打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「良い母親」はダメ人間製造機

母親であると、ついつい心のどこかで考えてしまいませんか?。

 

「私って良い母親なのかしら?」

 

世間的な「良い母親」って都合が良い母親であり、それってダメ人間製造機だと思う。そうやって、私は自分の心に折り合いをつけたり、割り切ったりしてます。久々の脱☆良妻賢母シリーズです。

 

 

「良い」母親ってなんでしょうか。結局は「世間様」という謎な存在がイメージしているものが「良い母親像」として刷り込まれているだけな気がします。

 

江戸時代の大奥ならお世継ぎを産み、育てることが良い母親。

戦中なら出兵できる兵士を産み育てるのが良い母親。

昭和なら専業主婦でサラリーマンを支えつつ、子育てをするのが良い母親。

今なら共働きで家計も支えつつ、家事・育児するのが良い母親。

 

こうやって並べて書いてみると、なんだこれ!これまで世を牛耳っている男性にとって都合が良いものばかり。世の情勢が変われば、「良い母親像」が変化する=非普遍的なもの。

 

 

家事も育児も全部やって、家もピカピカ、料理も美味しくて何皿もある、家計も支えてくれる。

 

うーん、配偶者がそんなことしてくれたら天国かなぁ♪ 

 

これは天国にも地獄にもなりうる。こんなに至れり尽くせりの環境でただダラダラと過ごしたら、確実に依存している怠惰なダメ人間になる。

 

この前述の「良い母親」に育てられた子供はどうなるのか。

女の子なら「私はママほど家事も育児もできない」と、自分を責めるかもしれない。

男の子なら、「俺の母ちゃんはこんなにできたんだぞ!なぜお前はできない」って妻を責めるようにかもしれない。

 

 

人間は不完全なんだよ。不完全でも、誰しも愛されるに足る存在だよ。不完全さの中の良さを知ることが大事なんだ。

 

それを身を持って子供に伝えられるのが、本当の「良い母親」なんじゃないか。

 

「料理下手」な母親の元に育てば、自分で美味しいものを作れるように努力するかもしれない。

「掃除下手」な母親の元なら、汚れに神経質にならずにおおらかに過ごせるのかもしれない。

「でしゃばり」な母親の元なら、反動で控えめになるかもしれないし、類似してでしゃばりになるかもしれない。

 

親に似る部分と、そうじゃない部分。似てよかった所と、そうじゃない所。全部まぜこぜ。子供の言動にどう現れるかなんて、宝くじ並みにわからない。

 

私の母は、出汁取りに命かけてるんじゃないかレベルで料理が好き(本人はなかなかそう認めませんが(笑)。その反動なのか、今の私はほとんど料理しない。

 

私の母は、掃除を丁寧にします。なにせお寺だし、汚い玄関や客間でお客様を迎えるわけにはいかない。そのおかげか、私もわりと掃除はします。が、結構汚れには神経質で、離乳食タイムとかいつもイライラしてた。キレイ好きよりもイライラしてない母ちゃんのが、良い母親じゃない?

 

イライラしたことがない母ちゃんって、それは幸せかもだが、イライラしてる母ちゃんの子として育てばイライラしている人の対処砲が身につくかもしれない。

 

どんな親が良かったのか、なんてすべて結果論。何十年後にやっとわかること。

 

何十年後の心配も大事だけど、今どうしたら楽しいか?幸せか?をもっと考えたい。

 

先のことばっかり、ついつい心配してしまう私は、もう少し今にフォーカスします!