、明らかにカードを出せるのに、出し渋る。

 

「この黄色いカードは出せるんだよ」

と正規ルールを伝えると、むしろ怒り出す。

 

「やーだ!!これワカメちゃんのカード!!」

 

と、カードを手放さないどころか、真ん中の山からカードを何枚も持っていくではないか。

 

一人独自ルールで遊びだしたワカメちゃん。彼女を自由に泳がせ、私とれーちゃんは通常ルールでUNOを継続。

 

ルールを守らんので、最初は注意して怒ったりもしてたが、3歳児相手にまともにUNOしようとする33歳の私が間違ってると気づいた。

 

2歳時点のれーちゃんが作った独自のカルタルールは、「指定した相手が絵札を貰ってよい」「かわいい絵札はれーちゃんのもの」

 

3歳のワカメちゃんは、UNOの「カードを減らすのではなく集める」。

 

 

れーちゃんは選択的に絵札を集めたいが、ワカメちゃんはとにかく沢山のカードを持っていたいらしい。

 

ここに、それぞれの性格でも出てるのか。

 

人生で使えるカードを増やしたい。「それが私のコレクション♪」(princess princess の歌が頭を過る)

 

 

子供のうちは、こうやって独自のルールや遊び方で遊ぶ。創造性を持って。

 

人間は、いつこうした創造性を失ってしまうのだろう。

 

人と一緒に遊ぶ、生活する。共通のルールがあるからこそ、安心して出来ること。それでも、そういったルールを覚えていくことで、全く創造性を発揮できなくなり、場合によっては他人の創造性あふれるアイディアを批判するようになる。

 

安心して暮らせるための共通ルール、新しい方法を考える創造性。それが共存できる方法って、ないのかなぁ。

 

 

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茶道マダム直伝「人に奢る時のルール」

私がここ数年通っている茶道教室がある。よくご一緒にお稽古する仲間に、60代のマダム2人。

 

そのマダムから、世の中の真理を聞いた気がする。それがカッコよすぎて、書きたくなった。

 

それは、「人に奢る時のルール」。マダムになるからには、マダムたる所以がある。それを垣間見た。

 

このマダム二人とは中々、仲良くしてもらっている。LINEの使い方を教えたら、そのお礼に手作りの茶道具入れをくれたり

彼女らの娘や息子に年が近い、親ほど年が離れた友人とはそう多くはないので、貴重な存在。

 

「お昼、ご一緒にどう?」

 

マダム達から、今日はそんなお誘いが。今まで何回か誘って頂いてるし、気も乗ったし、今回はお誘いを受けることにした。

 

本来ならば、ちょっと良さげなお店に入りたいもんだが、茶道教室周辺の駅には格安系の店ばかり。「餃子の王将」に入ることに。60代マダムと。うーん、チグハグな組み合わせで面白い(笑)コロナ対策で、席を広々と使って。

 

何の気なしに、様々な会話をする。60代マダムの会話内容ったら、30代の私の話とは全然違う。通ってる病院の話、白髪染め、30代のお子さんの話。おそらく、「餃子の王将」で聞こえてる他の話とはかけ離れてるだろう。

  

少し急いでいた私は、先に失礼することにした。お財布を出そうとしたその時!

 

「お代はいいのよ。先程、透明マスクをくださったでしょ?」

 

マダムがそう言うのだ。

 

ほ???

 

ここで、透明マスクの件について説明する。

 

透明マスクってのはこれ↓息苦しくないマスク。


[ルボナリエ]  透明マスク メガネが曇らないマスク (20個)

※これは私の顔写真じゃない。こんなに美肌だったらいいのになぁ・・・

 

暑い中、マスクをしての茶道のお稽古は息苦しいゆえ、私は透明マスクをしながらお稽古をしている。

 

「そのマスク、いいわね!」

 

マダム達がそう言うので、私は余っていたの透明マスクをプレゼントしていた。そのお礼だと言うのだ。

 

いやいや、確かに透明マスクは0円じゃないけど、余剰分を差し上げただけで、昼食代の方がどう考えても高いだろう。それを奢ってくださると言うのだ。

 

そんなつもり(奢ってもらうつもり)じゃなかったのに!!

