私、打たれ弱いママの徒然日記を書いています。かれこれ 2 年ほど。
見たくもないような、自分と向き合わないといけない。育児ではそんな場面が沢山ある。
イライラしたり、心の葛藤があったり、結構醜くなったり、次の瞬間には笑ってたりも。
色々考えて思った。「幸せは、いつも自分の心が決める」と言った、相田みつをの言葉は真実だったと。
以前も書いたとおり、私は敢えて、この醜い部分も書いています。生活や心の内の全てを書いてるわけではない。
発言や、自分が見聞きしたものの一部だけを切り取って、「こんなヒステリーママで子供が可哀そう」みたいなことを言われことが、たまーーーにある。
そりゃあ、私自身も、時々思う。「私がお母さんだなんて、れーちゃんもワカメちゃんも大変なこともあるだろうな」って。
だけどね、自分の子が「可哀そう」だなんて思わないし、そんな風に接してはいない。
「幸せそう」も「可哀そう」も他人が決めることじゃない。
どんな親の元に生まれたって、何かしら大変なことはある。誰だって「可哀そう」だし、誰だって「幸せ」だ。
精神的・物理的に何不自由無く育つ事が、必ずしも良いこととは限らない。不自由さとどう過ごすか、が兄弟の絆を強くすることもあるし、逆境を乗り越える力を呼び覚ますかもしれない。
「完璧な親」の元で育ったとしても、それにもデメリットはある。「私はお母さんみたいにはできない」「僕はお父さんみたいにはなれない」と悩むこともある。自分ではない誰かになろうとすることは、とても苦しい。
子供にも個性があるように、親にも個性があって、得手不得手がある。
その家庭に生まれて、楽勝なこともあれば、大変なこともある。
同じ環境にて、幸せを感じる人と、不満を持つ人がいる。
幸せってなんだろう?
幸せそう、とか、可哀そう、って他人が決めるものじゃない。
自分の心が決めること。
親の努力で、子供の人生から哀しみを完全に取り除くことはできない。
笑顔も涙も怒りも哀しみも、全てある。それが幸せということ。
そんな、いつか、本で見た言葉をふと思い出した。
泣く、怒る。どっちもネガティブに取りがち。「これを感じれるって、私は幸せなんだな」って思う…ように努力してみようと思った。
できる範囲で。
ま、怒り心頭の真っ最中はちょっと難しいかも(笑)
できる範囲で、できる範囲で。
それをやり続けたら、幸せが増えそうな気がする。