打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

逃げるは恥だが役に立つ

教育熱心な親に育てられた子供側の気持ちパート3です。パート1はこちら、パート2はこちら

 

私は、両親にもらったそこそこの頭脳と、私個人の生来の要領の悪さをカバーするために努力でカバーして学生時代生きてきました。

勉強も大変だったけど、それ以上に私は、そもそも学校が嫌いだったのでは?と思います。

正直に告白します。私の小中学時代は、圧倒的に嫌な思い出のが多いです。学校でも、家庭でも。

 

いじめってどんなもの?私の経験から語ります。

 

ああ無情。人間ってのは集まると、順位付けをしたり、意地悪したりするものらしい。それは偏差値が高い学校とて同じです。

 

いじめには二種類あると思う。

  • 積極的ないじめ:わかりやすく意図的に殴ったり嫌がらせをする。いじめっ子の正体と責任の所在が明白。
  • 消極的ないじめ:己の保身のために、いじめられっ子とは仲良くしない。仲間はずれに加担してしまう。

 

私は消極的ないじめに参加してしまったことも、いじめターゲットになったことも両方あります。今まで仲良しだった相手に、保身のために冷たくしてしまったことが、とてもとても辛いし、自分もそのターゲット側だったことは苦しかった。

 

ボス猿に従い、自分の意見を主張せずにいれば平和に過ごせたのでしょうが、当時はそんなことわかりゃしないし、今だって分っても実行できないと思う。私はどうにもこうにも、長い物に巻かれることがどうしてもできなかったから。

 

私は日本の学校という集団生活には適性がない。小 1 の通信簿には「協調性がない」と書かれたことが、すべてを物語ってる。それは中学受験して、国立の学校に行っても同じだった。

 

いじめられっ子時代は、休み時間こそ嫌いでした。一人でいると「あいつは暗い」とか言われるし、クラスの人気者的な子たちと校庭で遊ぼうもんなら場違い感が出たり。

 

小学生時代、ハンドベースの仲間に入れてもらって、私がファインプレーをしたのに、誰も私を褒めも活躍を認めもせずに、むしろ敵方チームの人に「あれはまぐれだよ。」とフォローを入れてて私は非常に気まずく、ファインプレーしたことが、余計に惨めな気持ちになった。

 

休憩時間が嫌いなのは中学に上がっても一緒。私の中学は(私の学年は?)、授業間の教室移動というのは、仲良しグループで行う、さもなくば「あいつはいじめられてる」憶測を呼ぶ文化であった。すんごい居心地悪かった!!これって女子だけだったのかなぁ?それとも私がそう思ってただけ??

 

友人と揉めている間は、一緒に教室移動はできないし、他のクラスメイトだって既存の「教室移動仲間」がいるため、結果的に一人になることも多かった。

 

授業が始まると着席して、自分が属すべき謎のグループについて考えなくても良かったのでホッとしていた。荒れてる学校だったら、授業中ですらきっと安寧はなかったかもしれないなー。

 

この時期の私は、とにかく音楽の授業が苦手でした。着席での授業ではなく、合奏・合唱などの立席で行うアクティビティは本当に嫌だった。授業中でも友人とは休戦はしないので、教室内で目に見えてハブにされるわけです。仲間はずれにしてる奴の近くには誰も立たないわけで。

 

休み時間に私が一人教室移動してることには気づいていなかい男子たちも、教室という狭いでのその様子に「おや?」と気づいてしまう。「あいつはハブにされてるらしい」と気がつくと、それに加担する人も増えるわけです。

 

この時期、この理由から私はとにかく音楽の授業が嫌で、保健室でサボりまくり。当時の保健室の C 先生は、説明せずとも私が教室に行けないことをわかってたのか、私を追い出したりしなかった。静かな優しさだったな。C 先生、元気にしてるかな。

 

期末試験中に風邪をひいて、音楽の試験も受けれず、授業も出てないから、当時の音楽だけはめちゃくちゃ成績悪かった。親にも怒られるし。学校には行ってたから、音楽の授業だけサボってるなんて親は知らなかっただろうし、サボりたかった理由なんてもっと知らない。

 

つらつらと私の苦い思い出書きましたが、要するに言いたいことは、たとえ名門校だろうと学校はあくまで学校であり、いじめは存在するし学校そのものが肌に合わない子供もいるのです。だから、「私の子供はどの学校に行くか」に固執するのは、労力が勿体無いかもしれない。

 

  • 授業に出たくない
  • 部活に出たくない
  • 学校に行きたくない
  • どこにも行きたくない

 

 

もしかしたら、いつかれーちゃんやワカメちゃんだって、こんな気持ちになるのかもしれない。そうなった時は、私は言いたい。

 

「無理して学校に行かなくても良いんだよ」

 

って。

 

純粋な怠惰が理由でサボるのは許せじ!と私は思う。が、「〇〇したくない」発言には声にならない行きたくない全うな理由があるのかもしれない。

 

こんな私自身の苦い体験から、れーちゃんとワカメちゃんの親として、あまり学校に期待していない。

 

このご時世、学校以外にもお勉強の方法はいくらでもある。学校とはあくまで社会生活や集団生活を学ぶところ。

 

それも、無理することじゃない。

 

世の中はこういうルールがあるよ

こんな違うタイプの人がいるんだよ

どんなに心を込めて話しても、心が通じないことだってあるんだよ

 

学校では、こんなことを体験できればいんじゃないか。どんなに努力しても話が通じない相手といても、時間がもったいないし、そうう人を避けるという選択肢もありだよ。そんな風に、娘たちに思ってほしい。

 

 

私はこんなふうに、保護者としての学校への期待値をものすごく下げている。多くを期待しないことが大事なんじゃないかな。夫婦でも、親子でもあらゆる関係において。 

 

私は保育園児二人の母。学校という場を、保護者としてはまだ知らないから、甘っちょろいことを言ってるのかもしれない。

 

まあ、子どもたちに変な無理をさせたくないし、「せっかくあの時(親が)頑張って〇〇学校に入れたのに!!」とか思いたくないから、私も親として無理しないようにします。

 

教育に関わらず、誰しも無理は良くない。何は無理で、何は無理じゃないか、は人によって違う。

 

 

「あのお母さんは〇〇できてるのに…」

 

 

とか、絶対に思わないように…したい!!

 

逃げるは恥だが役に立つ、というドラマが流行ったが、ドラマだけじゃなくて、大人だけじゃなくて、子供にもそんな発想が広がってほしい。