打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

妊娠して「いない」喜び

私は 2 歳差姉妹の母です。つまり、長女れーちゃんが 1 歳半のときには、次女ワカメちゃんを妊娠してました。

外を歩き回れる1歳児(後半)を育てる中、自分が妊娠していない状態というのはほぼ初めて。

 

この身軽さ、気軽さたるや、凄く凄く感動的。その感動と、妊婦の大変さを伝えたい。

 

妊娠に対するネガティブな話ってしにくい世の中。だからこそ、逆に声高らかに言いたい。

 

私は今、妊娠していない状態で子育てができて幸せです。

 

1歳半〜3 歳 ※になるまでって、ちょろちょろし出してとっても危ないんです。※個人差アリ

  • 歩きたい!けど、疲れると抱っこをせがむ
  • ベビーカー乗りたがらない
  • 歩きたがってベビーカーに子供が乗らないとすごーくベビーカーが邪魔になる
  • 飛び出したら危ない所をまだ認識できないので、目も手も離せない

 

まあ…とにかく、ワンオペだったならにっちもさっちも行かない状態になることが多いんです。

 

二人目のツワリが特に重かった私は、れーちゃんが飛び出した時に走って守ることも、歩き疲れたれーちゃんを担いで移動することもできなかった。母子ともどもの安全性確保のためにも、ベビーカーを積極的に使ってました。結構嫌がってた時もあったんだけど、選択肢なかったし、あの時は仕方なかった。なんなら、ワカメちゃんが生まれた後は二人乗りベビーカーを多用してた。

 

歩くのも板についてきたワカメちゃんは、お散歩が大好きになってきた。小さい割には

沢山歩いてくれる。が、やっぱり疲れると「抱っこぉー!」となる。

 

 

「ま、なんかあっても抱えていけばいいか。」

 

 

街を歩く1歳児片手に、そう思えたのはほぼ初めて。心配しなきゃならない胎児はいない。自分の体を、外を歩いている我が子のためにしっかりと使えるのだ。

 

 

 

すんごくすんごくありがたい。

 

 

育児に限らず、なんでも同じだが、余裕があるって凄く大事。

 

妊婦という不自由な体で、まだまだ危機回避能力が乏しい幼子を育てるというのは、本当に本当に大変だったんだな、と今気がつく。

 

実際に抱っこして、肩腰バキバキになるまで頑張ったかどうか、みたいな我慢勝負の実績ではなく、「いざとなったら〇〇すればいいや」という打開策(英語で言う Plan B )を持っていることが肝要なんだと思う。(この国の、謎の母性神話母親は楽をするな!、我慢は美徳発想には飽き飽きしています。)

 

〇〇しなきゃ

絶対に私が守らなきゃ

 

子供が生まれた後ならば、勇気と図々しさを持ってすれば、母親だけが唯一の保護者ではなくなります。けどね、妊娠中は母親だけが唯一の絶対の赤ちゃんの頼りだし、命綱だ。

 

それを分かっていたからこそ、凄くピリピリもしてしまったし、れーちゃんにも半ば無理矢理ベビーカーに乗せて、歩く選択肢を削いでしまったこともあった。

 

「妊娠できて幸せ〜」みたいな話は受け入れられても、なかなかネガティブな話ってしにくい世の中。だからこそ、逆に声高らかに言いたい。

 

私は今、妊娠していない状態で子育てができて幸せです。あの 9 ヶ月間は、私も、主人も、れーちゃんも、お腹にいたワカメちゃんも、我慢と忍耐の連続だった。それを乗り越えてこその今の四人家族がいる。命をこの世に送り出すとは、一人の我慢の上には成り立たないし、大業なのです。

 

だから、どのお母さんもそれをしっかり誇りに思ってください!!

 

二人いるとね、「んもーうるさい!」とか「子供が二人に増えて一気に不自由度が増したなぁ」とか思うこともあります。でもね、もし仮に一人でもこの家族から抜けたら…と考えたら…物凄く寂しいんです。ありえない。

 

 

不自由だけど幸せ。当たり前のようで当たり前でない。一瞬の笑顔と沢山の涙。

 

どんなに泣いても辛くても、一瞬の笑顔を共有できたことを忘れない。特定の人物が、自分の人生を大きく狂わせるかと思えば、最高な彩りをくれる。

 

それが家族ってものかな。

 

 

 

なんか…、みんな、ありがとう。