 

「そんなつもりの方は誘わないわよ(笑」と笑い飛ばしてくれるマダム。マダムのお言葉に甘えてご馳走になりました。

 

そこで、マダムが「人に奢る時のルール」を教えてくれた。

 

「私はね、お金がない人が相手なら割り勘にして、自分で払う気がある裕福そうな相手なら奢ったりするんです。」

 

貧乏人に相手に奢った方が喜ばれそう。それが私の想像だったが、マダムの経験談では逆らしい。

 

「お金がない人に奢ろうとすると『施しなんか受けないわよ!!貧乏って馬鹿にして!』って思われる事があるの。だから嫌なのよ。」

 

同じお金を払うのだったら、良い気分で払いたい。快く、自らのお金を世に送り出したい。これがお金持ちの心理なのだ。奢った事により、自分が不快になるのならそりゃあ、自腹切ってもらう方が後腐れなくて良いよね。そういうことなのか。

 

「お言葉に甘えて、ご馳走になります。ありがとうございます。」

 

私は、これを言えて良かった。嬉しいのは自分だけではなく、マダムもだったのだ。

 

そして、思った。『バカにして!!』とか言ってひがむから、貧乏なんじゃないのか?と。素直に受け取ればいいのに・・・・・

 

お金がないから貧乏になるんじゃなくて、こういう周りからのお気持ちを受け取れないから、貧乏になるんじゃないのかな。心にゆとりのあるから、誰かの親切も受け取ることができる。それは、お金でも同じなのか。

 

そう思い知った、茶道帰りのランチ。

 

道教室で学べるのは、茶道だけじゃない。人生の先輩たちからの沢山の教えなのだ。心底そう思えた。

 

30年後、私も彼女たちの年齢になったら、同じように、若い世代に何かしらを渡せるのかしら。

 

60代マダムには、餃子の王将の一皿の量はなかなか多かったらしい。それでも残さずに食べる。失礼のない様に、廃棄にならないように。そんな所にまで、マダムの気遣いを感じる。

 

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夫が起きれない本当の理由が露呈したため、プチ切れしてしまった件

あなたは朝型?夜型?

 

「テニスの試合が縁の切れ目」なんてタイトルですが、本当は「テニスの試合が、プチ切れポイント」です。

 

切れた相手は主人。理由は彼の「朝弱い」が虚像であったことが、露呈したから。1ミリの隙間も許されないほど、論破できる状況になってしまった。

 

今日は、妻が夫を論破しちゃう夫婦喧嘩の話です。

 

私はいままでこう思っていた。

 

仮説:主人は夜ふかしも多いし、昔から朝に弱いタイプらしい

 

それがまあ、きれーーーーいに、「違う」と証明された。背理法的かも。それを書き記す。

 

子育てにおいての役割分担は人それぞれ。我が家では朝の保育園の送り=パパ、お迎え=ママ、としてます。

 

「早くしなさい!!」

「早く起きて!!」

 

本来なら禁句なのに、子供たちにこれを連発してしまうお母さん。多いかと思います。私もその一人。

 

が、私がこれを言ってるのは対子供たちだけじゃない。

 

「もう起きてよ!!もう〇時だよ」

 

これを最も言う回数が多いのは主人なのです。

 

子供たちの支度は全部終わってるのに、主人の支度がダラダラで登園が遅れることが多い。私はここで「おぬしが律速段階※だぞ!!」と言ふ。

 

律速段階とは、化学用語です。A→B→Cのすべての段階を順番に踏む必要がある時、最も反応速度が遅い段階=この全体の流れの速度を決めている、というもの。

Aさん、Bさん、Cさんが3人とも歩きで移動してたら、一番遅いCさんに合わせて歩かなければ一緒に移動できない。ここではCさんが律速段階になる。

 

要するに「一番足手まとい」を化学的に言っただけ。 

 

朝の登園が遅れると何が嫌って、保育園での「朝のおやつ※※」タイムに間に合わないこと。

※※2歳児クラスまでの制度なので、今の該当者はワカメちゃんのみ。

 

主人の寝起きが悪いために、ワカメちゃんが食べれるはずの朝おやつを食べれない。

 

 

これまでは、「まあ…多少イラっとはするけど、朝弱いんだろうし、朝は送りをやってもらってるんだし…。仕事が早い時は起きる訳だし、そういう差し迫った理由がないと起きれない人なんだろう」と渋々ながらも受け入れてはいた。

 

 

だが、しかし!!(半沢直樹の大和田風に言ってみる)

 

 

受け入れ難い事実を発見してしまった。

 

 

「俺、今朝は朝6時から起きてるんだ〜♪大坂なおみの決勝戦を見たくてね♪♪」

 

なーんてルンルンで言っておる。私はそこでプチ切れた。

 

私:んん???ワカメちゃんの朝おやつよりも他人のテニス決勝戦の方が大事なの?今までは『仕事や試験など差し迫った理由がないと朝に起きれない人』だと思っていたけど、この上なくどうでも良い目的のために起きれる人間ってことだよね?自ら証明したよね??

 

夫:いや、ほら、だって決勝だよ??大坂なおみの。

 

私:いや、今の私にとってはどうでもいいわ。ワカメちゃんの朝おやつタイムの方が遥かに大事じゃない?比べようもない。

 

夫:…

 

私:これからは「夫氏が寝坊したために間に合いませんでした」は許されないからね。くだらない事のために起きれるんだから!大事な娘の朝おやつに間に合うように起きてください。毎日、必ず!

