打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

馬の合わない親子

「馬が合う」って言葉、ピンと来ますか?特段仲が悪いとか険悪な関係ではないが、イマイチ相性が悪い相手っていませんか?それが親だったり、子供だったりしませんか?

 

相性が悪い親子関係って、悪いことばかりではないと思う。私自身がそう振り返ります。

 

娘たちを連れて毎週実家に遊びに行く(ご飯食べさせてもらうためw)位、実家とは密接に付き合ってはいるものの、孫もかわいがってくれるものの、私と父って、あんまり相性が良くない。

 

傍から見ると「馬が合わない」という関係らしい。

 

果たして親と馬が合わないのは、幸なのか不幸なのか。考えてみました。

 

 

親子で相性が悪いってのはまあ…不幸なことも多いです。父には三人の娘が居ますが(ザ☆女系家族です)、多分私と一番相性が悪い。それは性格が似てることによる同族嫌悪みたいなものもあるのかもしれない。

 

昔から無駄な喧嘩も多かったし、幼少期はなんか親の言い分に納得できず悔しくて枕を濡らしたことも。父が悪い人、とかそういうことではなく、本当に相性の問題だった。

 

パンも味噌汁も、それぞれ美味しいけど、合わせて食べたいものではない。そういうレベルの話。パンと味噌汁ならば、一緒に食べなきゃ良いが、父と娘となると同居してた訳でそりゃー苦しいこともあった。

 

が、果たして悪いことだけだっか?と問われれば否だと思う。 それは自己と向き合う機会が多かったから。

 

自己、アイデンティティ、なんてものは、保護者を含む周りの人との境界線がわからない限り確立しようがない。反抗期という通過儀礼はこのためでもある。

 

相性が悪かった私は、父にしてみれば「年がら年中反抗期」な娘に映っていたことであろう。

 

教育や子育てってのは、すべからく洗脳の一環。両親と「馬が合う」、先生と「馬が合う」。馬が合わない親しい大人が居ない、ということは摩擦も少ないが、またたく間に気が付かずに洗脳されているということでもある。洗脳され続けていれば、無知の幸せもある。一度、洗脳が解けた時はまるで大切な人に見限られるほどのショックを受けるし、「私はこれからどうしたらいいの?」状態に陥る。

 

洗脳されている間は、自分なんて醜いものと向き合わずとも、何も考えずに神様、親様、先生様の言うとおりにしていれば◎もらえていた。

 

 

生きていればね、いつかは気がつくんです。その親様、先生様だって答えを持っていないことがあるのを。

 

親が出してる「答え」は、私にとっての正解じゃない!

 

馬が合わない娘だった私は、幼少期からそれを痛感していました。

 

「俺は子供を洗脳なんかしていない!!」ってムキになる方、落ち着いてくださいね。多かれ少なかれ、この世の人は漏れなく洗脳されてるし洗脳する側でもある。

 

洗脳が一生解けないままなのか、解けるのが早いか遅いか。

 

「馬が合わない」親というのは、「己は洗脳されている」という事実に気づくのを早める。それだけな気がする。

 

自分ってなんだろう?自分の考えはなんだろう?

 

真に自分と向き合うには、洗脳からの解放、親との境界線引き、親≠神様と気がつくことが必要だと思う。

 

個人的には、理想は

  • 馬が合う
  • 馬が合わない

そんな親しい大人が両方いること。 親は、先生は、神様ではない。自分をわかってくれる人も、わかってくれない人もいる。世の中の縮図が、子供の間からわかるのかもしれない。

 

世の中の光と影。子供だからって光ばっかり見せず、影側も知ることも、悪いことばかりじゃない。

 

馬が合わないお子さんがいる親御さん。大丈夫です。わざわざそんな親を選んで生まれてきている。たくましいなぁ…

 

 

あれ、でも私、打たれ弱いママじゃね?たくましく…はないぞ。