長期海外生活をしている人たちの話、第三弾。(第一段はこちら、第二弾はこちら)
長期に渡る海外生活を経験する日本人は、増えてきたとは言え、少数派。これだけ治安が良くて、ご飯が美味しくて、電車が時間通りに来る国から、本気の脱出を試みる人間は多数派にはならないだろう。
海外生活が長いからって、必ずしもアメリカナイズ、イギリスナイズ、(英語ではangliciseと言う)、感化される訳ではない。
17 歳で単身渡英した私は、「ここに骨を埋めても良い」と思えるほどイギリスを愛し、自らイギリスナイズされて行った。
私は、日本人の感覚から離れて行く(そもそも渡英前も、大して日本人的感覚は持ち合わせおらず、子供時代はいじめらやすかったのだが。)
方や、海外生活の最中、日本人以上に、極度に日本人化する人達も居る。個人的所感では、この展開になるのは、駐在員やその家族が多い。特に駐在妻。
今回、私はとてつもなくイギリスナイズされた単身留学生という第三者的立場から、極度に日本人化する在外邦人について考察します。
まず、なぜ私は「日本人化する在外邦人」から見ると第三者的立場になるのか、解説したい。
なぜ、海外に住んでいるにも関わらず、日本人化するか、というと、居住先の国での「日本人村」にどっぷり浸かって生活するからだ。
スマトラ島などの余程の僻地以外、妻や家族を伴う駐在は許可されることが多い。
日本の会社員や外交官が駐在する地域では、「ここに住んでる日本人は私たち家族だけ」ということは稀で、複数の日本人世帯が同じ都市内に居る。そこに「日本人村」はある。
いくら親や夫の仕事のため、とは言え異国に暮らすのだ。言葉もわからない、土地勘もない、色々とさっぱり分からない地域に暮らすには、現地に住む日本人同士で肩を寄せ合い生きていく必要も、少なからずある。見知らぬ土地で夫を支え、子供を育て、そうするには、駐在妻同士の助け合いは必須なのであろう。
留学当時の私は駐在妻ではなく、支えるべき夫も、守るべき家族もいなかった。ひたすら、自分の勉学と生活について考えれば良かったのだ。
今思うと、なんと恵まれていたことか。右手に仕事、左手に娘たち、右足に家事、みたいな現状に比べれば、自由であり、「自分勝手」で居ることが許されていた。
留学先でも日本人とはほとんどつるまなかった。私のホームステイ先は、かなり田舎で不便であったことと、妙なことから仲間割れした事から、同じ都市内に留学している日本人とは親しくならなかった。留学一年目は、携帯も持って居なかったし、私に連絡は取りづらかったらしい。
イギリスナイズされ過ぎたせいなのか、生来の性格なのか、馬が合わなかった。そのおかげか、現地人と仲良くなり、英語力は向上したので、思えばあの仲間割れも私にとっては幸いだった。
単身留学していた私には、このような一匹狼的な「勝手な」振る舞いをしても、実害はなかった。むしろ、自分の勉学の邪魔にならず、英語力が伸びるメリットの方が大きかった。
駐在妻となると、そうも行かない。支えるべき夫、守るべき子供、外交官ならば守るべき国益がある。
最初こそ、「日本人が私達だけじゃなくて、助け合える人達が居て良かった」と感じる。語学が堪能ではない人達は特に、だ。
ところが、駐妻会の助けがなくても生きていけるサバイバル能力がある・身に付いた人達には、日本人村のしきたりやルールが窮屈に感じるようになる。
スクールカーストやママカーストならぬ、駐在妻カーストの存在は存在する。そして、それがバカらしくなってしまうらしい。
※何度も言いますが、私は駐妻経験はない。ここからの話は、複数の駐妻経験者の話。
駐妻の序列は、大使の妻が頂点であり、次に外交官妻、あとは夫の会社での地位に付随するらしい。自分の地位でも力でもなく、夫の職位や子供の学歴で序列をつけたがる人種は日本にもいる。
それが駐在先の国で再現される。気持ち悪いほど正確な再現。
家族の肩書や学歴で自分の立ち位置を変えるとか、虚勢を張るという発想は、私にはナンセンスで理解不能。私の理解を越えようと越えまいと、この世界は存在する。
年の差婚で、部長が23歳のピチピチお姉さんと結婚したりすると、23 歳の部長妻が、カースト上部に躍り出て、下級カーストの人は部長妻の運転手やら通訳やらを担当しなければならなくなる。
半沢直樹のドラマの、社宅での奥様会のシーンを思い出した。夫の地位=奥様会での地位。上辺だけな会話を繰り返すゾッとするシーンだった。
これとそっくりなシーンに、イギリスにて遭遇したことがある。ロンドンのチャイナタウンにて。
アジア系の貧乏学生であった私は、ごくたまにチャイナタウンでの外食が楽しみだった。
友人と仲良く飲茶を食べていたら、隣席から日本語が聞こえてきた。10人ほどの日本人奥様会が開催されていた。
ボス猿が居て、そのボス猿がメニュー注文の決定権があるらしく、他の奥様達はそれに付き従わざるを得ないという構図。
私はあの円卓の中に入っていなくて、良かった、と、大学生の私は思っていた。お金を払ってまで、店に来て、自分の食べたいものを注文できないなんて、まっぴらごめんだ。
とある私の元駐妻の友人は、ものすごく語学が堪能で、駐在妻だけでは収まらず、現地の大学院で博士課程に進んでいた。が、自分の語学力は、駐妻会ではひた隠しにしていたらしい。さもなくば、上部の駐妻カーストの運転手や通訳に駆り出されてしまうからだとか。能ある鷹は爪を隠すには、それなりの理由があるようだ。
インターネットが発展した今、駐在妻同士の日本人村以外でも、人との関わりを持つことができる。遠く離れた相手とも気軽に、話したり、繋がりを持つことができる。
よって、駐在家族達も、前インターネット時代よりは「日本人村」という閉塞社会に閉じ込められていないかもしれない。
されど、インターネットという道具がなかった時代、閉塞社会で諸々を我慢してきた彼女たちが、私には不憫でならない。
私がここで話しているのは、前時代的な話であり、一部の人の話。そのため、駐在家族が皆こうだ!と、思わないでください。こういう人が一定数は存在する、という話です。
ちょっと前までの私は、この一定数存在する人たちをバカにしていました。
「海外に行ってまで、そんな閉塞社会の中で生きるなんて窮屈!カワイソ」
「自分そのものではなく、夫の地位や子供の学歴で、自分の立ち位置が変わって、それを使って威張るなんて…!」
「自分の人生生きていないから、夫や子供の肩書と威を借りるんだ」
とか。私ってば結構ひどい(´・ω・`)ショボーン
ところがね、
最近は、「彼らも好き好んでこうなったわけではない部分も多いのかも」と思う様になった。
家族ビザで海外に渡ると、労働許可が降りない場合もしばしば。「自分らしい活動」そのものが、制限されてしまうことも多くて、つい諦めてしまうのかもしれない。
渡航先で外交官の妻が「自分らしい」活動をし続けた結果、悲劇が起きた、みたいなノンフィクションに近い映画があるのです。
その悲劇を避けるためには、「自分らしく」なんておおっぴらに活動せずに、自分を押し殺す必要が、あるのかもしれない。社益のため、国益のために。
10年以上昔に、初めてその映画を見た時と、今では全く違う感想が出てくる。
じゃあそのノンフィクション悲劇はどんな悲劇だったのか。
その映画ってなんなのか。
は、こちらにて。