打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「ダイバーシティ」の嘘ホント

昨今「ダイバーシティ」という言葉をよく耳にします。ここに個人的な見解を。※本当に個人的な意見ですよ!

 

私は「ダイバーシティ」と言ってる人・物には懐疑的です。

「自分は多様性を受け入れる側です」という姿勢から入っていては、真のダイバーシティなんぞ存在しえない。

 

私はね、「ワーキングマザー」「妊婦」などというマイノリティの立場になってみて、初めて気づいた。今まで自分がどれだけの既得権益を得ていて、マイノリティと呼ばれる人たちにゴミみたいな思いやりしかかけてこなかったのか。マイノリティになってみなれければ、真の「多様性」なんて理解できなかった。

 

多様性ってね、探すものじゃない。目の前に居る人が、自分とは違う考え方を持っていて、それを認め、尊重するありのままの相手を受け入れること。私はそう考えている。

 

同性愛や異人種を二級市民扱いせずに、同じように尊重する。まだまだ偏見や法整備が足りないと思うけど、姿形が違う人を受け入れるって比較的ハードルが低い。

 

姿形が似てるけど考え方が違う人を認めることのほうがよっぽど難しい。家族なんて最たるもの。同じ文化圏、同じ価値観の元に育ったはずの人が、自分と想像だにしない行動を認めるって難しい。自分の分身かのように思っていた存在が、自分の考えを真っ向から否定してくることだってある。それは身の毛もよだつ程嫌悪感を覚えることかもしれない。

同族間での争いの方が、他民族間での争いよりも醜く、他人同士よりも血族の争いの方が醜くなりやすい。第一次世界大戦なんてヨーロッパ内はビクトリア女王の子孫同士の争いだった。

はたまた逆に、肌の色が違おうが性的嗜好が違おうが、世界各国のエリート同士はすぐに仲良くなれる。考え方が似てるからだ。

 

 

知人に聞いた「企業内研修:ダイバーシティ」での話。「Inclusion and diversity」(受容と多様性)なんてテーマが付いてたりするらしい。自分が「Include」(受容)する側なんですぅーっていう物言い。私が過敏になってるのか、それを聞いただけでイラッとした。

 

組織では色んなタイプの人が必要だ、というのは自明の理。けど一定の共通項がなければ組織としては成り立たない。仕事に対する倫理観、姿勢、社風や文化とか。

 

「面倒だし、今の体制はできるだけ変えたくないから、本当は似たような感じの人たちを採用したい。でも時代的に『ダイバーシティ』って言ってないと不味い風潮だ」

 

そんな心中が見え隠れする「ダイバーシティ」溢れる採用って、良くないと思う。働き始めてみたら「あれ?これ違ったんじゃない?」ってなっちゃうし。

 

昔読んだコラムで、とあるIT企業の社長さんは「ダイバーシティなんて要らないよ。似たような空気の人を採用したい。一体感を大事にしたいから」って言ってた。時代に逆行するようなこの発言。清々しいなぁ、と思いました。

 

時代錯誤だろうが、常識はずれだろうが、自分の本当の望みを理解し、それを正直に発信するってとっても大事だと思う。

 

情報が多いこの世の中、「世間で良いとされていること」をいっぱい刷り込まれてしまい、自分の心の声を聞けなくなっちゃうことが多い。自分としっかり向き合って、自分の本当の希望が見えているような人でありたい。

 

自分と真っ向から向き合うって、辛いけど、それができたら多様性でも批判でもなんでも受け入れられる(またはスルーできる)ようになると思う。

 

私は打たれ弱いママ。そうしたら打たれ強くなれるかな。早くそうなりたい。