絵本読んで〜!
抱っこ。
一緒に遊ぼ!
子供の要求はとてもシンプル。一つ一つは小さいもの。
「今〇〇してるから、後でね」
後でね、と言って、本当に後でしてあげなかった事が、山ほどある。昨日約束した絵本、結局読んであげられなかったな…。一緒にパン屋さんごっこしよう、○○ごっこしよう、と言われ、やって挙げられなかったのは通算、何回になるんだろう。
洗濯、掃除、食事の用意、メールに返信…
確かに、自分が他にしている何か、があって、それを中断されるのは嫌だ。
子供たちの願いは、こんなににも小さくシンプルなものなのに、なんで叶えてあげられないんだろう?
子どもたちが起きる前の、静かな朝に、そんなことを考えていた。
掃除や洗濯など、わかりやすく家族のためになることをしている時は、子供たちの願いを退け後回しにしても、そこまで罪悪感を感じない。
けど、お友達へのメール返信は?読書は?ただのくだらないネットサーフィンは?
生産性もなく、家族のためにもならない行為をしたいが為に、子供の「遊んで」を後回しにする。罪悪感と自分に対するイライラが出てきてしまう。
なんで、子供たちの小さくてシンプルな願いを後回しにしてしまうことが多いの?私はなぜそれを叶えてあげられないの?
ノートにそんな事を書きながら考えていたら、理由が見えてきた。
私自身の小さな願いを、私は叶えていない。
実現していない小さな願いが沢山ある。
「子供たちの願いは、シンプルで小さいもの。だから、叶えてあげたい」
頭ではそう思っても、心が反発する。
「私だって、〇〇もしたいし、☓☓もしたい!それを我慢してるのに。」
子供のためにしている我慢もあれば、子供とはおよそ全く関係ない所でしている我慢もある。
頼まれてもいない我慢。
たとえば、食べ物。本当は、+300円のCランチが食べたいのに、+0円のAランチにする。
たとえば、洗濯。今日は疲れたから、洗濯したくないなぁ…でも明日は雨だから、今日やらなきゃ。
たとえば、ヨーグルト。本当は、ねっとりのギリシャヨーグルトが好きなのに、割安のブルガリアヨーグルトを買ったり。
たとえば、洋服。断捨離してるし、できるだけ増やしたくない…お金もかかるし…と、あの時欲しかった水色の靴を買わずにいる。
たとえば、本当は毎月で美容院に行きたかったのに2-3ヶ月ごとになってる。
たとえば、もっと早く寝たかったのに、くだらないスマホいじりで夜ふかししている。
たとえば、着物。私はそろそろ着付けを習いたいが、やれ時間やお金が、と習わずのままずっと過ごしている。
たとえば、たとえば、たとえば。
きっと、書き出せば切りがないほど、自分が叶えていない小さな願い達が沢山ある。
それだからなのかな。それとも体力のせいかな。忍耐力のせいかな。子供たちの小さな願いを、退けてしまうことがあるのは。
他人の願いを叶えるのは、心理的ハードルは低い。「人の願いを叶える」行為そのものが、なんか道徳的に見えたり、「良い人」になれる気がするから。
自分のためだけにしかならない願い。自分の願いを叶えるのには、何だか罪悪感が伴う。「ワガママ」に見えてしまうからか。
子供たちの願いを全部退けてるわけじゃない。もちろん、一緒に遊ぶし、れーちゃんとワカメちゃんの絵本も読むし、二人とお散歩も行く。
快く子供たちの小さな願いを叶える。その時間も回数も、まだまだ少ない。
少しでも、そんな時間が、回数を増やしたい。
普通のヨーグルトじゃなくて、ギリシャヨーグルトを食べる。
欲しかった靴を買う。
早く寝る。
小さな自分自身の願いを、叶えて行こうと思った。結局それで、私の「ワガママ」が満たされている方が、結局子どもたちの願いも叶えやすくなる。たとえば、苦手な分かち合いもできるようになるかもしれない。
まだ叶っていない、貴方の小さな願いはなんですか?
自分の小さな願いを叶えることは、決して悪いことじゃない。
ん
結局は自分の願いが叶って、ご機嫌でいる方が、周りも幸せにできると思うから。
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