打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「長生きしてね」と言えない私

打たれ弱いママKaoriです。

 

先日、老人ホームに住む父方の祖母に会いにいきました。感染防止のため、基本的には面会禁止なのですが、100歳の誕生日ということもあり、特別に許可が出ました。

 

今回も、コロナの中会いに行くか迷いました。

 

認知症でほぼ全てを忘れ、孫の私はおろか、実の息子である父のこともわからない。東京に嫁にきたことすら覚えていない。


そもそも性格が凄く悪かった祖母。そこまで慕ってもいなかった。

 

このご時世、そんな人に会った所でどうなる?

凄く迷いました。

 

死んでしまったら会えない。

 

老い先長くはないであろう祖母と、できる限り会っておこう。自分が後悔しないために。


そんな思いで会いに行った。


100歳という年齢なら当然かもしれないが、かなり老化していた。

 

昨年会った時、孫の顔がわからなくても簡単な会話なら成り立っていた。自分の名前もわからなくても、1+1=2 はわかる、という状態。

 

昨日は1+1の答えも言えないであろう状態だった。そもそも、こちらが問う質問が理解できなかった。


それでも、姉が用意してくれたモンブランを食べていた。そう言えば、モンブランが好きだったな。すっかり忘れてた。


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きっと今頃、私や父が訪問したことなんて忘れている。我々の訪問なんて、自己満足でしかないのかもしれない。

祖母には、散々嫌なことも言われたし、到底「大好きなおばあちゃん」なんて言えない。むしろ嫌いだった。一緒に住むことはストレスフルだった。

それでも、良かった記憶もある。

 

桃の剥き方を教えてくれたり
花札で遊んてくれたり、 
一緒にお買い物に行ったり。


良いも悪いも、祖母は全てを忘れてしまっている。

 

人間とは、私とは、勝手な生き物だ。

 

あんなに「あの意地悪ばあさん!」と心の中で(時には声に出して)罵っていたのに。全てを忘れられると寂しい。

 

人情って、そんなものなのか。


100歳おめでとう。色々忘れてしまっただろうけど、私は、おばあ様と○○したこと、覚えているよ。


そんな手紙を贈った。どこまで、祖母が文字を読めるのか、読めても中身を理解できるのか、わからない。

 

きっと三行目を読む頃には、一行目の内容を忘れる。

 

祖母に合わせて、大きな文字で、縦書きで。そんな工夫は全て無駄だったかもしれない。

 

ただの自己満足かもしれない。


「私は最善をつくした」


祖母の死の前に、自分がそう思える様に今できることをした。


人が死んでからの後悔。20年近く前に死んだ母方の祖母の時、とてもとても後悔した。


だから、他の誰かが死ぬ時は、同じ後悔をしたくない。


それがたとえ自己満足であっても。


コロナに伝染るのも、誰かに伝染してしまうのも、怖い。感染者が増える中、高齢者に会うのは褒められた物じゃないかもしれない。

 

それでも、私は会いに行って良かった。

 

こんな状況下、色々迷う。誰だって迷う。

 

皆様も、「自分なりの最善を尽くした」と言える選択をして欲しいです。

 

なぜなのか、死を意識すると後悔しない選択ができる

 

私も娘たちもまだまだ生きる。そう思っているせいなのか、子育て真っ只中の今も、ちょいちょい後悔が沢山。

 

常に死を意識する、というのは、ちょっと極端な気がする。良い塩梅を見つけたい2021年。

 

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