 

 

夫:…はい(小さい声)

 

 

さぁて、これからちゃんと起きれるのか。今までも「早く起きて」と散々伝えてきたが、これからの起こし方は変わりそうだ。若干、恐怖寄りに。

 

 

ちなみに、「文句言うならお前がやれ」的なコメントは受け付けません。理由はある。私が朝弱いわけではなく、肌が弱いのだ。 

日光アレルギー的な何か。朝の強い太陽を浴びて汗をかくと肌のアチコチが炎症を起こす…。夕方には日陰が多くなるので、それが起きにくいから朝=主人、夕方=私の分担になっている。

 

 

私が言ってることはきっと正論で、正論はどうしようもなく苦しんでる人の助けにならないことは多い。けれど、ただの怠惰に一番有効な薬かもしれない。

 

果てさて。

 

きっと私にも「家族の中の律速段階部分」があるんだろう。自分が一番足手まといな部分が。たとえば分かち合えない乏しい精神とか。

 

そこにも目をつぶらずに、自分の中で正論をぶつけても、やっぱりそれは救いにはならない。ただの怠惰ではないからかな。

 

人の救いになるものって、なんなんだろう。

 

「自分を信じることが、一番大事なんでしょ?!」

 

数日前、れーちゃんが言ってた。なんでそんなこと言ってるのか聞いたら、

 

「ママがそう言ってたじゃん」

 

だって。

 

そっか、娘にはそんなこと言ってるくせに、私自身が自分を信じていないようだ。もう少し、信じてあげよう。

 

 

 

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家族相手だとコミュニケーションが乱雑になりがちな理由を検証してみた

私がたまに参加しているZOOM朝活会で、先日面白い話があった。

 

NVC って聞いたことありますか?Non violent communication の略。MVPじゃないよ。

 

NVC は名の通り「暴力的攻撃的ではない対話」で、事実とか内容よりも話し手の感情にフォーカスするというもの。

 

話し手の感情にフォーカスすると攻撃的ではなくなる理由は批判が起きないからだと思う。精神的裁判が起きない。

 

一番一緒にいる時間が長くて、一番批判したくもされたくもないのが家族。

それがどうして家族間では起きやすいのかを考えて考えて、私なりの答えが出たので紹介します。

 

たとえば、Aさんが父親とケンカをした話を聞いている時

 

・Aさんのケンカ内容や発言内容をフォーカスしている時:「そりゃAさんの言い方が悪いんじゃない」とか「お父さんが可愛そう/バカ/うるさい」とかそういう自分の意見や感想が出て来る。Aさんが善なのか悪なのか、お父さんの言ってる事に一理あるのかないのか、こういった事が気になるわけ。どんな人の意見にも独断と偏見がある。同じケンカを交わした同士であっても、Aさんの見解とお父さんの見解は全く違う。同じ事実を説明するにしても、真実の数は人の数だけある。なのに、「自分の方が正しいよね」お化けが登場し、誰かを悪者にしてしまうのが、violent communication。

 

 

・話し手Aさんの気持ちにフォーカスして聞いている時:

気持ちや気持ちにフォーカスしているので、Aさんとお父さんが交わしたケンカの内容への理解は二の次になる。そうなると「自分の方が正しいお化け」は登場しにくい。なぜならば、人の感情には正しいも間違ってるも善も悪もない。人の感情を理解しようとするのは、極めて困難。どんなに本を読んでも、どんなに修羅場をくぐり抜けていようとも、その人の感情は本人でなければわからないから。頭も心もフル回転して、相手の話を聞き、表情や声色から感情を感じ取る必要がある。相手への理解に脳みそが忙しいので、誰かに対してマウントとってやろう、とか自分が正しいと証明したい欲がなくなる。

人の感情を否定するなどできない。(たまに人の気持ちすら、いじくろうとする輩もいるが、そういう人からは離れるが吉。「痴漢されて嫌だった」と言ってる人に「いや、そんなの嫌じゃないでしょ!」と言ってるのと同じ位無神経)

 

最近寝坊気味で、7時台のこの朝活会すら欠席が多いが、久々に参加してすごくよかった。良い人ばかりがメンバーだからか、日常的には続けることが難しいNVCが、このZOOM会では自然とできてる。

 

そこで感じたのが家族関係。一番VC, violent communication、攻撃的会話をしてはいけないのに、一番やってしまうのが家族。

 

主人に対しても、娘たちに対しても、ちょこちょこやってしまっている。そして、私自身も沢山のVCを受けて来ている。

 

皆、Violent communication の加害者であり被害者である。

 

じゃあなんで家族相手にやっちゃいがちなのか?思い当たる理由をいくつか書き出してみる。

 

