「やりたいことが見つからない」と、悩んだことはありませんか?
過去に「やりたい!」と言ったことを、すっかり忘れてどこかに置き去りにしたことはありませんか?
健康になろう!と、ヨガレッスンの回数券を買ったけど、足が遠のき有効期限が切れてしまったり。
私はボランティアで時折、大学生と話す機会があります。主に就職や留学についての相談を受けています。
「やりたいことがわからなくて…」
大学生とキャリアについて話すと、この言葉を聞きます。その度に、大人は罪深いと感じます。
周りの大人やメディアは罪深い。「好きを仕事に!」とか、簡単に言うものじゃない。
「やりたいことを探さなきゃ」「好きなことを仕事にしなきゃ」という強迫観念。私はこれらを【やりたいことお化け】と呼びます。
学生でも社会人でも、「やりたいことお化け」に取り憑かれている人は、やりたいことすら見つかれば救われると思ってる。やりたいことを見つけるのは、スタートでしかない。
結婚もゴールじゃないし、出産もゴールでもない。
やりたいことってのは、後からわかるものなのでは?と、ふと私は感じています。
- お金がない
- 時間がない
- 体力がない
- 場所がない
あらゆる制限があったとしても、絶対に辞めなかったこと。やりたいことを実行するために、制限を取り除こうと本気で向き合ったこと。
それが自分が「やりたかったこと」だ、と、後になって初めてわかる物ではないでしょうか。
私の留学もそうでした。
- ホームステイでの居候生活は、白髪が増える程、神経がすり減る
- 英語が理解できず、宿題で0点もらって悔しい
- ホームシック(当時はLINEはおろか、スカイプもスマホもないので、なかなか親と連絡取れない)
- 言語の壁
- 文化の壁
色んな制限があっても、「絶対に留学を中断しない!一年生き延びてみせる。」と言う気概を持って、私は留学初年度を過ごしました。要するに、覚悟を決めていたのです。
「やりたいこと」を実行するには、覚悟が必要です。大人たちは「やりたいことを見つけろ」とだけ言って、覚悟が必要であることを若者に伝えているのでしょうか?
もう一度言います。
周りの大人やメディアは罪深い。「好きを仕事に!」とか、簡単に言えることなのか?を自問する必要があると思う。
この世の仕事は地道な大事な作業が沢山あります。この世のほとんどは「感動されない空気みたいな仕事」でできている。
「やりたいことがわからない」と悩む学生には、「見つからない事をそんなに問題視しなくていいんだよ」と伝えています。
私が、個人的に、勝手に、学生におすすめしているのが消去法。「やりたくないこと」をリストアップする。
やりたい事がわからなくても、多くの人々は「自分がやりたくない事」は知っている。それを書き連ねて行くと、自分がやりたい事が見えてくるかもしれない。
「やりたくない事」を書き出すのには、これといった覚悟は要らないので、ハードルは低く、今すぐにでも出来る。
娘たちにも、「やりたいこと見つけなさい」って無責任には言えない。そりゃあ早くそれを見つけてくれたら親としては嬉しい。
それを見つけたとしても、縛られて欲しくない、とも思う。
5歳のときにやりたかったこと、10歳のときにやりたかったこと、20歳の時にやりたかったこと。年を追うごとにそれが変わることもあります。
私自身がそうでした。なんなら 25 歳の時にやりたかったことと、27 歳の時やりたかったこと、今やりたい事はすべて違います。
やりたいことが変化する自分を「ブレブレだー」と、責めた時期もありました。実はその必要もなかった。
生きていれば人間は変化します。やりたいことが変わることもあります。
たとえ、やりたいことが見つからなくても、それがブレブレに思えても、それを恥ず事はない。
その時々で良い。自分の心の声に真直ぐに向き合えて、心の声を聞いて生きていれば、それで良いのではないでしょうか?
懸命に生きる。心の声を聞く。
「やりたいこと」を見つけるには、結局それしかない。
そんな事を思う、満月の夜。