風邪なのか、エアコンに当たり過ぎなのか、声が出なくなりました(T_T)
どうやら、一年弱前にも同じような現象があったらしい。
日常的に使う声が、使えなくなることで、の気づきがある。
去年の教訓は「口は災いの元」。
今年の教訓は「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」。
「こだまでしょうか」という結論に至った経緯を綴ります。
毎日毎日、かわいい子供たちが帰ってくると、それはそれは我が家は騒がしくなる。ときには5秒に1回姉妹喧嘩が発生するし、ワカメちゃんの2歳児らしいイヤイヤもある。
子供たちはかわいい。かわいいんですよ。
でも時々思うのです。
うるさーーーい!!
と。
仕事で、お客様を前に、喋らない訳には行かないので、仕事のために喉はできるだけ温存するため、家では極力喋らないことに。
主人やれーちゃん(4歳)には筆談が通じるが、ワカメちゃんには無理。とにかくジェスチャーで頑張った。
極力しゃべらない、ヒソヒソ声で話す。
子供たちが何かやらかしても、それを注意するよりも、自分の喉の温存を優先した。(ベトベトのたらこスパでおにぎりを作ろうとしたれーちゃんには「やめて!」と注意しました^^;)
極力しゃべらない、ヒソヒソ声で話す。
そしたら、あら不思議。いつもほど「うるさーーいい!!」と感じなかった。
- 理由1:実際にれーちゃんやワカメちゃんの口数が減った
- 理由2:私自身がいつもほど気にせずに済んだ
理由1:実際にれーちゃんやワカメちゃんの口数が減った
実際に聞こえてる音量のデシベル数や、声を聞いている秒数が減ってた。
れーちゃんも、ママの真似をして、ヒソヒソ声で話したり、良い意味で口数が減ったり。
自分の喉はかれてないのに、れーちゃんは共感力が高い子なんだなー、なんて思ったり。
いつもペーラペラペーラペラと息継ぎの間も無く喋り続けるワカメちゃんも、今日は息継ぎをしていたように見えた。
理由2:私自身がいつもほど気にせずに済んだ
私の優先順位は、昨日今日はとにかく「私の喉の温存」。姉妹喧嘩の仲裁は二の次。
それが案外良かったらしい。
いつも、「早く喧嘩を止めなきゃ!(泣いてるし、うるさいし)」って焦ってたんです。だから、イライラしてた。よほどの事でなければ、姉妹喧嘩は様子を見る方が良い。
「仲良くしなさい」なんて通じないって、自分で言ってたのになぁ…、自分事となると達観も客観視も難しくなる。
兄弟喧嘩ってのは、結構どうしようもなく些細なことから始まり、喧嘩のきっかけも忘れて揉める。そして喧嘩していたことなんて忘れて、二分後には仲良く一緒にイタズラしてたり。
(今日は、お名前スタンプをおでこに押したらしく、油性インクでれーちゃんのお名前がくっきり書いてあった💦)
とにかく「喉☆命!」だった私は、喧嘩の仲裁よりも静かに見守っていた。意外にも喧嘩している時間は短く感じた。
正直、喧嘩していることよりも、自分の喉が気がかりだった。
献身的で自己犠牲。それが母親の理想像的に思えてしまうことがある。が、「自分の喉の温存」を優先した私は、よほど落ち着いた母親だったと感じる。
お出かけ先と同様に、自分の体や気持ちを優先した方が、結局子供たちにとっても良いのかな、と思った。
これは、自分の気持ちを圧し殺したり、身体的に無理したりしなくて良いって意味。
子供の授業料払わずにパチンコ行ったりするような、自分の「優先」はイカンと思う。子供に実害があるし、それは「優先」ではなく「ないがしろ」。
「喉が痛いから極力喋らない」
「疲れたから、今日の夕飯はお弁当を買おう」
なんて、子供に大きな実害のない様なことは、親自身を優先しても良いんじゃないか。
声が枯れることも、極力喋らないことも、想定外で不便。が、結果として、ママの怒り声を聞く時間も減り、子供たちにも良かったんじゃないか。
いっっつも余計な事ばっかり喋ってる。
もっと口数が少なくても、なんとか通じる。
毎日こんなに喉を使ってる。
喋れるってありがたい。
声を失くして、こういう事に気づく。こんな当たり前の事を思い出すために、喉の痛みを通して体が教えてくれたのかな。
今日の夜を迎えて、ホッとしている。絶対的に喋らないといけない仕事は週明け以降。その間に、回復したい。
温度変化が激しい季節です。皆様もお体ご自愛ください。
一週間、お疲れ様でした。