①家族だと何を言ってもいいだろうという慢心

②家族なのに、相手の気持ちがわかってない、なんて認めるのが恥

③人間は刻々と変わる生き物なのに、相手も自分も変化したことに気づかず、「昔のまま」のコミュニケーションをしている

 

私は主に①により被害者になり、②により加害者になっている。③は両方。

 

家族って、この世で一番複雑な関係だと思う。

 

友達なら、「この人気が合わないからもう付き合うの辞めよう」と簡単にフェードアウトもできる。家族とは「気が合わない」からと絶縁したりしない。気が合わないし、攻撃的会話は嫌なんだけど、絶縁を希望しているわけでは毛頭ない。

 

一番長く、深く付き合い。家族メンバーが私の酷く悲しかったあの時の感情を知らないのと同じ様に、私もまた他の家族の酷く辛かった時の感情を知らない。そしてそれがお互いに対する恨み辛みになってしまう。幼い頃、言語化できなかったモヤモヤを消化しきれず、潜在意識や体の中に埋め込まれて行く。

 

楽しかった感情も、辛かった感情も、そういう体験の数が多すぎて、すべての記憶が無意識部分に収納されていくのが家族なんじゃないかなぁ

 

今の私は、かなり意識しないとNVCをできない。でも家族とは接する時間が長いので、無意識時間が長い。

 

そっか、だから家族相手にNVCをすることが難しいのか。

 

これを無意識でできるようになれば、日常的に家族ともNVCできるようになる、という未来が見えた。

 

意識的にやってることを無意識にできるようになる。私にはその経験がある。英語だ。

 

留学した当初は、脳内ニューロンをフル回転してもすべての会話や授業内容が理解できたわけではなかった。けれど、イギリス滞在年数を重ねて行くと、ぼーっとしながら聞いた内容も理解できるようになるし、英語で考えるようになることすら多々あった。母国語の言語野に、英語も入ってきたのだ。

 

あの時、理解できない会話に必死で喰らいついて行き続けるのは辛かった。けど、それがあったからこそ、比較的短期間で習得できた。NVCも同じように習得できるのかな。

 

これは練習あるのみだ。

 

NVC的会話の練習に付き合ってくれる人を募集したいなぁ。ゆる募。んできれば厳しくフィードバックしてくれる人。「あの時、俺の気持ちよりも事実関係にフォーカスしてたよね?」とかシビアに言ってくれる人が良い。

 

 

にしてもしかし、朝早起きが昔から苦手なんだよなぁ。バリバリ会社員ママだった時は、朝8時に出社とかしてのに、今は8時台に起きるため、7時台の朝活すら困難。

 

その昔、朝練がある部活には入らないと豪語していた中学生の自分を思い出す。会社員ママ時代、ちょっと無理してたのかも

 

色んな辛さもあるけど、理解されなくて辛い経験のおかげで言語化が得意になってよかった

 

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5歳女児から見たおじさんとおっさんの行動

靴下をテーブルに置く。それってアリ?

 

たとえ洗濯済みで、清潔だったとしても、私なら「靴下はテーブルに置かないで」と思う。

 

先日、娘たちを連れて実家に行った時のこと。お風呂上がりの父(れーちゃん、ワカメちゃんの祖父)は靴下を履こうとしたが、忘れ物に気づき。一旦立ち去った。テーブルに靴下を置いて。

 

その時のれーちゃんの面白発言を書き残す。子供ってシビアだ。やはり、曇りなき眼。

 

洗濯され、乾いて、清潔な状態ではある。されど、私と母は首を傾げた。そこで母は呟いた。

 

母:こういうの(靴下をテーブルに置くような行為)、何歳までやるんだろうねぇ。

私:今更この年になって、習慣は変わらないでしょ。

 

そこでれーちゃんが思わぬ返答をした。

 

れーちゃん:おっさんとおじさんがするんだよ!

 

母と私は、思わず吹き出した。

 

確かに。こういった首を傾げたくなる行為をするのは殿方が多い。(私には、男性差別の意図はない。ただの、私の中の統計。)

 

忘れ物をゲットし、戻ってきた父にれーちゃんの明察っぷりを話した。彼には彼のディフェンス、言い分があったらしい。

 

父:これは洗濯してあるんだから、ハンカチと同じじゃないか。テーブルに置いて何が悪い!

 

んー…確かにハンカチや洋服と同じ洗濯機で洗ってるよ。けど、なんか、嫌じゃないか?

