日本三大随筆と言われる「方丈記」を、大変今更ながら全文読んでみた。
- 鴨長明さんって物凄くネガティブだな
- やっぱり随一の文学作品を書く人の感性は凡人と違う(私は逆立ちしても、敵わない風流さ)
こんな感想を持ちました。以下、詳しく書きます。
鴨長明さんのネガティブさ加減
ぶっちゃけ超ネガティブ。それが第一印象。人間は様々な選択をして生きて行かねばならないが、そのいずれの選択もデメリットだらけである、と彼は書いている。
たとえば…
- 都会VS田舎:都会に住めばせせこましい。田舎に住めば広々してるけど、いつ山賊に襲われるかわからない&不便。
- 周りに合わせて生きるVS自由に生きる:自分の心を殺して周りに合わせて生きれば平穏に生きれるけど、心の中がぐちゃぐちゃ。周りを無視して自由に生きれば、狂人扱いされる。※これに関しては、私なら狂人扱いされる方を選ぶ。
- 一人で生きるVS家族を持つ:家族が居れば支え合うこともできるが、食べ物を奪い合うことにもなる。愛する人が先に餓死するような事が起きうる。一人で生きれば、愛する人が先に死ぬ心配も、喧嘩する心配ないが、支えてくれる人もいない。
- 出家するVS俗世で生きる:俗世で生きるのが苦しくなって出家したのに、全く仏のような心持ちになど成れないこのギャップ。出家した意味あったのか、コレ?
などなど。「どの道絶対、不幸じゃないか!!」という記述が非常に多い。
嵐が来る。火事で京の大半は燃えてしまった。不作で皆が飢え、乞食が増えたけれど、食べ物を恵んでくれる人もいない。
民を置き去りに、貴族達は福原に行ってしまった。
その上疫病が流行って、遺体がゴロゴロ転がってる。
この世は地獄だ!
と言いながらも、鴨長明さんは、何気ないこの世の美しさを見つける名人でもある。凡人の私ならば、全く心が動かないような普通の光景に、鴨長明は感動し、それを書き残している。
ごくごく普通の事に感動する鴨長明の感性
たとえば朝露。朝顔の上の水滴を、「朝顔の住人」と呼び、朝顔を「露の住処」と言ふ。
露が永遠に朝顔に居続けることができないのと同じ様に、朝顔が咲き続けることもない。無常で儚い。
果敢と書いて、「果敢ない(はかない)」。
朝顔の上の朝露と同じ様に、人の命も同じく果敢ないものだ。
長女れーちゃん(小1)の母である私は、朝顔を日毎に眺めている。朝顔の上の水滴の、その存在すら気づかない私の心が、ここまでは動くまい。
よもや、露の儚さと人間の果敢なさを重ねて見るとことなどあろうはずもない。
ここに、「いや〜、やっぱり鴨長明の感性は、全く以て非凡だ」と感じた。私もライターの端くれだが、彼に遠く及ばない。
私は何かに儚さを感じる、というよりも、儚いのは私の意志かもしれない。意志薄弱。
健康のために、ポテチ辞めようかな〜と思っても、結局大好きだから辞めれなかったり。
子供と居るのに、ついスマホ見ちゃったり。仕事すべきなのに、ボーッとしてしまったり。
それでも、私は生きている。
私も相当なネガティブであるが、鴨長明には負けた。ネガティブさも極めれば、芸術的な文学作品にも繋がるのだ。
※その他の私のネガティブエピソードはこちら
今更ポジティブな人間にはなれそうにもないので、いっそネガティブを極めるのも良いかもしれない。
陰が極まれば陽となるわけだし。
ネガティブも、そう悪いことではない。この世の芸術作品の多くはネガティブな感情から生まれている。
貴方のネガティブ感情も、大事にして極めてみてください。
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