先日行ったピラティスのクラスで、地元に暮らすイスラエル人のママ、ラエリさん(仮名)と友達になった。
ジュエリーを作ったりするアーティストさんで、日本の和紙に感銘を受けて日本の芸術作品に触れるべく来日したとか。3歳の娘さんが一人。
その娘さん、ラエリ子ちゃん(仮名)は地元の幼稚園(偶然にも、私が卒園した幼稚園だ)に通っている。
ラエリ子ちゃんが毎朝鏡を見ながらつぶやく言葉を聞いた時、3歳という年齢で、他文化で生きることの大変さとその乗り越え方を考えていることが、ひしひしと伝わってきた。
ラエリさんは自分が育った欧米文化とは、全く異なる文化の中で、お嬢さんが生きている事に対し、大きな葛藤があるらしい。
ラエリさんとしては、自分が育った文化も受け継いで欲しい。
そんなママの思いは知らずに、ラエリ子ちゃんは、「日本人になりたい」そうな。
どんな遊びをするか、どんな絵本を読むか、どんな姿になるか。とにかく「日本人になりたい」らしい。
毎朝、鏡の前に座っては、つぶやくらしい。
「あ、私の目、ちょっと日本人っぽくなったかも♪」
と。
それを聞いて、ラエリ子ちゃんの気持ちを思うと涙が出そうになった。
彼女は、この与えられた環境の中で生き残るために「日本人になりたい」と思うようになったのだ。日本という土地に住んでいなければ、決して願わないであろうこと。
おそらく見た目からして、白人であることが一目でわかるお顔立ちなのだろう。きっと「外人扱い」されたり、何かとつけて「あの子は違うよね」って言われるのが、きっと、きっと、すごく嫌なんだと思う。
東京の下町は、外国人観光客こそ多いが、外国人家族がゴロゴロ居るような土地ではなく、純ジャパが多い。ママは日本語が話せないし、きっとラエリ子ちゃんも大変な想いをしているのだろう。
ラエリ子ちゃんは、きっと日本で生き残るために「日本人になりたい」のだと思う。
イギリスに単身留学をした初期、私も同じことを思っていた。「イギリス人になりたい」と。
イギリスに留学した当初、自分が知ってる世界とは違う文化、異なる常識の中で生きることは一筋縄では行かない、とすぐに思い知った。暮らしにくさを感じてはいたものの、現地のイギリス人は辛そうに生活している訳ではなかった。
どうやったら、この環境下で、辛くなく生きれるのか。
17歳の私が辿り着いた答えは、「極力、現地のイギリス人のように振る舞う」だった。
言語力が乏しい初期は、現地の同世代がどんな雑誌を見て、どんなTVを見てるかなんてヒアリングはできなかった。(雑誌名をわかったところで、中身をほとんど理解できなかったと思う)
私は、目視できる情報を頼りに自らイギリス人化していった。
着る服、歩き方、食べ方、文字の書き方…など。
日本に住む3歳のラエリ子ちゃんも、17歳当時の私と同じことをしているのではないか。
幼稚園のお友達を見て、読む本も遊びも真似したら、同化していけば自分も暮らしやすくなる。
こう思っているのではないか。
ヨーロッパ的教育を受けたことがある私とラエリさんは、日本的教育に対する疑問も沢山ある。彼女の言い分は痛いほどわかる。正直に言えば、娘さんに日本に染まり過ぎて欲しくないのだろう。
けど、私はラエリ子ちゃんの気持ちも、痛いほどわかる。私もあれほど、「イギリス人のようになりたい」と思ったことがある。それほど愛していたとしても、イギリス国籍がない私は、「よそ者」だった。それが決定的にわかり、打ちひしがれたのは20前後の時だった。
いずれそんな展開になるとは、3歳にラエリ子ちゃんが知る由もない。
ヨーロッパ的教育の良さを娘にも伝えていきたいラエリさん。
日本人になりたいラエリ子ちゃん。
現地に馴染めば馴染むほど、お母さんとは違う文化や思想の元に生きることになる。
多文化共生とは、簡単じゃない。一言では済まない心の葛藤が、そこにある。
「多文化共生」「ダイバーシティ」「寛容な社会」
口で言うのは簡単だ。
偉そうに語ってる人に言ってやりたい。「お前、マイノリティー側になってみろ!」と。
「多様な人を受け入れま〜す♪」じゃなくて、「受け入れて貰う側」になってみないと、本当のことなんてわからないと思う。
真の多文化共生社会に近づくためには、生まれもった文化圏と、育つ文化圏の狭間に立つ人間には葛藤がある、とか、そういう内面的な苦悩が存在する、ということを理解することが、とてもとても大事だと思う。