 

いくら漂白してバイキン0だろうと、足拭きマットの上で飯を食う気にはなれない。

 

ちなみに、私の父は身だしなみは決してだらしなくない。娘である私ですら、襟がない服を着ている父をみたことがない。

 

パジャマも襟付き、定年後の今はどこに出勤するわけでもなくても、朝も昼も、お風呂上がりすらもワイシャツにスラックス。唯一の運動であるテニスではポロシャツ。父の襟無しの服と言えば坊主用の袈裟だが、これはワイシャツにスラックス以上にフォーマルな装いだ。

 

要するに、フォーマルっぽい服が父の日常着。そんな人であっても、靴下をテーブルに置いてしまう。


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「おっさんとおじさん」って、そういう生き物なのか。れーちゃんにはそう映ってるのか。

 

詳しく聞いてみたが、れーちゃんの中には「おじさん」と「おっさん」の境界線は特にないらしい。けれど、「おじさんとおっさん」とそれ以外。そう言った分類が、れーちゃんの中に存在している。

 

 

これもまた、子供の曇りなき眼なのか。

 

ちなみに、れーちゃんの中には、「おばさん」と「お姉さん」の明確な違いがあるらしい。これについては、追って後述したい。

 

追伸:れーちゃんにとって、「お兄さん」と「おじさん」の違いは「お髭」だそう。髭があるので、パパはおじさん判定されるのか。

 

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自己肯定感の強さは、生まれながらある程度違う

あなたの自己肯定感は高いですか?低いですか?

 

我が夫婦は、ボジティブ夫と激ネガティブ妻という真逆同士取り合わせ。我が娘たちも、真逆同士らしい。

 

接し方、育て方で自己肯定感は高められるのは事実。けれど、簡単に高まるのか、ちょっと難しいのか。数学で言うところの係数、自己肯定感の高まり易さは、生まれながらの個人差があるようだ。

 

とある日のこと、次女ワカメちゃん(3歳)はパパと絵本を読みながら、何文字かの平仮名が読めた。初めて読めた文字。パパもワカメちゃんも大興奮!

その時に繰り広げられた我が家の会話とは…↓ ()の中は、各々の心の声です。

 

パパ:ひらがな読めたねーすごいね!

ワカメちゃん:うん!ワカメちゃんは凄い子だからね!

 

れーちゃん:何がすごい子なの?!

(私はひらがなも、カタカナも読める。それに書けるよ。ただ読めるのがそんなに凄いことなの?!)

 

パパ:(褒めてあげようと思ったのに、俺のセリフ取られた)そうだね〜ワカメちゃんはすごい子だね!いつから凄い子なの?

 

ワカメちゃん:んーとぉ…

パパ:生まれたときからだよねぇ〜♪

 

れーちゃん:生まれた時からひらがな読める訳じゃないでしょ!!

 

ボケてるつもりがなく、大真面目で自分を「スゴイ子」と言うワカメちゃん。冷静に突っ込むれーちゃん。

 

まるで漫才かのような会話だった。

 

自己肯定感を高めようという親の褒め言葉が不用なほど、自分を褒められる3歳児ワカメちゃん。親と妹の謎のノリには乗っからずに冷静な発言をするれーちゃん。その対比が面白かった。

 

ワカメちゃんはすごい子だからね!!

まるでステートメントを読み上げるように、声高らかに、ハッキリとそう言った。

 

「自分=かわいい」と思って育ってほしい。それが我が家の育児のモットーその1。嬉しいことに、その自己イメージはすっかり刷り込まれてる。れーちゃんにもワカメちゃんにも

 

自分=かわいい、は自己肯定感を高めはするが充分条件ではないみたいだ。同じ家で、同じ親の元で育っていても、こんなに違うのは生まれ持った特性によるものだと思う。

 

先日、私が見た夢の中で、占い師に「パパとワカメちゃんは精神的双子ですね。それくらい性格が似てる」と言われた。「ママとれーちゃんも似てるけど、ワカメちゃんとパパほどじゃないね」とも。

 

パパとワカメちゃんは、自己肯定感の塊。自分大好きポジティブちゃん。

れーちゃんは、デリケートで自分に対しても冷静になってしまうネガティブちゃん。(ちなみに、私は激ネガティブ)

 

こんなにも、こんなにも、人間は違う。後天的な要素も沢山あるけれど、先天的な要素でここまで違う。

 

ワカメちゃんが、ピアノを習うようになるかはわからない。けど、ここまで性格が違うので、理系っぽく繊細なれーちゃん向けの教え方とは全く違う方法が必要だうろなぁ、と感じる。

 

ピアノに限らず、なんでも一緒か。相手に合わせて、変えていく。そのために、よく観察する。

 

私自身は、自己肯定感の低い子供だった。「自分が人気者〇〇ちゃんだったら良かったのに」と自分ではない誰かと入れ替わりたいと願ったこともある。恥ずかしながら、いじめられっ子という言葉が、子供時代の私には当てはまる。

 

繊細なれーちゃんは、私と似ている部分が大きい。自己肯定感を高めることは、れーちゃんにとっても課題になるだろう。親として、できる限りのことをするしかない。

 

私がれーちゃんに伝えていることは、やはり「大好きだよ」という言葉。

 

れーちゃん:ママは、れーちゃんがかわいいから大好きなの?

