打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「親切ってなんで親を切るって書くの?」

長女れーちゃん(小2)からの質問。

 

「親切ってなんで『親を切る』って書くの?」

 

私(娘にとって母)、私の母(娘にとって祖母)がいる中での質問でした。

 

さて、なんと答えるか。

 

「たとえ親が傷ついてでも、それでも大事にしたいと思える人が、あなたにもいつか現れる。その時に『親切』の本当の意味がわかるよ」

 

私はこう答えた。

さて、これを聞きながら、私の母は、なんと思ったのだろう。

 

その昔ね、私が主人と婚約したあたりの時。ちょっとしたことで母とケンカしたことがあった。その時の私は怒り心頭だったのか、「結婚を応援してくれない親なんてもう知らない!絶縁してもいい!」なんて考えていた。

 

これは若さゆえの憤りだったのか。私の人格が幼稚だったのか、単なるすれ違いか。

 

結局絶縁やんてしてない。私の母は、娘たちをかなり可愛がってるし、私も相当お世話になってる。

 

今は小2(長女)に年中(次女)と、まだ小さい娘たち。今はパパとママが大好きで、多分まだ世界の中心は親というお年頃。

それでも、いつか、娘たちが「親切」の意味を知るときが、やって来る。

 

親を切ってまで大切にしたい。

それ程まで、娘にとって大事な人・事がいつか現れる。

 

そんな日が来るのは、嬉しいような、悲しいような。

 

若干人格破綻者(というか母親不適合?)な私。子供の成長を寂しいと思ったことは一度もない。赤ちゃん相手に「早く人間になって欲しい」と思ってた。

 

 

けれど、娘にとって「親を切ってでも、大事にしたい人・モノ」が現れたら、流石に寂しいのかしら。

 

雨で桜が散る中、この想いを桜に重ねている。時期が来れば桜は散る。けれど、また来年も咲く。

 

花が咲こうが散ろうが枯れようが、

そこにずっと立っている。

どんな季節であっても。

 

 

子供への愛情ってそんな感じなのかもしれないなぁ。

 

毎年咲くからこそ、桜は色んなことを思わせてくれるなぁ。

 


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