打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

私は、子育ての 9 割は楽しめてない

子守 24 時間体制のGW (げっそりウィーク) から早 2 週間。楽しい時間とげっそりタイム両方が。

 

「子供と居て楽しい〜!」と、私が感じられている時間は、少ない。とても少ない。一緒に過ごす時間の 1 割くらいなんじゃないか?

楽しい時間も、勿論あります。が、私のそれは、僅か過ぎる楽しそうにしているお父さんお母さんと、私は一体何が違うのだろう?と観察し、分析してみた。

 

楽しめる時と、そうでない時。心の中を支配している感情が違う。 

  • 楽しめてる時の私は、心配事が少ない。
  • 楽しめてない時の私は、責任感やプレッシャーに覆われている。 

 

楽しめてない時に抱えてるプレッシャーや心配事は以下↓

  • ①電車などの公共の場での「迷惑かけない」プレッシャー
  • ②子供たちの命を守る(迷子、駅のホームに落下、エスカレーター巻き込み)

 

①電車などの公共の場での「迷惑かけない」プレッシャー

要するに「良い」母親で迷惑かけないようにしなきゃ、という「良い母親呪い」を私自身が感じてるため。正直これは私の心の問題。。心に根深く突き刺さり、中々取れないこの呪い。

もちろん、泣かせたまま放置なんてしないよ。でも、すぐに気をそらして泣き止ませることよりも、子どもにとってもっと大事な事があると思う。話をしっかり聞いたり、気持ちを落ち着かせるために泣いていることもある。それを大人の都合で無理やり抑えていいのか。。。。が、電車や飛行機などの狭くて閉ざされた空間では、それよりも「静かにさせなきゃ」という私の焦りが来る。世の人って、子どもの泣き声にどのくらい寛容でどのくらい厳しいのだろう。わからない。わからないから、知らないから、更に焦る。

人間生きてれば、必ず誰かに何かに迷惑をかけているもの。だから私は「迷惑かけない」って指標を元に生きるのは大嫌い。「迷惑かけていない」と証明するのは、「存在しないものの証明」と同じくらい難しい、つまり不可能。それよりも、他にできることが沢山あるのに・・・が、マジョリティはそう思って生きていなそうなので、私も苦しくも折れている。長い物に巻かれるなんて大嫌いだけど・・・・という葛藤。

個人的には「迷惑かけない」「静か」よりも、「ありがとう」「ごめんなさい」が言えることのが大事だと思ってはいる。

 

②子供たちの命を守る(迷子、駅のホームに落下、エスカレーター巻き込み)

 これは必要なこと。が、私はきっと必要以上にこれに気を張っている。電車に乗っている間は「命を守る」ことはそこまで気にしなくていいはずなのに、ホームで乗り降りする時と同じ緊張感のまま電車で過ごしていることが多い。これは①の「迷惑かけない」プレッシャーのなせる技なのか。

少なくとも、同じ緊張感である必要はないのに・・・・爆弾や事故がない限り、この日本という国の電車内とはとても安全なものだ。

 

海外生活が長かったことも、必要以上に気を張る要因になっているかもしれない。電車、エレベーター、エスカレーター、自動ドア、この国のあらゆるものはとても安全に設計されている。それに、紛失物や迷子発見率はとても高いし、信号無視する人も比較的少ない。私は 6 年間のイギリス生活の中で、日本の安全性に気づいた。めったな事では、日本のエレベーターに閉じ込められないし、自動ドアにぶつからないし、自動車のエンジンも壊れない。

 

エスカレーターのスピード、エレベーターのドアの開閉の速さ、紛失物は帰ってこない、電車やバスは時間通り来ない、10 歳以下の子どもは一人では歩けない(小学校の登下校も親の送迎付き)、バスの行き先が勝手に変更されていることがある、スリに合う・・・・等々、海外では不測の事態だらけだ。というか、そういうもの、と思って対応する。

 

日本のエレベーターや電車は本当によくできています。人間がぼーっとしていても、できる限り事故にならないように設計されている。イギリスをはじめとするヨーロッパの国、アメリカ、香港、私はいくつかの土地を訪ねたことがあるが、日本の安全性は随一。設計する上での哲学が違う。私が住んだ日英比較は

 

  • 日本:できるだけ機械が、社会の仕組みが、みんなの安全を守る
  • イギリス:機械や施設は最低限の機能を果たせれば良い。電車やエレベーターなら人を運べれば良い。最終的な身の安全は、各個人が守るもの。

 

手やカバンが電車ドアに挟まれたまま発車してしまった・・・という話を聞いたことがあるでしょうか?とあるイギリス人の友人は、髪の毛がドアに挟まれたまま数駅分を過ごしたそうな。そのドアと反対側の駅しかしばらく停車しなかったという不幸もあって。日本では聞いたことない。

 

電車やバスの行き先が、当初とは異なるって場面。イタリアに旅行している間に数回見舞われました。「ここどこですか」って所で降りる羽目なったり、南仏のとある街でバスのストライキのために毎日 30 分以上歩いたり、まあ、日本ではなかなか遭遇できない出来事が多々ありました。

 

その経験のおかげ(?)か、「身の回りの安全は自分が守るもの」と、私は認識しています。子どもと車道を歩く時は、必ず手をつなぐようにしているし、それをいやがるならベビーカーか抱っこするかどちらかに。多分、私は神経質になってる。

手をつなぐのを嫌がる、足が早くて捕まえれないから、もう手をつなぐのは諦めている。そういう親御さんも居ます。そのくらいのリラックス感って、ちょっと羨ましい。私はそこを割り切れず、なんだか神経質だ。

 

もともと神経質だった人が、海外生活をしてみて、神経質になる部分が増えたってところでしょうか。

 

うーーーん・・・・そりゃ、いつも緊張感 MAX で子どもと過ごしてたら楽しめないよな・・・。海外に住んだことある云々は、所詮言い訳なのかもしれない。どうやったらもっとリラックスしつつ子どもと接せられるのか。考えたい。あ、考えすぎも良くないのかな?

 

 

9割の時間を楽しめていないとは、1割は楽しめているということ。その1割のために、親を続けられている気がする。笑顔や感動の詰まったその1割。記憶を少し改ざんして、その時間が少しでも長かったかのように、脳に記憶したい。