 

以前、そう聞いてきたことがあった。自分=かわいい、と思ってくれている。しめしめ。これは嬉しい!

 

けど、私が伝えたいのはそういう条件付きの愛じゃない。

 

「ママはね、れーちゃんがれーちゃんだから、大好きなんだよ」

 

もちろん、我が子はかわいい。自分=かわいいと思ってくれてるいるのは、本当に嬉しい。けど、それがあなたを愛してる理由ではない。

 

れーちゃんという存在。ワカメちゃんという存在。

 

存在そのものを大切に思っている。

 

ほぼ、毎日。怒ってはいる💦けれど、いくら怒ったとしても、存在の大切さは変わらない。

 

あなたが、あなただから、大切なんだ。

 

残念ながら、自分のことをこんな風に思って育つことはできなかった。私の両親もそう思っていてくれたのかもしれないけど、幼き頃の私はそれを感じることができなかった。私も自己肯定感が上がりにくいタイプだからかもしれない。

 

たとえ、自己肯定感が上がりにくいタイプだったとしても、「あなたの存在の大切さ」を伝え続けることが親の使命だと思う。

 

親に限ったことじゃないね。

 

これを読んでいる貴方も、読んでないあの人も、大切な大切な存在。

 

居てくれて、ありがとう。

 

ワカメちゃんみたいに、自信満々に言えるかな。「私はスゴイ子だからね!」って。言いたいなぁ。

 

 

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3歳女児のウォッシュレット事件。トイレが2つあればいいのに。

トイレトレーニング。幼児の子育てでは通る道。

 

二児の母である私は、トイレトレーニングも2回目。どうなるかをある程度読める分、二人目のトイトレは楽に感じてる。

 

最近のトイレはハイテクで便利なんだけど、そのハイテクさは幼児のトイレの躾には不向きだったりする。

 

れーちゃん、ワカメちゃんのそれぞれのびっくりポイントを紹介します。

 

■れーちゃん的びっくりポイント:自動水洗

今の家に引っ越して来たのは四年ほど前、れーちゃんがまだ0歳の頃。その頃は完全紙おむつ生活なので、トイトレのことなんぞ、知りもしなかった。

 

そのれーちゃんがトイレトレをするお年頃になって、邪魔になったのが「自動洗浄機能」。

 

トイレで排泄する感覚を掴めるまでは、もよおしていなくても「とりあえずトイレに座る」を習慣にするのが大事なのだ。たとえ何も排泄していなくても。

 

ところが。自動水洗機能というのは、人肌が便器から離れたことを引き金に、トイレを流す。何も汚れてもいない水道水が、ただ流れていく。

 

水が勿体ないだろ!!それに、トイレに慣れてないれーちゃんがびっくりするだろ!(ちなみに私個人は、自動洗浄はあまり好きじゃない。予想外のタイミングで流れることがあるから)

 

これまで一度も開いたことがなかったトイレの取説を読み、自動水洗を解除。

 

そんなことをしたのがおよそ2年前。次女ワカメちゃんのトイトレをする今年にも、新たな問題が浮上した。

 

 

■ワカメちゃん的びっくりポイント:ウォッシュレット

れーちゃんというお姉ちゃんのおかげか、トイレという存在はスムーズに受け入れてくれ、それなりに順調に進んでいる。

 

ある朝、トイレに行ったはずのワカメちゃんがわーきゃー泣きながら出てきた。話を聞くと、どうやらウォッシュレットが出てきてびっくりしたらしい。

 

好奇心のあまり、「このボタンは何だろう?」と押してしまったのだろう。いやー、さぞかしびっくりしたことであろう(笑)。思っても見ない方向から、水鉄砲で攻撃されたのと同じ感じかしら。

 

自動水洗とは逆に、ウォッシュレットは人肌が便座から離れると止まるシステム。

ウォッシュレットそのものは幼児のトイレの躾には不向きだか、この体温探知機能はありがたかった。

さもなくば、トイレのあちこちが水浸しだっただろう。

 

 

ボットン便所から水洗トイレ、冷たい便座から保温便座、手動から自動洗浄。あらゆる方向で進化してきた現代日本のトイレ。

 

トイレと初めて向き合う幼児にとっては、ハイテク過ぎる機能は逆に彼らを混乱させるのかもしれない。

 

それにしても、トイレとはありがたい。家族全員のすべてを受け止めてくれる。

 

先日の台風の中、「もし水道や電気が止まったら」話を夫婦でしていた。簡易トイレは絶対に必要だ。

 

 

しかしなぁ…家にトイレが2個あったらなぁ…。「3人以上の住む家にトイレが1つしかない」経験が、私は浅い。たとえ贅沢とか言われようと、実家には2つトイレがあったのだ。(寺という特性上、来客用トイレと家族用トイレがあった)

 

