あなたにとって、「理想的な1日」ってどんな1日ですか?
ここ1週間くらい、私は「理想」からは程遠い日々を送っている。とももかくも、やる気が起きない。
私は、今、お気日記やモーニングページを書いたり、「今日はどんな日にしたいか」を記すプロダクティビティノートに予定を書き込んだりしている。ページがなくなるのが惜しいくらい、大好きなノートたちに。
今日はどんな1日にしたい?
私の答えは、いつも同じだった。「生産的に過ごしたい」。ノートには今日こなしたい予定を、沢山書き込んでみる。
けれど、今朝は、自分で書き込んだ予定に違和感を覚えた。私の脳みそが、どれほど「生産的に過ごしたい」と主張しても、私の体は首を縦に振らなかった。
満月だからか、PMSなのか、ここ数日間、私はイライラしがちだった。(人間もやはり動物か。)しかも、昨夜は眠りが浅く睡眠不足で、私の体の状態は、「理想」からは程遠かった。
一体、どこの誰が「理想的な日=生産的な日」と決めたのだろう。
私の脳が考える「生産的で理想的な1日」を過ごし、それを続けていくとどうなるか。
きっと、すごくつまらない人生になる。
そんな事に、今、気がついた。
理想的な生活や理想的な人生というのは、「『理想的』な1日」ばかりを積み重ねて出来上がるものではない。
長女れーちゃんも次女ワカメちゃんも、赤ちゃん時代がある。昼も夜も、まともに眠ることすらできず、産後の体で朦朧としながら、寝かしつけした日々。決して「生産的」とは言えなかった。
じゃあ、あの日々がなければ私はもっと理想的な人生だったのか?いいや、違う。あの時は辛かったけど、非生産的だったけど、決して理想的な時間の過ごし方じゃなかったけど、私にとって必要な時間だった。娘たちの成長には、私の成長には、夫婦関係が大きく変わるためには、必要な時間だった。
非生産的なのは理想的ではないって、なんで思い込んでたんだろう?
「理想的な1日=生産的な1日」という私の思い込みは、教育や社会による洗脳の結果。何は生産的で、何は非生産的なのか。誰がその判断をするのか。そんな物は、不確かでわかりもしない。ハイゼンベルクの不確定性原理※よりも、不確かだ。
※大学理学部時代に習ったことは、大いに忘れてしまったが、この原理はよく覚えている。大学1年生の初期の授業で、意味がわからない部分が大きくて、印象的だった。
「今日もやる気なくて、なんにもできなかった」
そうやって、自分を責めてしまう人は多いと思う。特に、ママ達。私もその一人。
やる気のない一生を過ごすのだけは嫌だが、そもそも私みたいな気が短い人間に、そんな一生を送れるはずもない。そこだけは、自分を完全に信用できる。何かしてないと、すーぐに退屈しちゃうから。
理想的な人生ってなんだろう。
そんなことは、今も、10年後も20年後も、臨終間際ですら、わからないかもしれない。
けれど、理想的な人生とは、「理想的な1日ばかりを積み重ねた先」にある訳ではない。
それが、今日見えた。
毎日毎日、人間は変化していく。その日の「理想的な過ごし方」は、1日として同じではない。我々はロボットじゃない。毎日違う自分に、同じだけのタスクや生産的っぷりを求めるのは辞めよう。
素直にそう思えた。
しかしなぁ・・・子育てって、なんで非生産的に感じちゃうんだろう。
生産性は、英語では Productivity。生殖・繁殖は Reproductive。 Re-PRODUCTIVE なはずなんだけどなぁ・・・・。
私ってば、しっかりと資本主義とその教育に毒されている。時間を守り、機械のように働くって、なんだか非人間的。砂糖の世界史にも、書いてあった。
大量生産が始まり、工場生産が可能になった後。人類の利便性のために発明された「時計」という道具に、人間が振り回されるようになった。時間を守るために、急いで支度し、毎日同じ結果を求められる。その時、人間らしさも失ったのかもしれない。
これから、「理想的な1日」を記すノートも、書き方が変わってくるかもしれない。
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