私は歴史物を読むのが好きです。特に塩野七生さんの本が。
様々な国、時代の宗教観について考えていたら、気がついた。
西洋はキリスト教、東洋はそれ以外。ざっくりこう考えていたが、キリスト教か否か、以外のもっと原始的な違いが、西洋と東洋の宗教観の違いを生み出している、と気がついた。
現代から過去に遡る形、私がこの気づきを得るのに経た順に説明します。
先日、塩野七生さんの「十字軍物語」を読んだ。中世のヨーロッパとは、兎にも角にも教会が偉くて恐怖政治が横行する世界であり、私はそこに生まれなくて良かった、が、私の感想だった。
今ではヨーロッパ内では圧倒的多数派のキリスト教信者だが、彼らが少数派だった時代もある。※信仰の深さは人それぞれだが、彼らにしてみれば第一の宗教はキリスト教である
紀元前ヨーロッパ、たとえば古代ギリシや古代ローマ帝国は多神教が多数派だった。軍神も居れば、愛の女神もいる、幾人もの神が同時に存在していた。唯一神なんて居ないので、「どっちの神が偉い」を争う宗教戦争は少なかった。あったとしても、メジャーではない。
とは言え、日本人と古代ローマ人の宗教観は同じではない、アジアとヨーロッパでは何か違う。
一体何が違うのか。
その決定的な違いは、神の姿形にある、と私は思った。
ローマ神話、ギリシャ神話に出てくる神様は、人間の形相をしている。メデューサの髪の毛は蛇だが、あくまで人間の形をしたものの上に付いてる。
東洋の神様は、人間の形とは限らない。稲荷神は狐だし、蛇や蛾、鹿が神の化身だったり。エジプトなどオリエントの宗教には、鶏や犬、猫を神様としたものもある。
西洋、オチデンドにあった宗教って、神様はやはり人間の形相なのでは?、と、私の薄い知識から感じる。
優位性で、人間 > 動物と考えるか、動物 ∋ 人間(人間は動物の一種)として考えるか、ってことなのかなぁ。
「〇〇神話ではヨーロッパにも動物の神様がいるよ!!」というのがあれば、ぜひ教えていただきたい。
神の形相については、私の知識が足りない部分もある可能性が高いです。が、神と人間との距離感は、東洋と西洋では違う、と肌で感じている。東洋のが、神様との距離が近い。
たとえばお神輿。
キリスト教文化がベースにあるヨーロッパ人に、お神輿の話をすると、けっこう「?」という顔をされる。
神輿、英語では portable shrine、持ち運び可能神社。 西洋人にとって、神とは「自らが神殿や教会に出向き、お会いできる存在」であり、神を担いで回るなんてことはしない。それは一神教のキリスト教が台頭する前から変わらない。
次に「?」顔をされるのは、お地蔵さま。
お地蔵さまって素手で撫でることができる。教会内でイエス・キリストや聖母マリアの像を撫でるなんて聞いたことがない。ここにも、神様と人間との距離感の違いがある。
神様とは、自らが出向いてやっと祈り捧げることができる存在。
神様とは、いつ何時でも、必要なときに目の前に降りてきてくれる存在。
どっちの神様も居て良いと思う。
6 年もイギリスに住んでたし、古代ローマの話も大好きで、かなりヨーロッパかぶれな私だが、宗教観ならば東洋的なものが好き。ここは寺の娘らしいのか。
八百万の神、神の形は人間とも限らない様々な姿、他者の信仰を否定しない。そんな多様性がある。
日本での宗教観って、こんなに非排他的で、寛容で、多様性に富んでる。
こんな宗教観とは対照的に、日本にいる人間に対しては多様性が乏しい、周りに思想を監視される国家だと思う。
そう感じるのは、私が変わってるからなのか、なんなのか。寛容性を、宗教観に対してで使い果たしてしまってるのか。文化に優劣はないのに…なんで少数派だと生きにくいのか。
神の形相について考えていたのに、ここまで話が飛ぶとは思わなかった。書くとは、脳内の旅行だなーと。
宗教観や歴史について、誰かとディスカッションしてみたいなぁー。