我が家のトイレ、レッドオーシャン化予想」は現実のものとなった。

娘たちのために、自分自身のトイレを我慢する時の切迫感と言ったらない。一般的なマンションでも、トイレを2つ備えた物件って、誰か作ってくれないかしら。そんな需要ってないのかしらん…

 

 

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理系っぽくて繊細な子供のモチベーションの維持の仕方

先日書いたとおり、長女れーちゃんはピアノを習いはじめた。

 

初めて「やりたい」と言い出した習い事。なんとか楽しく続けてもらいたい、と親の私も必死。

 

ピアノの練習に付き合うこと数週間。れーちゃんの物の捉え方を観察し、モチベーション維持のコツが少しわかってきたかもしれないので、書き留めておく。

 

私の学びは、理系っぽくて、繊細なタイプのお子さんには、応用できるかもしれません。

 

■れーちゃんの物の捉え方

何かを教えようとするとき、相手の思考と嗜好に合わせるのが一番吉。効率も良いしスムーズ。

 

れーちゃんの脳みそは、めちゃくちゃ理系的な捉え方らしい。音符があれば、その音符が何を意味するのか、楽譜の音符の位置はどういう規則になってるのか。れーちゃんは、とにかく理屈を理解してから、実際にやってみたいタイプなのだ、とわかりました。

(これまでを振り返っても、パズルが好きだったりと理系の片鱗はあるが、ここまで如実に出たのはピアノと出会ってからかも)

 

だから、れーちゃん相手には理屈がわかりやすい様な説明をすることが大事。

 

感覚派なタイプには、そんな理屈を説明したところでウザがられる。一方、れーちゃんには説明は省いてはいけない。

 

そして、れーちゃんは良くも悪くも記憶力が良い。私が不用意に発言したことも、その昔どこか旅行に行ったときの出来事なども、なんでもよく覚えている。

 

たとえば、ピアノの先生が「休符のコンセプトは難しいから、今日は休符は無いものとして進めよう」と決めていたとする。先生は「今回限りのルール」と思って発言してるのだが、次のレッスン時もれーちゃんはそれを覚えているため、「休符では音がなくなる」と言われると混乱するのだ。

 

「簡略化するための今回だけルール」は、れーちゃんにとっては混乱の素。

 

たとえ難しいものでも、教える側が頑張って説明する方が吉らしい。

 

■ハードルを下げる

ピアノってのは(ピアノに限らず、すべからく楽お稽古事は)、練習量が物を言う。

 

たとえば週一回のお稽古があったとして、その間なーんにも練習してなければ上達は亀の速度。(これは幼少期の私の話。発表会前以外の普段の日は全く練習してなかった)

 

プロ並の腕を持つ私の知人は、子供の頃は毎日30分、大きくなったら毎日一時間ほど練習していたそう。また、音大のピアノ科出身の友人は平均1日6時間位練習したそうで。

 

娘をプロにしよう、なんて思ってはいないが、要するに言いたいのは、「日々の練習の大切さ」。

 

もちろん、お稽古は大事。けど、それと同じくらい、もしくはそれ以上に日々の練習が大切。

 

・毎日でなくて良い

・一日2分でも良い

 

ハードルをぐんと下げて、とりあえずピアノに向うことが習慣になるようにしてみた。

 

そして、れーちゃんの練習には、私はつきっきり。自分からピアノに進んで向う、私が付き添わなくても練習できる様になるまでは、練習での私の付添は不可欠だ。

 

親としてはちょっと面倒だけど、ここは踏ん張り時だ。これまで、「私って親としてどうなの」という自問自答が止まらない分、ここでは頑張ってみようと思った。

 

 

■失敗だった教え方

練習の付添のやり方も色々やってみた。失敗した方法もある。

 

最初から何でも理解して、何でも弾ける子はいない。だから、練習して練習して、できるようになる。

 

理屈を理解し始めたれーちゃんは、やる気もあったためか、予想よりも上達が早かった。(比較対象は、やる気ゼロだった私自身の子供時代。そりゃあ私より早いよな。。私自身は普段は練習しなかったし、親がつきっきりで練習したわけでもない。)

 

れーちゃんの上達の早さを見て、「なんだ、できるんじゃーん♪」と私も期待してしまったところがあって。

 

新しい宿題を弾いてみようとすると、そりゃ最初からできない物も沢山ある。つい、「ここができてなかったからもう一度やろう」みたいな事を言ってしまった。れーちゃんは渋々付き合ってくれていたが、気持ちがショボーンとなっていたのは火を見るよりも明らかだった。

 

せっかくやるんだから、

ちょっと頑張ればできるんだから。

 

そうやって、私はできていない所を「注意」してしまっていた。

 

理屈がわかっているれーちゃん。楽譜どおりに出来なかった時は、大抵わかっている。できない悔しさを感じてる。それをママに指摘されたんじゃ、気持ちがしぼむよね。

 

なんのために、ピアノをやるのだろう。楽しむためじゃないのか。れーちゃんが続けるために、れーちゃんのモチベーションのために必要なのは、「正しさ」を求めた注意ではない気がする。

 

ドレミを弾きながら歌う練習では、テンションが下がったれーちゃんのか細い消えるような声が聞こえていた。楽しそうなときは大きな声で歌ってくれるのに…

 

■成功した褒め方

このまま「できない、悔しい」ばっかりが心に残ると、ピアノを辞めてしまうかもしれない…せっかくここまで頑張ってるのに!

