打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

新「挨拶しない人」の捉え方

風邪を引いて喉が枯れてしまう。

再びやってしまいました。

 

いつもかなりおしゃべりな私には、声を失うとなんらかの学びがある。例えば、「私っていつも余計な事を喋りすぎてる」とか。

 

今回学んだことは、「挨拶しない人」に対する新しい解釈の仕方。

 

先日、同期会にて、入社したての頃の話になって。私の「おはようございまーす」の声が大きかった話になって。

 

私は、すれ違う同僚が顔見知りでなくても、「お疲れ様です」と挨拶してました。無視されてもめげずに「おはようございます」「お疲れ様です」と言い続けてた。会社が小規模な間は、無視される率も低かったし。

 

されど、会社の規模が大きくなるに連れ、顔見知り率が下がり、無視される率が上回り、負けじと挨拶するのがバカらしくなってしまい辞めてしまった事があります。負けじと続ければ良かった!!

 

年寄りくさいことは言いたくないですが、「挨拶のできない人ってちょっと…」って思ってたわけです。(※これを思ってたのは20代中盤)

 

が、先日声が出せなくなって気づいた。

 

挨拶しようにも、できない状態の人っているんじゃないか?って。

 

マンションのエレベーターで、どなたかとお会いしたら、私はいつも挨拶するようにしています。が、喉が痛くて先日は会釈しかできなかった。

 

これからも、私が挨拶しようとも無視される場面には幾度なく遭遇するでしょう。

 

私は決めた。

 

その時、毎度毎度イライラするでも落胆するでもなく、「あの人は声が枯れてしまっているのかもしれない」と思うことに。

 

無視してくる人の全員が、声が枯れてる確率は限りなく0に近い。が、私がこう捉えることで、私の不快指数が下がることはほぼ100%だ。

 

挨拶したくても、声を出すに出せない状況にいるのかもしれない。そう思うと、「あの人も大変なんだな」と想いを巡らせ、苛立たずに済むかなって。

 

挨拶を無視する人間が、全員そうではない。けど、本当に自分が大事にしたい人が、もし、それに当てはまっていたら?声が枯れて不便な想いをしている相手を、そんなふうに上からジャッジしてしまったら?

 

そりゃまずい。

 

いつどこに、自分の大切になるかもしれない人が現れるかわからない。

 

だから、挨拶を無視されても、いちいち人を判断しないようにしよう…。

 

う〜ん…できるかな。なんか難しそう…

 

いや、挨拶しない人たちを云々じゃなくて、気持ちよく挨拶してくださる方々を大事にしよう。

 

そっちだ!

 

ここまで書いてみて、こんな結論にたどり着いた。書くことはセラピーにもなる、って本当だなぁ。

 

 

自問自答しながら書く。自分が知らない自分が、不思議な答えを返してくる。

 

人間って面白い。

 

いろんな人の脳内も覗いてみたい。

 

 

 

しかし、私ってば年に1-2回、声がでなくなる風邪になる。頻繁すぎやしないか。何か対策法とか、おすすめのセラピーとかあれば教えてください。