女子特有のコミュニケーションってあると思うんです。女であるにも関わらず、私はこれを理解するのに何年もかかりました。
私はものすごく単純なで、ストレートに物を伝える人です。
婉曲表現、変化球
これらの真意を汲むのはとても苦手でして、「社交辞令」というものの存在を20歳くらいになるまで気づかないほどの単純さでした。つまるところおバカ。
「どんな変化球を投げたところで、お前は正面に回って受け取って、『これは直球でしょ?』と言いかねない」
と同期に言われたことがあります。それくらい、婉曲表現を汲み取るのが苦手です。
長女のれーちゃんはたったの2歳だけど、女の子の会話をするなぁ、と思いました。
女の子の会話って例えばこんな感じ。
例1
妻「床が汚い!!!」(心の声:掃除してよ!)
この心の声は、大概の男性には通じません。だって男性は打ったコマンド通り(またはそれ以下)にしか動かないコンピュータープログラムだから。
「床が汚い」のは状態の説明であって、「何をして欲しいか」というコマンドではない。
例2
主人「れーちゃん、この絵本読む?」
長女「んー、明日やる」(意訳:今はやりたくない。)
「今やりたくない」という本心をオブラートに包む。2歳にしてすでにそんなことをやってるのです。すでに私より気遣いできてる!!
ちなみにこの意訳は主人はできません。
例3
打たれ弱いママである私は、時々音楽の力を頼ります。乳幼児がいる家庭では大抵、夕方が戦場になります。次女のワカメちゃんがぐずりやすく、長女のれーちゃんがお腹を空かせている時間帯です。泣き声を聞くのが辛くてBGMで心を落ち着かせて対応することも多々。
れーちゃんはNHKの「いないいないばあ」に出てくる歌や童謡が好き。私のBGMは90-2000年代のJ-pop。
れーちゃんはそのBGMの曲が気に入らなかったのでしょう。
れーちゃん「音楽変えて」
私「えー、ママはこれが聞きたいなぁ。」
れーちゃん「パパが音楽いやだって」
主人「パパもこの曲聞きたいな」(私の精神安定上、このBGMを押してくれました)
れーちゃん「ワカメちゃんが嫌だって」(この時すでにワカメちゃんは泣き止んで寝てます)
「BGMを変えて欲しい」というのはれーちゃん本人の要望です。それを「パパが」「ワカメちゃんが」と他人の要望として話し出したのです。私はそこで怒ってしまいました。そもそもイライラしてたしね。
私は、自分の希望であるにも関わらず、他人を主語にして希望を叶えようとし、責任を負わない人が嫌いです。れーちゃんはそんなつもりはなかったのでしょうが・・・・。
私(怒り気味に)「れーちゃん、本当はれーちゃんがこの音楽嫌なんだよね?だったら「パパが」とか「ワカメちゃんが」とか言わないで『自分が嫌だ』って言おうね。」
うわぁーーーーーあああああんんん
(ギャン泣き)
私「れーちゃん、ママ大きい声を出してごめんね。ママはこの音楽が好きだから、今聞きたいんだ。これが終わったられーちゃんの好きな音楽も聞こうね」
言ってる事は間違ってないけど、イライラ怒り気味だったことを反省しました。ごめんね、れーちゃん。
精神安定のための音楽どころか、この日はトラブルになったなぁ。
この一件があってから。「ママはこの音楽が好きで聞きたいんだ」ということを分かってくれました。
中々のコミュニケーション能力だなぁ。「みんなが◯◯したいって言ってるよ!」と他人を主語にすると、確かに希望が通ることがある。教えてもないのにどこで覚えたのか。
2歳児に何を期待してんの!って怒られそうだけど、自分の発言には責任を持つようになって欲しいのです。自分が主語の「I メッセージ」で語れる大人になって欲しい。だから、こうやって伝えました。
「ママやパパじゃなくて、れーちゃん自身はどうしたいのかな?」
そう聞かれた時に、素直に自分の希望をちゃんと語れるようになって欲しい。わがままなんて、言うだけならタダだもん。
「ママにはママの聞きたい音楽がある」
それを理解した。
この一件の数日後、同じ音楽をまた私は聞いてました。
「れーちゃんこの音楽好き!」
ニコニコしながらスピーカーを指差し、そう言いました。
ママに好かれたくて、こんな事言ってるのかな。
健気だな、そして私より遥かに大人な部分を持ってるんだな。
娘から愛されてる
私って子供なのかな
と少しこそばゆい気持ちになりました。
「自分の希望として語る」はワガママ扱いされることも多いこの日本社会。でも、自分を主語にして自分の希望として責任を持って語るって大事だと思うんです。
あなたは自分を人生の主人公として、お喋りしていますか?
私はそうでありたいし、娘達にもそうあって欲しい。そんなことを願う、日曜日の夜です。