打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

教育熱心な親に育てられた子供が思うこと

メディアを見て、最近気になったの単語の一つが「教育虐待」。
勉強することを虐待に相当するまで強要したり、テストの点が悪かったからめちゃくちゃ怒ったり殴ったり、成績が悪いと冷遇すると言うものらしい。


親がもの凄く一生懸命に子供に勉強させるのは「自分は勉強できなくて苦労したから」「英語できなくて苦労したから」という理由も多く、親自身のコンプレックスや心の闇を、子供たちに投影していることもあるらしい。



 

コンプレックスなどの心の闇の投影は、別に勉強に限った話ではない。私自身も余計なものを子供たちに投影していないのか、気になる。人の親となった今、他人事では私も済まされない。自分の闇はなんなのか?子育てとは自分と向き合うことが不可欠。 

 
人の親となった今、私には他人事ではない。コンプレックスとは違う理由だが、私の両親もなかなかお勉強に関しては厳しかった。

「子供に如何に勉強させよう」という本や記事が多い中、私は反対の「そういう親元で育った子供側の気持ち」を書きたい。

良し悪し含め、こんなことを↓

  1. 私は子供時代どんな気持ちがあったのか (←今日はコレ)
  2. 大人になった今どう思うか
  3. 人の親としてどう思うか 

 

 

今日はその1の「私は子供時代どんな気持ちがあったのか」について。

 

私は教育パパ・ママに育てられたと言って過言ではない。親のモチベーションはコンプレックスとはまったく逆の理由から。私の両親は学者出身であり、両親にとっては、兎にも角にもお勉強ができることが当たり前だったのだ。

 

私は、親は「自分よりも好成績になって欲しい」ではなく「自分程度の成績にはなってほしい」と思ってるんだろうなぁ・・・・と子供ながらに感じていた。

 

成績の悪さを理由に、殴られたことも、ご飯を抜かれたことも追い出されたこともない。が、やっぱり厳しかったなぁ・・・・と思う。
 
たとえば、定期試験中に風邪をひいたら「気がたるんでる」位は言われたことはあります。すごく気が張ってる時は風邪にならない!って…厳しいーー!!

看病はしてくれたけど、当時の私には厳しかったなぁ。当時の私は試験以前に、そもそも学校に行きたくなかったしね。
 
 
そもそも、定期試験はそこまで気を張るものなのか?という疑問が浮かぶ。中学生当時は一大事!と思ったけど、今振り返ると 10 年以上前の中学の定期試験一回分を風邪で休んだから、といって今の人生に全く差し障りないんだけどね。当時の私も当時の母もそんな風に達観することはできていなかった。

 

自身も好成績でありつづけた私の両親には、好成績は当たり前だったのだ。誰もそんなこと言ってもいないのに、小さい頃の私は「好成績でないとバカにされる!居場所がない。。」なんて思っていたのかもしれない。

 

決してイヤイヤではなく、学ぶ楽しみもありながら、中学受験の勉強をして、わりと希望通り進学しました。大概の場合は中高一貫校に進み、高校受験をせずとも勉学や部活に集中できるように、と中学受験をさせる親御さんは多い。私の両親だってその一部。

 
 が、ね、私って付属の高校に内部進学したくなかったんですよ。

それでも親は「この内部進学の高校に行けるように」って受験させた、だの、その高校に行って欲しいだの思ってるわけです。14歳の私もそれはわかってました。だからこそ、なかなか両親にそれを言うこともできなかった。

 

中学校でゴタゴタ揉めてた人間関係をリセットしたくて、内部の高校進学の願書すら出さず、結局は外部の公立高校に進学しました。受験なんてしなければ、こんな「内部進学したくない」と思うことに罪悪感を持つ必要はなかったんだなぁ・・・と。


 
もちろん、厳しいだけではない。お勉強ができる両親に助けられたことは沢山ある。高校、大学レベルの勉強でも様々なことを教えてくれた。
数Ⅲ にでてくるような微分積分式を解けない時は母が解説してくれ、「この問題解けないモヤモヤ」を先生に聞けるまで何日も寝かさずに済んだり。 
 
父との結婚を機に、学者を遥か昔に引退した母の数学能力は 50 代でも健全だった。私の計算能力は、大学を卒業して数年であっという間に衰えたのに。ここで既に、私と母のお勉強力の違いが見える。すぐ忘れる VS 自然に何十年も覚えていられる。
 


生まれもった実力の違いは歴然だと、今気がつく。自分で言うのもなんだが、私はかなりの努力家。実力以上のことをなす為に、とにかく努力で埋めた。一種の強迫観念も持ちながら。


 

人間関係でゴタゴタ揉めたり、ついハブにされたりしたことはありましたが、私の卒業した中学はやっぱり特別でした。地元の中学校では決して学ぶ事ができなかった唯一無二の教育を受けることができたと思っています。そんな機会を与えてくれたのは、間違いなく私の両親の教育熱心さのおかげ。

 


お勉強はできるに越した事はありません。

偏差値の高い学校では、唯一無二の「他ではないここでしか学べない」ことが沢山あるのも事実です。

 

 

それにも増して、私が大事だと思うことは「安心感」です。

 

「子供の未来の受験の心配をなくすために、エスカレーター式の学校に入れたい」

 

そんなのは親の安心感であり、子供の安心感とは限らない。手間暇、お金をかけて親が入れてくれた学校だ、と思うと「行きたくない」という気持ちがあってもなかなか言い出せないこともあります。

 

私も人の親なので、わかります。子供のことを心配し続けるのは親の性である、と。

 

子供だって感じるんです。

 

お金も時間も沢山かけてもらったのに、親の期待に添えないかもしれない・・・・

 

小さい子供は親を喜ばせたいと、いつでも思っています。自分を犠牲にしてでも、それをやるべきなのか、否か?自分の意志が強く大きくなればなるほど迷います。その迷いは、親がかけてくれたお金や時間に比例して大きくなる。

 

子供が望むのは「たとえ風邪を引いて試験を休んでも、受験に『失敗』しても、『自分には家という安心できる居場所があるんだ』」と思えること。

 

一番多感だった 14歳の春、最終的には私の両親は、内部進学をしたくないこと・外部の高校に行くことを認めてくれました。父は渋々だったけど^^; 

 

まあ、親といえど強制力もコントロール力もないってことです。親が行かせたい学校の受験会場に行かないとストライキするかもしれないし、具合が悪くなるかもしれないし、たとえなんとかその学校に入れたって不登校になるかもしれない。

 

どうやって子供を勉強できるように育てよう??というようなウェブ記事や本が沢山ある中、子供側の気持ちを書いているものは少ないと感じます。そのマイノリティ側の気持ちを書いてみました。

 

 

割とダークな小中学校時代を過ごした私は、高校・大学もそこそこ波乱もあれど、楽しい時間を過ごせました。学生時代通じて、かなり勉強していた私が、得たものは何だったのか?大人になった今どう思うのか、はまた次回に。

 

 続く→

https://kaorik.hatenablog.com/entry/2019/02/20/210909