コロナ自粛中に流行ってるもの。されど、私が見ても嬉しくない投稿③です。
- オンライン飲み会(お茶会)
- 「美味しいごはん作った♥」写真
- ブックカバーチャレンジ(今日はコレ)
これが、外出自粛中の今の私の心が浮かない三大SNS投稿たち。
その理由について自己考察中。
今日は③ブックカバーチャレンジについて。
オススメの本の表紙で、「ドヤっ!」と投稿されているのに、私は気圧されている。
よっぽとの美形でないかぎり、顔だけでは興味を持たない。本の表紙だって同じではないのか。
※ブックカバーチャレンジとは※
自分のお気に入りの本の表紙の写真を、7日間投稿し続けるバトン。次の人を指名して終わるチャレンジ。投稿には説明文を含めず、表紙のみを飾る。
こんな代物が、SNSを賑わせていた(いる)。
最初は、何とも思っていなかったのに、段々と私の感想は変わった。
初期:へー、こんな本があるのか。古い本を大事にしてる人もいるんだな。
中期:読書好きだと思っていた自分の無駄、かつ空虚なプライドが崩壊し始める。
終盤期:繁殖し過ぎたバイキンを見ているようで、スルーし始める。(が、完全にはスルーできていない←今ココ)
ブックカバーチャレンジを見て、面白くない理由はいくつかある。
理由その一:「意識高い系」の本にげんなり
ビジネス書、自己啓発書、○○仕事術、経済学。
私が苦手な本たち。
私は大して好きでもないくせに、「こういう本を、私も読むべきなんだろうか…」という強迫観念を抱きがち。
女子力と同じ。「意識高い系」の人の苦手な所は、「俺たち、凄い自分磨きしてる。やってない奴はカス」みたいに見下してる(と、私には見える)。はい、ここも被害妄想発動!
たとえ自粛中だろうと、この見下し感を出せるのはある意味感服する。
ブックカバーチャレンジを見始めた初期の頃、「この本は素敵だな」と思った本は、「星の王子さま」、「砂糖の世界史」、服飾デザインの歴史などなど極わずか。いずれもビジネスや仕事に全く関係ない本。
それだけ目にしてれば特に問題なかったのに、「あれ、私こんな本読んだことない…果たしてこれでいいのか」と焦りが出てきた。
いくら焦っても、読むつもりのない本に対して罪悪感や焦りを感じるなんてバカらしい。けど、感じてしまう。
ああ…これもまた、私のコンプレックスを刺激する投稿なのか。
理由その2:説明文がなく、表紙だけが投稿されてる
このブックカバーチャレンジのルールは、「私がこの本を好きな31の理由」はない。ひたすら表紙だけが投稿される。
ルールを自分流にアレンジして、説明文を加筆してる人もいる(こっちのが、見てて辛くはない)。
私なら、私の大好きなものを紹介するのに理由を言わずにはいられない。如何にそれが素晴らしくて、どう私を惹き付けるのかを語りたい。
たとえ、誰も耳を貸さずとも、一人よがりだろうと、大好きなものであればいくらでも語ってしまう。
素敵な顔面だけ見せられても、その人に惚れない。よほどストライクゾーンの顔面ではあれば、中身を知らずとも、「その人を知りたい」と思うかもしれない。
本だって同じじゃないか。
その人を知って、素敵だと思うから、人に紹介したくなる。
何か、特別なストーリーがあって、ただの本が、お気に入りの本になる。
たとえば、「砂糖の世界史」について言及したい。
「砂糖の世界史」という本が私の目をひいたのは、主人の愛読書(「緑の世界史」)に似ているからだ。「緑の世界史」は、二酸化炭素の歴史に焦点を置いた本。その作者に縁のある大学で勉強したい、とイギリスの大学院(University College London)に進学した。(これが偶然、私の母校でもある)
空気の歴史は、私も興味がある。なんせ、私は研究室時代、オゾン破壊の化学反応について研究していた ※。主人は社会的に、私は科学的に大気を見ていたのだ。(空気の研究をしていたとはいえ、私は空気読めないキャラ。)
※私が書いた論文が、化学ジャーナルにもある。研究から遠のいた今、自分が書いた内容がさっぱりわからなくなってる。
特定の物質において歴史を追うことは、面白いし、私にとって物凄く縁のある話。
本の表紙だけで「読みたい!」と思わせる魅力的な本は滅多にない。顔だけで結婚したいと思わせる人も滅多にいない様に。
友達全員の本棚には興味がない。その人が何を想うのか、に私は興味を馳せる。
理由その3:「ブックカバーチャレンジ」じゃないと、本を紹介しないのか
前述のとおり、大好きな本には思い入れがあるばす。オンライン・オフラインに関わらず、大好きな本であれば、特にきっかけがなくても紹介したくなるんじゃないか。(現に、私は時々読書感想文を公開している。下らない感想も含む。)
チャレンジなんてなくても、思わず紹介せずにはいられない!位の熱量を持った、本ならぜひ読みたい。
(SNSでも、不思議とそういう熱量は伝わる。)
理由その4:読書できる時間も機会もあるのに、携帯ゲームをしている自分を見たくない
子どもと24時間生活。子どもが寝た後、大人しくテレビでも見てくれてる間。読書のチャンスはあるのに、私はそれを最大活用していない。
英語のクロスワードパズルにハマり、ゲーム時間 > 読書時間な私がいる。
はっきり言ってめちゃ意識低い。
読書って大好きだけど、没入するまでに時間がかかるし、忍耐力も必要とする。瞬時に快楽を味わえるゲームに、ついつい、子どもよりもスマホに手が伸びる。
中断されても比較的イライラしないのがゲーム。本が破かれたら泣くし。
まとめ
ビジネス書が苦手だけど、嫌いでいてはいけないのではないか、と焦る私。
意識高い系を意識せずにはいられない、この意識低い私。
読書よりもゲームに時間を割いてる私。
こんな自分を直視したくない。ブックカバーチャレンジはそこを突いてくる。
もう、考え過ぎ。被害妄想過ぎ。コンプレックス過ぎ。
料理投稿に対して、「過ぎたるは及ばざるが如し」なんて言ったが、ブックカバーよりも、料理写真よりも、何よりも、私の脳内にこそ相応しい言葉かもしれない。
断食中で、脳みそおかしくなってきたのか。それともこっちが本性か。
ここまで思うのなら、SNS辞めればいいのにって?
いいえ。やめません。素敵な人々とも繋がっているから。
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