子供を喜ばせるためにしたはずのことが、なんでこんな事になっちゃったんだろう?
そんな経験はありませんか?
自分ではない誰かの笑顔見たさに、頑張ったら、予想外の展開に落ち込む。先日の私に起きた、そんな事件について書きます。
名付けて、「ピンクの壁紙事件」。(ゴロが「生麦事件」に似てるなぁ。中身は全然違うけど。)
れーちゃんが喜ぶかな♪と、思って、先月、こんな壁紙を買った↓
子供部屋を可愛くしよう!
海外からの郵送で何日もかかった。やっと届いた壁紙を、私は慣れない手付きで貼り始めた。素人なのでゆっくり、ゆっくり。
幅1メートルほど貼った、一旦中断した。一気にやる時間がなく、私は用事があって出かけた。娘たちはパパとお留守番中。
帰宅したら、新しく貼った壁紙には、落書きされていた。
私は、ショックだった。素人の私が、汗だくになりながら、できる限りキレイに貼ったのに…ものの数時間で落書きが…↓
事情を聞くと、れーちゃんは、壁紙の中の気に入ったお人形さんに○を付けていたらしい。それも、どのお人形さんも気に入ったので、全部に丸をつけたそうで。
落ち込む私を見て、説明してくれた。
その理由はとても可愛い理由だった。けれど、ショックは消えようもなかった。私があんなに頑張ってた貼ったのに、もう落書きされるなんて…汚されるなんて…ショック。
私はショックのあまり、ソファーに座り込んでいた。体育座りで。口をへの字にして、静かだった。
落ち込む私を見て、れーちゃんは泣き出してしまった。「ママ、ごめんなさい」と。
「私のせいだ」と思ったのだろうか。ショック中だった私は、れーちゃんになんと言ってあげれば良いのかわからなかった。
れーちゃんの笑顔が見たくて、壁紙を買ったはずなのに、何故こんなことになっちゃったんだろう。
子供部屋は、子供たちの部屋だけど、家のインテリアは私の作品のように思っていた。大層なインテリアではない。普通の家だ。
子供を喜ばせるために買ったはずの壁紙が、私のショックを呼んでしまった。
「気にせず許してあげればいいじゃん」
そんな声が聞こえるけど、否定しきれない。私のショックさ、と「私の美意識がそれを許さない」という気持ちが。
私の美意識なんていう独りよがりのものと、れーちゃんの笑顔。どっちが尊いのか、少し考えればわかるものなのに…
私の中での理性と感情が、せめぎ合った。
一晩二晩経、壁紙事件について考え直した。
美意識ってなんだ。
何が美しいか、否か。
そんなものは、私そのものではない。「○○を美しいとする」と捉えるようにこの世に洗脳されていただけだ、と感じるようになった。
決して、れーちゃんの落書きが醜いわけではない。私の素人の壁紙張りも、ぶっちゃけ端っこの処理などが甘い。
美意識って、なんなんだろう。
それを持つことは大事。とても大事だけど、それが私を落ち込ませる位なら、持たない方が良いとも思った。
美意識も、常識も、良識も、自分が心地よいなら持てば良い。自分を害するものになるのなら、捨てれば良い。
もちろん、壁紙の落書きが相応しくない場所だってある。例えば高級デパートの壁。でも、我が家は我が家だ。人にどうこう言われるものではない。
落書きされた部分を貼り直すかどうか、はまだ決めていない。
むしろ落書きを残した方が、今後の抑制になるのか。落書きがある方が美しいのか、わからない。
目の前にある事実、壁紙が買ったままの貼ったままの姿ではない事は変わらない。
貼り直すことも、そのままにすることも、私が決めれる。
自分の行動を選ぶことができる。
そして、自分の捉え方はいくらでも変えれるんだなぁ…と実感した。
家で座ってる時間が長くて、腰が痛い。
このクレヨンの丸は、れーちゃんがこの壁紙を気に入ってくれた証。それは間違いない。これの絵の女の子、全部を気に入ってくれたのかぁ。
服にしろ、壁紙にしろ、れーちゃんの好みを、ちゃんと把握できている。それには誇りを持とう。
自分を不幸にするのは、目の前の事実ではなく、自分の中にある良識・常識・観念である、そう気づいた事件でした。
きっとこれからも、思わぬことで落ち込むこともある。けど、これを忘れずに行こう。
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