いつもは耐えれること、平気なことが、「今日はダメ」って日、ありませんか?
たとえ子供がその時は嫌がったとしても、親としてした方が良いこと。
たとえば、毎日の歯磨き、風邪っぽいときの鼻水吸引。
いくら「必要なことだ」と信じてやっても、泣いて嫌がれることがある。
いつもなら、気丈で居られたのに、今日は私も泣いてしまった。
先日の「自己犠牲の家事をやめよう」の続きです。
私自身、子供を泣かせたくて、歯磨きや鼻水吸引をしているわけではない。でも、義務感や使命感もあって、これらをやるわけです。
「今日は鼻詰まりしてるし、咳き込んでる。子供にとって、鼻水吸引した方が寝苦しくないし、良いことだ」
そう信じるから、子供が嫌がる事を覚悟して、こういった事をやる。
泣いてる姿は、もちろんできるだけ見たくない。
だけど、「これは子供のためだ」と、信じてるからこそ、たとえ子供が泣いてしまっても、気丈でいられる。
いつもなら気丈で居られるのに、なんだか今日はダメで。
鼻詰まりのれーちゃんの吸引をしたら、ある意味いつもどおり、予想どおり泣かれました。
れーちゃんの反応は予想どおりだったのに、私の心の反応は予想外に、ナイーブだった。
鼻詰まりがあると、寝苦しそうに咳込むことがあるれーちゃん。そのれーちゃんが、少しでも快眠できるように、と私なりに頑張ってやったこと。
決してれーちゃんをいじめてる訳ではない。けど、れーちゃんの泣いてる姿を見たら、まるで私が責められているかのように感じてしまい、その場で私も泣いてしまった。
れーちゃんは不快で泣いてるだけで、決してママを責めてるわけではない。
つまり、私が勝手に私自身を責めていたから、こんな罪悪感を持ったのだ。自分の信念みたいなものが、無力に感じて。
4 歳になった今でこそ、医療用鼻水吸引機(我が家にあるのは商品名「スマイルキュート」という全く実情と名前が一致しない商品)を使うことはかなり減ったが、0 歳の頃は頻繁に使っていた。
あの時も、れーちゃんは毎回大泣きしてて、あの時も、私はきっと私を責めていたのかな。
たとえ子供に嫌われたとしても、子供が知るべきこと、子供にとって必要なことをする。
これが、私の考える「親の使命」「親の仕事」。物凄い意志力が必要です。
意志力とは、自分の感情をコントロールする力。充電や急速充電がなければ、体力や電池と同じく消耗する。
意志力が充分にあった場合、ない場合、途中で切れる場合を、今回のケースに当てはめると↓
①意志力が残ってる場合:泣かれるけど、絶対に必要だから、鼻水吸引をする→泣かれても自分の感情を揺らがせずに居れる。
②意志力が全くない場合:泣かれるから、本当は必要でも鼻水吸引をやらない
③意志力が途中で切れる場合:必要だから、鼻水吸引をする→れーちゃんに泣かれたことで精神の結界崩壊
今日の私は、③だった。途中で意志力が切れて、感情コントロールができなくなってしまった。
なんで意志力が切れたのかなー、と自己分析すると、「通常よりも、こなしてる家事・子どものお世話量が多かったから」です。
急に寒くなったためか、れーちゃんもワカメちゃんも鼻水を出しており、主人も体調不良に。
体調不良の人ができることは限られるので、いつもは夫婦で分担していることが、分担できなくなる。
主人の分もフォローせねば!と私は頑張っていたわけです。そしたら意志力使い果たしちゃんでしょうね。片付けが一段落した後に、れーちゃんの鼻水吸引したら、その時の意志力は残ゼロ。それで、一人さめざめと泣いてしまうという結果に。
夫婦は助け合って生きている。片方が体調不良ならば、もう片方がフォローしたりサポートしたりする。自然にそうしたいと思う。そんな時こそ頑張り時。
たとえ、こんなシチュエーションであったとしても、自己犠牲はしてはならないのだと、はっきりわかりました。
結局、誰も幸せにならない。泣いてるママを見て、れーちゃんびっくりして、余計な心配をかけちゃったよ。
自分の意志力はどのくらい残ってるのか。いつ充電すべきなのか。
こういったことを把握して、逆算しないと、夕方の子守オペレーションは乗り切れないかも。
頑張らなきゃ行けない時こそ、自分を充電することが大事なんだなー。
結論:
誰かの体調不良をカバーする必要がある場合でも、自己犠牲はしないようにしよう。
はて、上手に自分を充電する方法ってなんだろう。
とりあえず、今日は熱めのお風呂にでも入ろう。