保育園も休み、主人が風邪でダウンで私が発狂した話を書いたら、友人がキッズラインというベビーシッターサービスをお奨めしてくれた。とりあえず登録だけはしました。
キッズラインに載ってたこの記事が突っ込み所満載で気になった。同じことを思った私の友人もいたみたいで。
簡単にまとめると「家事育児はほぼやらずに、『妻には怒られるし邪魔扱いされるし、家庭での居場所はない。ならば土日だって仕事してる方が良い』と言ってますます家庭から遠のいている殿方」のお話です。
詳細は省きますが、私が一番心に引っかかったのはここ↓
「僕より皿洗いが上手い人はいる。僕が皿洗いしても誰も感動しないけど、仕事なら多くの人を感動させられるものが作れる!」
皿洗いもごみ捨ても排水溝の掃除もね、いくら丁寧にやっても正直に言って感動されません。家事は全自動で空気のようだ、と思ってる輩も多い。家で「お客さん」をしている子供や夫など。
世の中のほとんどは、そういう「感動しないこと」でできている。たとえ空気のようで気が付かないことであっても、それがあるからこそ、成り立つのだ。
なにも空気・全自動のように思われて感謝も感動もされにくいのは家事育児だけではないのだ。
毎日マンションの共有部分を管理人さんは掃除してくれてる。
ゴミ収集車の人々は人知れずゴミを集めている。
清掃員さんは駅の日々公衆トイレを掃除している。
……
こんなお仕事あげれば切りがない。
日の光があんまり当たらない、感動されるようなお仕事ではないものって、沢山あるんだよ。
「感動を呼ばないお仕事」の方が、不可欠だと、私は思う。
そんなお仕事をしてくれる人々がいる。家の中にも、外にも、沢山、沢山いるのだ。
「空気のよう」だから、ついついありがたみを忘れてしまいがち。
この記事の男性は「感動されない仕事はしたくない」と言ってるに等しい。ただのワガママ。そりゃ誰だって感謝感動されることをやりたいさ。きっとあなたの奥様だってそうだよ。
感動されないようなお仕事もとても大事で、それを尊重する。
結局はこれが肝。
「俺は人を感動させるような仕事をして生きてるぜ!!」
そういうあなたは幸せかもしれない。
でもね、忘れちゃいけない。あなたが呼んだ感動は、日々の「感動されない何か」をしてる人々がいるからこそ生まれるのだ。
「感動」してくれる相手だって、「感動」するだけのコンディションが必要。洗濯されない服を来て、ごみ捨ても収集もされない汚部屋に住んでたら、感動する余裕もなかろう。
自戒を込めて書く。
世の中は、「いちいち感動されない何か」によって成り立ってる。
自分がした家事、育児、仕事が感動も感謝もされなくてムカつくことは多々ある。でもね、「これが大切だ、必要だ」と信じてるからやってるのだ。
きっと同じ思いで、「空気のような仕事」をしているこの世のすべての人に、言いたい。
ありがとう
と。