 

と、ある意味親としてプチ崖っぷちに立った私は、考えを変えました。

 

とにかくテンション高めで行こう、と。子供相手にハイテンションな人たち。NHKの歌のお兄さん、お姉さんみたいなノリ。あれを一日中やるのは無理だが、我が娘のためなら5分位は頑張ってみようと。

 

楽譜ってのは複雑だ。

 

・何拍音があるのか(4分音符?2分音符?)

・休符がある

・休符は何拍なのか

・音の種類(ドレミ)

 

曲がりなりにもピアノを習っていたことがある私は、初心者子供向けの楽譜はすぐに理解できる。けれど、れーちゃんにとっては大量の新しい情報を処理しなければならないのだ。まるで習いたての言語をカタコトで喋ろうとするように。

 

拍数はあってるけど、音階が違う。

休符を飛ばした。

音階はあってるけど、拍数が違う。

 

こんな惜しいシーンは沢山ある。

今までは「できてないところ」を注意してばかりいた

 

もちろん、完璧にできた時は褒めに褒めまくる。完璧にできるようになるまでの道のりだって、褒めれば良いんだ!と気づいた。

 

たとえば、休符を忘れちゃったかもしれない。そしたら、「上手!!音がぜーんぶ合ってたよ!!とっても上手だったから、もう一度聞かせて欲しいなぁ」なんて言って、次の挑戦のときには休符をめちゃくちゃ指差ししたり。

 

 

そう、「できた所に着目して、褒める」をしたのだ。

 

 

これは大人にも言えることだが、何かをできなかったとき「どこは出来てて、どこはできていないのか」自分ではわからないことが多い。そもそもできなかった時は自分を責めてしまいやすい。超ポジティブ人間が冷静な自己分析でもない限り、「○○はできてたし〜」なんて言えないのだ。

 

私の主人は激ポジティブ人間。おそらく次女ワカメちゃんも同類。れーちゃんは、どちらかと言えばかネガティブ人間。(ちなみに私はもはや笑えるほどネガティブ人間だ。)

 

ポジティブな人ってのは、そもそも冷静に客観的自己分析をする人は少ないと思う。できた部分に注目するには、できなかった部分とできた部分の境界線をわかっている必要がある。その境界線の理解に向いてるのは、ネガティブ人間だと思う。

 

①ネガティブ人間の特性を使って、れーちゃんができたこと・できなかったことを分析する。

②一旦私の心の中で処理し直して、できたことにフォーカスする発言をする

③できた所を褒めて、さり気なくもう一度練習を促す。

 

これを何回か繰り返すと、できる・できない境界線がジワジワと上がっていき、「できる側」の面積が増えていく。

 

技術的に難しい部分やコツの指導は、月数回のお稽古時に先生(私の叔母)に任せれば良いのだ。私は楽しくれーちゃんがピアノをできるように、サポートすれば良いのだ。

 

この一ヶ月弱、練習につきっきりになってみて、この境地に達せた。

 

こういうのって、人から言わればその場でなんとなく頭での理解はできても、それはあくまで外からの情報。自分の内側から湧き出る思いではないので、すぐに忘れてしまうし、心底はそう思えない。(すごく利己的になったら「汝の敵を愛せ」と思えるようになったのと同じかな。)

 

先日読んだ本によれば、情報として理解するのが西洋的な哲学で、自らの中から湧き出る思いに達するのが東洋的な哲学だとか。努力さえすれば西洋哲学を理解することはできても、自ら悟らない限り東洋哲学を理解はできないのと同じ様に、永続的に体に刻むためには自らの悟りが肝要らしい。

 

その昔、まだ寝返りしたばかりの頃。れーちゃんは、ぐいっと首を上げてハイハイすることを夢見ていた。それと同じように、今は「両手でピアノを弾くこと」を夢見て、一歩ずつ一歩ずつ、進んでいる。

 

努力して、練習して、自分ができることをちょっとずつちょっとずつ増やして行く。子供とは、そんな懸命な努力をし続けている。

 

大人は、そんな努力をいつ辞めてしまうのだろう。そんな懸命な努力を続けている大人は、この世にどれくらい居るんだろう。

 

自分がそっち側の人間とは、胸を張って言えないのが、なんだか切ない。

 

 

 

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