打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

中学受験から始まった人生の岐路を振り返る

今日は2/6 ですね。

この日は、かの20年位前、私の中学受験が終了した日でもある。受験したのは4校、第一希望は落ちて残り3つは合格。

 

どの学校に進学するか迷っていたのが今の時期だった。

 

これまで幾度も、人生の岐路に立ち、選択してきた。

 

「これが私の選んだ道」

 

そう最初に感じたのが、12歳。中学進学においてだった。

 

目次

 

  • 御三家を第一希望にした本当の理由
  • 受験校を選んだ観点
  • 進学校をどう選んだか
  • 中学受験+高校受験は辛かったのか
  • 学校教育は素晴らしかった
  • その後の進路
  • 進路や岐路に迷う人達に伝えたいこと
  • 後悔しなかったのは、自分の意志で道を選んだから

 

3つの選択肢の内、どれを選択したのか。なぜそれを選んだのか。その後どう感じているのか。それを書きます。

 

今、学校選びに迷っている人に、近い将来に受験を考えている人またはその親に読んで貰えたら嬉しいです。

 

御三家を第一希望にした本当の理由

私が受験したのは、都内の御三家、国立大付属、私立の学校2つ。第一希望を御三家とし、それには不合格だった。

 

第一希望は落ちた、というものの全くショックでも何でもなかった。強がりでもなんでもない。

 

「ラッキーならば、受かるかも」レベルで受験していた。ある意味極めて消極的だ。 

 

進学したいかどうか、よりも、「受かるかもしれなかったから」が理由だった。

 

当時の私(というか基本的にずっと)、成績は良い方、でもトップクラスでない。それが常であった。

 

通っていた進学塾でも、御三家用の特別コースには入れなくてその下のクラス。

進学した中学でも、高校でも、成績は常に中の上〜上の下。学校でも塾でも、目立つ程の成績ではなかった。

 

御三家は狙える範疇である。ラッキーなら受かるかも。

 

受験校を選んだ観点

それだけの理由で私立御三家を視野に入れていた。その他滑り止め的な学校も含め、学校見学にも行った。

 

似たような偏差値の学校をいくつか並べては、以下3つの観点から学校を選んだ。

 

  1. 制服がダサくない
  2. 校則が厳しすぎない
  3. 家から遠すぎない

 

「おいおい、制服で選ぶんかい」という声ももちろんあった。が、私は断固としてダサ過ぎる制服の学校は拒否した。毎日着るものだ。オシャレでなくても、ダサくないことは大事だった

 

それ以外に学校見学をしながら気づいたのは、お嬢様学校は向いていないということ。日常的に「ごきげんよう」と挨拶する校風とは合わなかった。

 

まあ、この条件を見ると、どの御三家を受験したのか、想像つく方もいるかと。

 

進学校をどう選んだか

前述のとおり、消極的選択とは言え、マジでショックもへったくれもなかった、とは言え、第一希望の御三家は不合格だった。

 

合格したのはこれ↓

  1. 都内、私立中高一貫校女子校
  2. 千葉県、私立の中高一貫、共学
  3. 都内、高校受験有りの国立大学付属、共学

 

※太字が私にとってのマイナスポイントだった

 

御三家以外ならば、都内・共学・中高一貫が私の理想だった。が、いずれも全条件は満たさず、一長一短だった。

 

私が選択したのは 3。高校受験をしなければならない、というデメリットがある中学に進学した。

 

通いやすい距離である、共学である

 

これを理由に、進路を選択した。

 

中学受験の一番のメリットは「高校受験をしなくて良いこと」。それをガン無視した選択をしたのだ。

 

高校受験がなくなるよりも、通学の大変さや共学であることを選んだ。

※おまけ的に、国立ならば学費がめちゃくちゃ安くなった

 

中学受験+高校受験は辛かったのか

国立大学付属中学に進むとは、エスカレーター式進学はできずとも、付属高校(内部進学)する事が多い。私の両親もそれを望んでいた。

 

高校受験、ぶっちゃけ辛かった。

 

勉強が辛いのではなく、「親が望んでいる進学をしたくない」と伝えられない時期が、一番辛かった。

 

名門の国立付属高校の進学を望む親。それを前提に私の進路選択を許したのだ。

けど、内部進学したくない私。それを伝えられない私。

 

これが非常に辛かった。

 

通いたくもない学校の受験勉強は苦痛でしかなかった。内部進学したくなかった理由は、人間関係が上手くいつまでなかったから。高校進学を機に、人間関係をリセットすることを望んでいた

 

親に打ち明けることもできず、学校でも居場所が無い様に感じ、やる気のなさから成績も不振。

 

どこにも居場所なんてない!と引きこもってしまった時期もあった。(最終的には親とも話し合い、付属高校を受験しなくて済むことになった)

 

学校教育は素晴らしかった

国立付属中学に進学。卒業してから強く思う。私は素晴らしい教育を受けれた、と。

 

正に、私の人生を大きく変えてくれる何かを教えてくれる先生に出会えた。  

他校では決して教えてくれないことを、学べた

 

ああ、理科って面白いんだ。歴史って、面白いんだ。○○って面白いんだ。

 

そう思わせてくれる授業が沢山あった。

 

その後の進路

その後は、無事に外部受験で都立高校に進学。高校2年生で留学し、大学院卒業までイギリスに滞在した。

 

あの時の中学の社会の授業を受けていなければ、私はイギリス留学することも、そのまま6年も滞在することもなかった。

 

あの時、なんちゃって第一希望の御三家には落ちたからこそ、今の自分がある。これまでに出会えた人達がいる。

 

紆余曲折があったにせよ、今の自分は、結構好きだ。これまでの人生で出会えた友人は宝物だ。

 

「中学受験した上に高校受験しなきゃならん道を選ぶ」

 

私の人生、この選択をしたからこそ出会えた人がほとんどだ。今の主人も、もちろん娘たちも。

 

進路や岐路に迷う人達に伝えたいこと

たとえ子供であれ、何歳であれ「自分の意志で選択する」ということが一番大切だと思う。

 

どの中学を進学するか迷っていたあの時、もし親に「中高一貫校に行け!」と強要されていたら。

 

何か悪いことが起きた時、きっと親のせいにしていた

 

あの時、私に選択肢を与えてくれなかった!

ダメならなんで受験させたのか!

 

絶対に、こう思う時が出てきたであろう。親への責任転嫁、親を責めることを辞められなかったであろう。

 

自分で選択したことだからこそ、何かあっても親を責めることをなく、短期間引きこもろうとも、まっすぐで居られた。

 

「だって、しょうがないじゃん」みたいな子供じみた言い訳もしないで済んだ。

 

私の両親もあれこれ心配しました。中学受験したのに、わざわざ高校受験しなきゃならん学校に行くなんて…と。

 

後悔しなかったのは、自分の意志で道を選んだから

アレコレ心配はあれど、最終的には私自身に決めさせてくれた。両親のそんな所には感謝したい。

 

人はいつ死ぬかわからない。だから、後悔しないように生きないといけない

母方の祖母が死んだのは、私が中学2年生の時。祖母の葬式で、お説法の中で父がそう言っていた。

 

私が生きてきた道は、父や母が思っていた「理想的な進路」ではなかったであろう。

 

けれど、父の教えのとおり、14歳のときからずっと、後悔しない選択をし続けられている。

 

自分でそう思えるからこそ、「あの時、私のした選択は間違いじゃなかった」と言える。

 

たとえ選択肢がどうであれ、その道の中で後悔しない選択をし続けていれば、同じ光景が見えてくるのかもしれない。

 

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