打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

自分の過去から見えた、子供の自尊心を傷つけないために、気をつけたいこと

私は今でも引きずっていることがある。自分の幼少期に嫌だったこと、許せなかったこと。


それが子育てに役立ってるなぁ、と感じた件について書きます。

 

どんなに「良い」親であっても、何かしらそういうことって、誰にでもあると思う。衣食住が用意され、良い教育も与えてもらい、確かに私は恵まれて育った。けども、満たされない何かがあった。

 

それは自尊心。「末っ子の気持ち」でも書いたが、 私が成長しようとしまいと私は家族の中ではいつでも若年者で子供 扱いされていた。少なくとも幼少期の私はそう感じていた。

 

「なんで大人や姉と同じことができないの? しようとすると笑われるの?」

 

年や体が小さい子は、物理的に大人と同じことができない。

 

これを小さい間は理解できない。だから、 同じことをしようと挑戦する。これを見た大人は「 明らかにできないくせにバカだなぁ」と笑うかもしれない。

 

なんでできないのか。

 

バカにされることなく、できない理由が「自分のせいではない」と分かれば、「 大人と同じことするとむしろやりづらいんだな」 とすんなり受け入れれるものなのです。

 

れーちゃん(2歳) のトイレトレーニングは全くと言って言いほど進んでない。 保育園のトイレには座るらしいが、家のトイレは怖いらしい。保育園のは幼児用サイズで、家のは大きいからか?

 


私は焦って今すぐトレーニングさせようとは思ってないが、 トイレに座ることは怖くないよ!とは教えたい。

 

狭いけど、便座に私とれーちゃんが一緒に座ったり、絵本で釣ったり、 親が用を足してる姿を見せたり。

 

座る気になってくれたので、 私は喜んで子供用のくまちゃんの補助便座をセットしようとした。 が、れーちゃん猛抗議。

「このままが良ーい!このまま座るの!!」(補助便座がいらないと。)

 

補助便座に座らせることではなく、トイレ= 怖くないを刷り込むためなので、そのまま座らせました。

 

トイレって大人用にできてるので、 2歳児のおしりには合わないんです。 おしりが落っこちないようにれーちゃん必死。ぐらんぐらんと不安定。

 

「くまちゃんの便座を乗せると、ぐらぐらししないで座れるよ。 れーちゃん、くまさんに座ってみる?」

 

そしたらあっさりと、くまちゃんの補助便座を受け入れた。

 

ママみたいにトイレに座りたかった。補助便座なしで。 いざ座ってみたらぐらぐらしちゃうとわかり、 補助便座を使ってみたら、あら快適☆  

 

2歳児には大人用トイレは大きすぎるから、補助便座が必要、 というのは大人には明白な事実。でもね、 2歳児にはそんなことわからない。

 

だから実体験してみる、というのが大事だった。

 


それをね、「バカめ!」と笑うのではなく、 ちゃんとそれを説明してあげたい。納得して欲しい。そしたら、 新しいことを理解できるようになる。 

 

されど、子供が心底納得するまでに、なんでも付き合うのは、 この忙しい現代社会において、 そして付き合う大人のストレス的にも難しい。だから程々にね。

 

私は末っ子だから、 自分がよく理解できない理由で子供扱いされたり納得できないこと も沢山あった。大人や姉たちには明白に映る事実が、私には見えてなかったり理解できなかったりしたのだ。

 


それを笑われたのが「自分がバカだからなんじゃないか」と感じ、何かに憤っていた。

 

理解できていないのは、私の、 あなたの、子供本人のせいではない。

 

  • 単純に知らない
  • 知るに必要な年月を生きてない
  • 物理的にまだ小さい

 

それだけなのだ。いずれも本人のせいではない。

 

私は変わった子供だった。とにかく反骨精神が強かったのかな。「 私もおまえと同じ一人の人間だ!なぜ同じ様に扱われないのだ!」 っていっつも思ってた。

 

子供は確かに子供なんだけど、子供扱いしちゃいけない。 自尊心が傷つく。 本人としては最善を尽くして頑張っているんだから。

 

できるくせにサボってる時は怒ってもバカにしても良いかもしれな い。

 

大人からしたら明らかに「子供のあなたにはまだ無理」 な事を挑戦していても、笑ってはいけない。バカにしてもいけない。

 


「自分がこの子の年だったら、この子の身長だったら、世の中はどう見えるんだろう?」

 


毎日毎日、ずっとそんな風には考えるのは難しい。少なくとも、「私のせいなんじゃないかしら」という不安を抱かないため、健全に自尊心を保つためにも、心がけたい。できる範囲で。